健が可愛い、それだけ
翔太はテーブルに向かって、右手を動かす。
部屋の中は紙とシャーペンが擦れる音、2人の息づかいだけがかすかに聞こえる。
翔太は両手を天井に向けて伸ばし、大きく息を吐く。
「…終わったー」
どっと疲れが流れ落ちるような声。
椅子に腰掛け、ずっとこちらに背を向けていた聡一郎が、ゆっくりと振り向く。
「おつかれ」
聡一郎は、右手にシャーペンを持ち、椅子に肘をかける。
「夏休みの宿題、これにて終了」
「よかったな、間に合って」
ジトっとした視線が翔太に刺さる。
今日は夏休み最終日。
昨夜の急な連絡から、今に至る。
「これだけ忘れてたんだよ…」
テーブルに頬を預け、唇を突き出し、拗ねた表情を見せる。
下敷きになった宿題の表紙がわずかに冷たい。
「俺に感謝しろ」
「助かりました。ありがとうございました」
姿勢を正し、深々とお辞儀をする。
少し間が空くと、カタッと椅子から立ち上がる音がした。
聡一郎はベッドに腰掛ける。
ポコン
2人のスマホが同時に鳴る。
画面を確認すると、健からだった。
トーク画面を開くと、写真が1枚送られている。
『めちゃ大きいスイカ!』
『明日のお昼食べる?』
大きなスイカを両手に抱えて、無邪気に笑う健。
自然と頬が緩んでいく。
「スイカでか」
「立派」
健の顔の倍はあるであろうスイカの大きさに目を丸くする。
2人はすぐに返信した。
『食べたーい!』
『食う』
すぐに既読がつく。
『じゃあ明日切って持ってく!』
OK!と書かれたポップなスタンプが後に続く。
『ありがと!』
『楽しみにしてる』
聡一郎の返信の後に、赤いハート持った可愛らしいくまのスタンプが表示される。
「買ったの?」
聡一郎は画面から視線を離さない。
「ううん、無料」
翔太は写真をもう一度タップして、画面全体に映し出す。
暑いのか、ほんのり赤くなった頬に、弧を描いた瞳。
「健、ほんと可愛い」
画面右下の保存ボタンを躊躇なく押す。
「……」
左手を口元に添えながら、右手の親指がスマホ画面の右下に移動する。
画面にはスイカを持った健。
(可愛い…)
聡一郎の瞳に柔らかい光が映る。
「あ、そうだ」
思い出したように、聡一郎を一瞥する。
スマホを一瞬操作すると、翔太は右手を突き出す。
「聡一郎、これ見てよ」
自分のスマホから視線を外し、翔太のスマホ画面へと移す。
そこには暗闇の中、焚き火の柔らかい光に照らされながら、椅子に座る健が映っている。
『スモアできたー!』
健はスモアを両手で持ち、嬉しそうに微笑む。
スモアを少しの間見つめると、口を開けて、一口。
ぱちぱちと木が燃える音が流れる。
ぱっと目が弾けるように輝く。
スモアを口からそっと離すと、マシュマロがチーズのように伸びる。
『んー!んー!』
スモアと撮影してる翔太を交互に見て、目を丸くする。
翔太の笑い声が大きく響く。
『めちゃうまっ!何個でもいけそう!』
健は目尻を下げて、ふわりと柔らかく笑う。
そこで健の動きが止まった。
「どう?やばくない?」
聡一郎は思わず左手で目元を覆う。
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
「…やばい」
謎の多幸感に包まれる。
翔太は小さく笑い、スマホを手元に戻す。
「もう、これ何回も見てる。可愛すぎて…もはや尊い」
画面を見つめると、思わず頬がゆるむ。
聡一郎は目元から手を外すと、すっと表情を無くし鋭い視線を翔太に向ける。
「その動画、俺に送って」
翔太は予想通りとでもいうように、わずかに口元を上げ、余裕を含んだ笑みを浮かべる。
「えー、どうしよっかなぁ」
「夏休みの宿題」
間髪入れず、聡一郎が話す。
翔太を見る目に圧を感じる。
「誰が見た?」
翔太の身体が固くなる。
「…今送ります」
翔太が手元を動かすと、聡一郎のスマホに通知音が鳴る。
聡一郎はスマホの画面に視線を落とすと、満足そうに口角を上げた。
「こうなる気がしてたけど…」
肩を落としてうつむく。
健の可愛い動画を独り占めしたい気持ちと誰かに共有したい気持ちが拮抗し、後者を選んでしまった。
わずかに後悔が滲む。
「翔太」
聡一郎の声に顔をあげると、スマホの画面が目の前にある。
「これ見てみ」
画面の中にはまたもや健の姿。
健は真剣な顔で野菜を切っている。
『健、猫の手』
聡一郎の声が大きく響く。
『猫の手…』
左手を見て、小さく呟く。
目線を野菜に戻し、神妙な顔で野菜を見つめる。
赤く熟れたトマトをまな板に置き、包丁を差し込む。
『あっ!』
柔らかかったのか、トマトがぐしゃっと潰れる。
『トマト…それしかないのに…』
聡一郎の声が響く。
健の目が泳いだ。
『ゆ、ゆるしてにゃん?』
両手を猫の手にし、ぎこちない笑顔と上目遣いで首を少し傾けて振り向く。
沈黙が流れる。
カメラが回っていると気づいたのか、健の顔が徐々に赤くなる。
『聡一郎!お前!』
健の手が徐々に近づき、大きく映り出す。
そこで動画は終了した。
聡一郎はスマホをズボンのポケットにしまう。
膝に肘をつき、笑顔で翔太に視線を向ける。
「どう?」
翔太の肩が小刻みに震える。
「にゃんってなにいいいいい!」
両手を顔に被せ、のけぞるように、天井を見上げる。
全身の血が一気に駆け巡るように、身体が熱くなる。
「反則!もうレッドカード!全部が可愛いすぎる!!!」
興奮で、息が荒くなる。
聡一郎はその様子を涼しげに見る。
「わかるー」
「……」
「めっちゃ可愛かったもん」
翔太が顔から手を離し、聡一郎を睨みつける。
「何?」
挑発するような笑みを浮かべる。
(こんの…)
翔太は渋い顔をしながら、小さく呟く。
「…その動画ください」
「やだ」
即答だった。
翔太は右手の人差し指だけを立て、手を握る。
「じゃああと一回だけ見せて…」
「1回1000円」
聡一郎の冷たい声が響く。
「…人でなし」
2人の視線が混じり合う。
無言で睨み合い、部屋の空気が重くなる。
「ふふ」
「はは」
くだらないやりとりに、思わず吹き出す。
部屋の空気が一瞬で軽くなる。
「俺らどんだけ健のこと好きなの」
「ほんとな」
顔を見合わせてまた笑い出す。
ひとしきり笑ったあと、2人は大きく息を吐く。
「ほんと好き、大好き…」
「めっちゃ好き」
ここにはいない誰かを思いながら、視線を宙に浮かべる。
口からこぼれた言葉は、誰にも届かないまま消えていく。
「健に会いたい」
「俺の方が会いたい!」
「はあ?俺の方が好きだし」
「いやいやいや」
お互い負けじと軽口を言い合う。
2人はまた笑った。
ふっと息が抜ける。
「早く学校始まんないかなー」
少しの間が空く。
「ほんとそれな」




