触れたのは指先だけ
翔太は2人に気づくと手を振る。
「今日、醤油ラーメン?」
「おいしそー」
2人は翔太の向かいに座る。
健が聡一郎の弁当をじっと見つめる。
「…そんなに見るなよ」
「…毎回思うけど、すごいよ?自分で弁当作ってさ」
「もう慣れたから」
「じゃあ俺にも作って!」
「はあ?」
翔太を軽く睨む。
「俺も手作り弁当食いたい」
「じゃあ自分で作れば」
「無理だよ。朝練あるし」
翔太はテーブルに頬を預け、大きな欠伸をする。
「今週末、大会だっけ?」
「…うん」
「疲れてんなー…よしよし」
健は翔太の頭を軽く撫でる。
「3人で遊びたい…疲れた」
「…翔太」
「ん?」
「いいこと思いついたんだけど」
「俺と聡一郎で弁当作って、翔太の応援行くとか…どう?」
2人の目が見開く。
「めっちゃいいじゃんそれ!!!」
「めっちゃめんどくさい」
言葉が重なる。
翔太が聡一郎を睨みつける。
「土曜日は塾あるし」
「日曜日は?塾休みだろ」
「そうだけど…土曜日負けたら弁当の意味がない」
「はいはい!絶対勝つ!勝たせてください!」
「お前1人の試合じゃないだろ」
「俺、バスケ部のエースだし!」
「翔太、今年スタメンなったじゃん。試合観に行きたいんだよね〜」
健が聡一郎の顔を覗き込む。
「弁当作るの俺でしょ。割に合わない」
「じゃあ俺も手伝う!なんなら土曜日の夜、聡一郎の家に泊まる!」
「え?」
「なんで!?」
「弁当って朝早いじゃん?泊まった方が一から手伝えるし、いいかなーって!」
聡一郎の眉間の皺がゆるむ。
「俺、家で風呂入ってから行くし!一緒に弁当の買い出しも行こうよ!」
「…5時以降に来て」
「やったー!」
「ええ…うそぉ…」
「翔太はまた今度ね!」
「…皿返してくるわ」
翔太が席を離れる。
「めっちゃ楽しみー」
「俺も」
「弁当のおかず、どうしようかな」
「本でも借りる?」
「いいね!俺、図書室で本見てくる!」
健は一目散に駆けていく。
「…可愛い」
「2人っきりとか…羨ましい…」
「土曜日、絶対勝てよ」
「…勝つよ…勝つけどさああもおおお!」
翔太はその場にしゃがみ込み、頭を抱える。
聡一郎は廊下を歩いていった。
ーーーー・・・
ピンポーン
開いた玄関ドアの隙間から、聡一郎が顔を出す。
「早いね」
「チャリかっ飛ばした」
「このまま買い物行く?」
「行く行く」
「じゃあ行こう」
「今日の晩飯どうするー?」
「母さんが夜勤前にカレー作ってくれた」
「マジ!ありがとう!」
2人は自転車にまたがると、聡一郎を先頭に移動する。
住宅地を抜けると、人の声と店の匂いが一気に増える。
スーパーに着くと、手早く買い物を済ませた。
「あ、俺ちょっと寄りたいとこあるからここで待ってて!」
「オッケー」
聡一郎は健の背中を見送る。
少し経つと、ニコニコとした顔で向こうから走ってくる。
「惣菜屋で豚カツ買った」
「…カツカレー?」
「俺、天才でしょ」
「最高じゃん」
健は紙袋の中に手を入れると、白い紙に包まれたコロッケを二つ取り出す。
「はい、コロッケ」
「…いいの?」
「一緒に食べよー」
「おう」
「…熱!うま!やっぱここのコロッケ最高」
「これ…肉じゃがコロッケ」
「好きじゃなかったっけ?」
「好きだけど…覚えてたことにびっくりした」
「中学の時、食いに来たじゃん」
「…一回だけだろ」
健は、聡一郎のコロッケに手を伸ばす。
「俺、まだ食える」
「だめ」
聡一郎はかぶりつく。
顔が熱い。
…今日はやけに甘い。
ーーーー・・・
部屋のドアを開ける。
健は布団に寝転び、スマホを見ていた。
聡一郎は自分の机に向かう。
「俺、塾の復習してるけど気にしないで」
「はーい」
健はスマホの音量をゼロにする。
「いいのに、音出して」
「勉強の邪魔したくないし」
椅子に座る聡一郎に背を向ける。
「ありがとう」
聡一郎は塾のテキストを開く。
両腕を天井に突き上げ、身体を伸ばす。
スマホを手に取ると時刻は午後11時を過ぎていた。
後ろを振り向く。
健は背中をこちらに向けて寝転んでいた。
「健?」
返事はない。
聡一郎は立ち上がり、健の顔を覗き込む。
「…寝てんのかよ」
健は毛布やタオルケットの上に頭を乗せて、目を閉じている。
スマホは手から滑り落ちていた。
聡一郎と健のスマホが鳴る。
『起きてる?』
翔太からだった。
『健は寝てる』
聡一郎のスマホだけが鳴る。
『襲うなよ』
聡一郎の眉間に皺が寄る。
体を屈めて、健の横に顔を近づける。
ピコン
写真を送信する。
既読はすぐについた。
『俺もそっち行きたい』
『寝顔ちょー可愛い』
『マジで襲うなよ』
『おい』
メッセージが止まない。
『襲うか、バカ』
『おやすみ』
画面を閉じる。
「…ックシュ」
健のくしゃみが聞こえた。
顔を見ると目は閉じている。
「……」
健の横に回り込み、そっと腰を落とす。
首と膝下に腕を差し込む。
少しだけ力を込めると、腕にずしりとした重みが乗った。
「っ…」
思ったより、重い。
持ち上げた拍子に、健の頭が自然と聡一郎の腕に寄り添う。
黒くて柔らかい髪が、腕に触れるたびにくすぐったい。
微かな吐息が、胸元にかかる。
規則的で、無防備で、近い。
(俺のものにしたいな…)
——離したくない。
ほんの一瞬だけ、腕に力がこもる。
そのまま抱き寄せてしまいそうになって、ぎりぎりのところで、力を抜いた。
健の頭をそっと枕に下ろす。
「…ん」
聡一郎は慌てて腕を抜き切る。
健の額に、そっと手を当てる。
「ごめん…起こした」
指で髪を梳く。
柔らかい感触が、指の間をすり抜けていく。
「手…気持ちいい」
そのまま、聡一郎の手に頬を擦り寄せる。
(可愛い…)
無意識に、指が止まらなくなる。
撫でるたびに、少しずつ呼吸が深くなっていく。
やがて、健の規則的な寝息が戻る。
そっと手を引き、電気を消す。
急いで廊下に出る。
足早にリビングへ向かい、ソファに倒れ込むように横になる。
身体が熱い。
「あー…」
喉がこくりと鳴る。
──キスしたい。
「襲うか…バカ…」
掠れた声は、空気に溶けるように小さく零れる。
聡一郎はしばらくの間、ソファから動けなかった。
ーーーー・・・
カーテンの隙間から白い光が見える。
布団から起き上がり、聡一郎のベッドを覗き込む。
(聡一郎…寝てる)
頬を人差し指でつつく。
「…ん」
「ふふふ」
聡一郎が顔をしかめる。
薄く目が開く。
「…健」
「おはよ」
「…今何時?」
「6時くらい」
「…起きるか」
「…眠い?」
「ちょっとな」
聡一郎は軽く笑うと、健の頭を荒々しく撫でる。
「うわ!禿げる!」
「禿げません」
2人は軽く笑い合いながら、部屋を出る。
顔を洗うと、2人はキッチンに立つ。
「これから弁当を作ります」
「いえーい」
「俺はおかず作るから、健はおにぎり作って」
「まかせろ!」
2人はそれぞれ作業に取り掛かる。
手を洗いながら、包丁を握る聡一郎をチラッと見る。
(…なんかかっこいいな)
いつもと違う姿に胸の奥がきゅーっと小さくなる。
(あ…おにぎりおにぎり)
健は、冷蔵庫の前に立つ。
扉を開けると顔に冷気がぶつかる。
健は冷蔵庫の中に手を伸ばした。
ーーーー・・・
「早く早く!」
「わかったって」
健が駆け足で階段を登る。
(おお…)
視界が開き、周りを見渡すと、沢山の人と横断幕。
どこからか太鼓の音がして、祭りのように熱を帯びている。
「あれ、うちの高校?」
「そんな気がする」
2人は歩く速度を早めて、観客席に移動する。
「あ、翔太だ」
「どこ?」
「白い円の真ん中に立ってる」
「…ほんとだ」
ピー
甲高い音が鳴ると、一瞬緊張感が走る。
ボールが空中に投げ出され、翔太が垂直に飛ぶ。
(がんばれ、翔太)
健は翔太を見つめる。
試合が終了し、選手たちが観客席に姿を現す。
翔太と目が合うと、こちらに近づいてくる。
「いたんだ!全然わかんなかった!」
「ギリギリに着いた」
「勝ったねー!おめでとー!」
「来てくれてマジ嬉しい」
翔太は流れる汗を、タオルでぬぐう。
「はい、これ!」
健が足元に置いている保冷バッグから弁当とおにぎり、割り箸を取り出す。
「うわ!めっちゃ美味しそう…おにぎりデカすぎ」
「やっぱりでかいじゃん」
「うちじゃ普通なんだけどな…」
「おかずは、唐揚げと肉団子と焼き野菜の甘酢漬け。おにぎりは鮭と昆布」
「おかずは聡一郎、おにぎりは俺が作った!」
「マジ…なんか感動…泣いちゃいそう…」
「これ食べて次もがんばってね」
健は翔太の肩を軽く叩く。
「次の試合何時?」
「予定は午後1時から!」
「そうか。健、弁当でも食う?」
「うん、適当なとこで食べよ!」
「俺はバスケのみんなで飯食ってくるわ」
「じゃ、またな」
「ファイトー!」
「おう!」
翔太は笑顔で手を振りながら、選手の中に戻っていく。
「俺らも行こっかー」
「うん」
自販機を見つけ飲み物を買うと、ちょうど外にベンチを見つけた。
2人で座ると、膝の上に弁当を乗せ、蓋を開ける。
「おいしそー!いただきまーす!」
「いただきます」
健は箸で唐揚げをつまむ。
「……うまー!」
「よかった」
「肉団子も味付け最高!焼き野菜の甘酢漬けもさっぱりしていいね」
「おにぎりもうまいよ、具が多い」
「いっぱいいれた方が美味しいでしょ」
「そうかも」
「勉強もできて、しっかりしてて、料理も出来る。お嫁さんに欲しい」
「…俺がお嫁さん?」
「うん、俺のお嫁さん。一生大切にする」
「医者になりたいからパス」
「あーん、フラれたぁ」
健はわざと涙を拭う仕草をする。
「健がなればいいじゃん」
「えー?俺、料理できないよ?」
「毎日おにぎりでいいよ」
「あはは、具は変えてあげる」
2人だけの空間に笑い声が響く。
空になった弁当を保冷バッグに入れる。
「そろそろ、戻ろっか」
健が立ち上がる。
腕を空へ伸ばし、身体を伸ばす。
「健」
「…ん?」
「口にタレついてる」
「え、どこ」
健は手で口を拭う。
「全然取れてない」
「じゃあ聡一郎がとってよ」
「…はいはい」
ティッシュで口元を拭う。
「…聡一郎ってほんと肌綺麗だよね」
健の指先が頬にするりと触れる。
「…ちょっと」
「化粧水、何使ってんの」
「…普通のだよ」
健の目が細くなる。
その視線に、聡一郎の心臓は小さく跳ねた。
「なんか、ずっと触ってたいかも」
指先が頬から首筋へ、そっと滑る。
息が、詰まる。
聡一郎が、健の手を掴む。
間。
——口元へ引き寄せる。
指先に、自分の唇が軽く触れた。
時間が、止まった気がした。
「…聡一郎?」
(あ)
手を離す。
「…くすぐったかったから」
「あは、ごめん!」
健はベンチ脇に置いていた保冷バッグを肩にかけ、小さく笑う。
「試合見に行こー」
「…おう」
「顔赤い。照れてる?」
「うるさい」
健の笑みは、からかうようで——優しい。
聡一郎は、少し遅れてその背中を追う。
胸の奥が、うるさい。
ーーーー・・・
「何負けてんだよ」
「…すみません」
「弁当作った意味」
「…ごめんなさい」
翔太は2人の言葉に肩を落とす。
「…言い訳すると、相手は優勝候補で…今まで勝ったことないっていうか…とにかくめちゃくちゃ強くて…」
「誰が言い訳言えっつった」
「弁当返せ」
「厳しい…でも弁当はめちゃくちゃ美味しかったよ!2人ともありがとう!」
翔太は2人を両手で抱きしめる。
「汗臭い」
「離せ、負け犬」
「も〜そろそろ優しくしてよ…俺だって悔しいのに…」
翔太は頭を下げる。
2人は目を合わせると、互いに片手で翔太の背中をさすった。
「弄りすぎた。ごめんごめん」
「今度3人でお泊まりしよ!」
「…うん、する」
遠くから翔太を呼ぶ声が聞こえる。
「俺行かなきゃ。今日来てくれてありがと!」
「また明日」
「明日学校で!」
翔太は軽く手を振ると背中を向ける。
「俺らも帰ろっか」
「おう」
2人の間に沈黙が流れる。
聡一郎は口元を右手で隠す。
手が少しだけ震える。
(俺…なんであんなこと…)
顔に熱が集中する。
(キス…された?)
触れたのは一瞬のはずなのに。
そこだけ、やけに熱が残っている。
ふと聡一郎を見ると、目が合う。
すぐに視線を逸らす。
(え…なんで?こんな恥ずかしいの?)
2人の動きが固くなる。
「…昨日と今日すげえ楽しかった」
「…俺も」
「また遊びに行ってもいい?」
「いいよ」
「…やった」
2人は駐輪場に着くと、それぞれの自転車にまたがる。
聡一郎と健は目を合わせる。
「じゃ、また明日」
「また学校で」
2人は反対方向に走り去る。
ペダルを強く踏み込む。
風を切る。
(……)
聡一郎はブレーキをかける。
——振り向く。
健の背中が、もう遠い。
少し間を置いて、すぐに走り出した。




