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ソル・インペリウム(太陽帝国)の象徴であった白亜の居城は、わずか十日の間に、酸と死臭が充満する巨大な墓標へと変わり果てていた。
「おい……聖女を引っぱり出せ! 早くしろ!」
帝城の謁見の間。かつて金箔で彩られていた壁面は、地下から這い上がってきた黒いカビと瘴気によって無残に腐食し、天井からは水滴ならぬ粘着性の黒い液滴がポタリ、ポタリと落ちていた。
床にひれ伏しているのは、髪を振り乱し、恐怖でガタガタと震える元第一皇子、ルシウスだった。その顔には、実の父親である現皇帝アウグストゥスから叩きつけられた激しい手ぶたの痕が、痛々しく赤紫色に腫れ上がっている。
「愚か者が……! 愚か者がぁっ!!」
玉座に座る皇帝アウグストゥスは、血走った目でルシウスを睨みつけ、喉を潰さんばかりの咆哮を上げた。その手には、国境の各都市から届いた悲痛な救援要請の報告書が握りしめられ、力任せに破り捨てられた。
「アウレリア公爵令嬢がどれほどの役割を果たしていたか、貴様は何も知らずに追い払ったというのか! 公爵家が代々捧げてきた犠牲の上に、この国の繁栄が成り立っていたのだぞ! それを……ただの浅はかな新興貴族の娘の戯言に踊らされ、追放しただと!?」
「ひ、父上! 違います、私は……私はクラウディアが『自分こそが光の聖女だ』と申すので! 彼女の魔法が瘴気を消し去るのを、この目で見ました! だからこそ、不吉で薄汚いアウレリアよりも、彼女こそが皇太子妃にふさわしいと――」
「黙れ、この豚が!!」
皇帝の怒号とともに、重厚な鉄の盃がルシウスの額に叩きつけられた。鈍い音とともに鮮血が吹き出し、ルシウスは悲鳴を上げて床を転がった。
「その『聖女』とやらを今すぐここへ引っ張ってこい! この地獄を止められぬのなら、あまねく民の前で皮を剥いで処刑してやる!」
近衛兵によって強引に謁見の間へ引きずり込まれたのは、かつて「可憐な春の女神」と持てはやされたクラウディアだった。
しかし、今の彼女にその面影は微塵もない。
高価だった絹のドレスは瘴気に蝕まれてズタズタのボロ布と化し、透き通るようだった肌は黒い斑点で覆われ、桃色の美しい髪は見る影もなく抜け落ちて禿げ上がっていた。
「ひ、ひぃぃっ……! 許してください、お許しください皇帝陛下! 私、私、わかりませんの! どうして私の魔法が効かないの!? いつもは……いつもは、あのアウレリアがいた時は、ちょっと祈るだけで全部綺麗になっていたのにぃっ!」
クラウディアは大理石の床に額を擦り付け、鼻水と涙で顔をドロドロに濡らしながら叫んだ。
「お前が浄化していたのは、アウレリア様が命を削って毒を抜き取った後の『出涸らし』だったのだよ! この出来損ないが!」
皇帝の側近である老魔導士が、蔑みと憎悪に満ちた目でクラウディアを吐き捨てるように指さした。
「アウレリア様はご自身の肉体を『毒の溜め溜め器官』とし、激痛に耐えながら瘴気の核を無害化しておられた。お前がやったことといえば、その表面に甘い匂いの香水を振り撒いた程度のこと! それを、自らの聖なる力だと勘違いし、本物の神体を国から追い出させただと……? 貴様は聖女などではない、国を滅ぼした万死に値する『大罪人』だ!」
「そんな……そんなあぁぁっ! ルシウス様、助けて! ルシウス様ぁっ!」
クラウディアが縋り付こうと手を伸ばすが、ルシウスは「触るな、泥棒猫が!」と叫び、その顔面を容赦なく踏みにじった。
「失せろ! 穢らわしい女め! 私を騙したな! お前のせいで、私の未来が、私の帝位が全部台無しだ!」
二人が醜く罵り合い、互いの髪を引っ張り合って血を流す様を、皇帝は冷ややかな目で見下ろしていた。
「……報告が入っている。我が国の北方国境、サン・ルキフェル要塞に向けて、あの『常夜の帝国』の漆黒の軍勢が進軍してきているとな」
広間に冷たい静寂が降り立つ。
「そして、その軍勢の最前列には……かつて我が国を追放された、アウレリア・フォン・アウレリアの姿があるという。……ルシウス」
「は、はいっ! 父上!」
「お前が撒いた種だ。クラウディアの首を刎ねて手土産にし、国境へ向かえ。アウレリアの前に膝を折り、靴を舐め、どれほど惨めになろうとも彼女を連れ戻してこい。もし失敗すれば、貴様をこの地下の瘴気孔に生贄として投げ込むと思え」
「ひっ……! 承知……承知いたしました、父上ぇっ!」
ルシウスは血と涙でぐしゃぐしゃになった顔を歪め、地面を這うようにして謁見の間を飛び出していった。
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ソル・インペリウムとノクス・インペリウムの国境にそびえ立つ、かつては決して破られぬと言われた難攻不落の要塞『サン・ルキフェル』。
しかし今、その白亜の城壁は、内側から溢れ出た黒い瘴気に侵され、まるで老木のようにボロボロと崩れ落ちかけていた。城壁の上に立つ兵士たちの顔には、生きながらにして死を待つ者特有の、濃い絶望が張り付いている。
その要塞の眼下に、彼らが「悪夢」と呼ぶ光景が広がっていた。
視界を埋め尽くすのは、漆黒と紫銀の甲冑に身を包んだ、ノクス帝国の重装騎兵団。何万という整然とした軍勢が、不気味なほどの静寂を保って陣を敷いている。
そして、その軍勢の中央。
巨木の幹ほどもある紫紺の魔晶石で飾られた、絢爛豪華な巨大な移動宮殿の上に、一組の男女が座していた。
「ずいぶんと……醜い城になったものですね、ハドリアヌス殿下」
私は、ハドリアヌスから手渡されたクリスタルグラスの赤ワインを傾けながら、見下ろす要塞を冷ややかに眺めた。
「かつては『光の砦』と誇らしげに呼ばれていたがね。土台となる柱を自分たちの手で叩き折っておいて、城が傾いたと騒いでいるのだから、世話はない」
ハドリアヌスは、私の肩を優しく抱き寄せ、その頬に軽く唇を寄せた。
「気分はどうだ、アウレリア? 故郷の無惨な姿を見て、少しは心が痛むか?」
「いいえ」
私は即座に、そして微笑みを浮かべて首を振った。
「痛むどころか……胸がすくような快感を覚えておりますわ。あそこにあるすべての石、すべての飾りが、私の血と涙を吸い上げて輝いていたのですもの。それが本来の『泥』に戻っただけに過ぎません」
今の私は、かつての「哀れな泥の聖女」ではない。
ハドリアヌスの愛と、常夜の国の至高の魔素によって完全に目覚めた、絶対的な魔術の支配者。
煤けていた髪は夜の美しさを集めたような黒銀に輝き、極上の漆黒のドレスは私の肌の透き通るような白さを際立たせている。体内に満ちる魔力は、もはや私を苛む呪いではなく、私に従順な僕として、背後に巨大な黒い翼の幻影となって揺らめいていた。
「……出でよ、アウレリア! アウレリア・フォン・アウレリア!!」
要塞の重い鉄門が、ギギギと不快な音を立てて開き、そこから数人の騎士に付き添われた男が這い出てきた。
かつての第一皇子、ルシウス。
彼の背後には、両手を縛られ、首に太い縄を巻き付けられたクラウディアが、まるで引きドナドナされる家畜のように引きずられている。
ルシウスは馬から落ちるようにして地に倒れ込むと、ドロドロの泥土を恐れることもなく、私の乗る移動宮殿に向かって激しく頭を擦り付けた。
「アウレリア! 私だ! ルシウスだ! 会いたかった……会いたかったぞ、私のアウレリア!」
その惨めな叫び声に、ハドリアヌスは心底呆れたように鼻で笑った。
「私は宮殿を降りますわ、殿下」
「ふむ……危なくはないか?」
「大丈夫です。あのような害虫、私の指先一つで塵に変えられますもの」
ハドリアヌスの手を借りて、私は移動宮殿の階段を優雅に降りた。
漆黒のドレスの裾を地面に触れさせることなく、ふわふわと宙に浮くようにして、私はルシウスの数歩手前で立ち止まった。
ルシウスが、歓喜と安堵に満ちた顔で顔を上げる。
「ああ……! アウレリア、やはり来てくれたのだね! 君が私を見捨てるはずがないと思っていた! さあ、早くこの不快な黒い軍勢を退け、私と一緒に首都へ戻ろう! 地下の瘴気を抑えてくれれば、君をすぐにでも皇太子妃に――」
しかし、彼の言葉は途中で途切れた。
間近で見た私の姿が、彼の記憶にある「アウレリア」とあまりにもかけ離れていたからだ。




