第58話 好き……ワンコとして
「ふふっ! 何だか物語の勇者様とお姫様みたいで楽しいわね」
瑛理子先輩は笑う。俺の手を引き、神社の杜を走りながら。
「瑛理子先輩、俺と先輩が勇者と姫なら、メアリー先輩は魔王か何かですか?」
俺がそう答えると、瑛理子先輩は無邪気な笑顔で笑う。
「あははっ、黒森さんが魔王だなんて、俊君も恐れ知らずね」
「誰が魔王だぁああ!」
しまった。すぐ後ろを追いかけるメアリー先輩に聞こえていた。
まさに女魔王のような迫力で、俺たちを猛追している。清楚な浴衣を着ているのに、大股開いて猛ダッシュだ。
「うわああっ! メアリー先輩、浴衣が乱れてますって! み、見えそう!」
「俊が逃げるからだろ!」
「あはははっ! 楽しいわね」
夜の香り。提灯と屋台の明かり。生暖かい空気。そんな夏の夜を、俺たちは風を切って走った。
で、どうなったかというと――――
俺と瑛理子先輩は、あっけなくメアリー先輩に捕まってしまった。文化部と運動部エースとでは、明確にフィジカルの差があったようだ。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、め、メアリー先輩、足が速すぎです」
メアリー先輩に羽交い絞めにされた俺は、さしずめ魔王に捕まった哀れな勇者といったところか。
「俊め、あたしから逃げられると思ってるのかよぉ!」
メアリー先輩に抱きしめられ、ムッチリとした肉の圧力が増した。
身長差からか、俺の顔が胸に近い。胸元の汗が顔につき、何ともいえない気持ちだ。
「ちょ、メアリー先輩! 汗! 汗が俺に垂れてますって!」
「あたしは汗っかきなんだよ! くらえ!」
メアリー先輩は、俺の顔を自分の胸元に持っていく。
「うわー! 自分の汗を男につける女子ってどうなんですか!」
俺の顔を自分の肌に密着させたかと思えば、今度はわざと顔汗を垂らしてきた。マニアック過ぎる。
「わぷっ! ちょっと、汗を垂らさないでください!」
「あたしの汗で溺れさせてやる!」
「うわぁああ! だからマニアック過ぎだって!」
メアリー先輩が暴挙に出そうになったところで、瑛理子先輩が割り込んできた。
「そうはさせないわよ! 俊君は私だけの俊君なんだから!」
思い切り恥ずかしいセリフを言ってから、瑛理子先輩はハッと我に返った。
「え、えっと、コホンッ、私だけの犬って言ったのよ」
「無理があり過ぎだろ、瑛理子」
メアリー先輩にツッコまれ、瑛理子先輩は更におかしくなる。
「無理なんかないわ。ワンコよ、ワンコ! ほら、俊君、ワンって言いなさい!」
「ワン」
「んきゃあぁん♡ って、コホンコホン……」
俺が『ワン』と言ったら、一瞬だけ瑛理子先輩が壊れた。今のは何だったんだ。
「瑛理子先輩?」
「な、何も聞かないで。ちょっと妄想が捗っただけだから」
何の妄想だ、何の。
瑛理子先輩は、モジモジと太ももを擦り合わせながら口を尖らせる。
そんな妄想黒髪女王に、メアリー先輩は容赦しない。
「瑛理子ってムッツリだよね」
「むむむ、ムッツリじゃないわ!」
「でも俊の犬真似で発情したし」
「それはしょうがないじゃない! 誰だって好きな男子がワンコになったら興奮するでしょ」
それは瑛理子先輩だけです。男子を犬にしたがるのは。
「って、ちょっと待て! 今、好きって聞こえたような?」
俺が声を上げると、瑛理子先輩が壊れ始めた。
両手をアタフタと振りながら、目を白黒させ始める。
「ち、ちちち、違うわよ! ペット的な意味よ! 勘違いしないでよね!」
「ですよね。犬ですよね」
「もうっ! 何で俊君は分からないのよ!」
えええ……。やっぱり瑛理子先輩が情緒不安定な気がする。
「と、とにかく俊君は私のモノよ! 他の女子と絡んじゃダメ!」
「えっと、それって……」
「いい、ご主人様の命令は絶対よ! 分かったらワンって言いなさい!」
「ワン」
「うっきゃぁああぁ~ん♡」
やっぱり瑛理子先輩が壊れている。
「じっとぉぉぉぉ――」
そんな俺たちのやり取りを、メアリー先輩はジト目で見つめていた。
「あれだよね。瑛理子って俊のこと好きだよね」
メアリー先輩が爆弾発言した。
「ち、ちちち、違うわ! く、黒森さん、何を言い出しているのかしら! 好きじゃないわ! ぜっんぜん、これっぽっちも! ペット、そう、ペットよ!」
全力で否定する瑛理子先輩。そんなに強く否定されると傷つく。
「ですよね。俺と瑛理子先輩じゃ釣り合わない……」
「俊君! さっきも言ったわよね!」
瑛理子先輩は俺を捕まえ、腕をギュッと回してきた。
汗でしっとりした浴衣が張り付き、髪からはシャンプーの良い香りが漂ってくる。
「えっ、あの、瑛理子先輩……」
「人の目とか世間の価値観とかどうでもいいわ! 本人の気持ち次第でしょ! 私の気持ちを、世間体で片付けないで!」
「そ、それって……」
好きってことなのか?
瑛理子先輩の気持ちが分からない。犬扱いしたり奴隷にされたり。でも、たまに見せる顔は、恋人のように優しくて。
「はぁああああぁ。こいつら腹立つなぁ。もう付き合っちゃえよ」
メアリー先輩が、大きな溜め息をついた。
「何だよ何だよぉ。今日は俊に見せようと浴衣を着てきたのにさ。俊ってば、瑛理子にばかりデレデレしちゃって」
「ちょっと、メアリー先輩!」
メアリー先輩を止めようとしたけど、瑛理子先輩が離してくれない。
「俊ってさ、いつも瑛理子を目で追ってるんだよ。もう思い切り大好きって感じに」
「うわぁああ! うわぁああああ!」
「早く告白しろってんだよ、じれったいな!」
「ぎゃああああ!」
メアリー先輩の暴走が止まらない。
壊れたのは瑛理子先輩ではなく、メアリー先輩の方だった。
「あたしには振り向いてくれないくせに! バカ俊! このあたしを振るとか、もうお仕置きだかんな!」
「えっ」
やっぱりそれって……。
「あ、あの、メアリー先輩……」
「ああ、そうだよ。俊のこと気に入ってるんだよ」
「すみません……気がつかなくて……」
「お仕置き週一回で許してやろう」
許された。いや、許されていない。
俺はバカだ。女子の気持ちに鈍感で。傷つけてばかりで。失敗ばかりだ。
俺が肩を落としていると、メアリー先輩はオロオロし始めた。
「そ、そんなに落ち込むなよぉ。俊は女慣れしてないんだからしょうがないだろ」
メアリー先輩に気を遣われた。何だか心苦しい。
「俊が捨てられた子犬みたいな顔をしてると、こうムラムラして襲いたくなっちゃうんだよ」
「えっ?」
「あああぁ! やっぱり諦められない! 俊を座布団のように踏んで躾けたい!」
「それ恋心じゃなくドS心ですよね!」
そう言ってはみたものの、メアリー先輩がふざけているのは気遣いかもしれない。俺たちの関係がギクシャクしないように。
「やっぱりメアリー先輩って、優しくて良い人ですね」
「こ、こらっ! 急に褒めるなよ」
図星だったか。メアリー先輩の顔が赤い。
「ふひっ、ふひひっ」
そこで変な笑い声が聞こえた。俺に抱きついている瑛理子先輩が、口元を緩ませて笑っているのだ。
「そ、そうなの。俊君って私のことを……。ふひっ、うへへぇ」
何だろう。この超美少女なのに、笑い方が若干キモい感じは。やはりポンコツ感が否めない。
「えっと、瑛理子先輩?」
「そうなんだ。俊君が私をね。ふひっ」
「瑛理子先輩、キャラ壊れてませんか?」
知れば知るほど変な人だ。対人関係がダメダメで、家事も私生活もポンコツなのに、どうしても目が離せない。
俺の心を捉えて離さない人。
「しょ、しょうがないわね。私の犬として、一生飼ってあげるわ」
「瑛理子先輩、それずっと一緒って意味では?」
「う、うるさいわね。ペットよペット」
結局ペットなのか。でも、瑛理子先輩の側にいれるのなら、ちょっと嬉しい気もする。
「はぁああぁ、瑛理子も瑛理子だよな。いつも塩対応なのに、俊にだけデレッデレ――」
「きゃああああああ!」
メアリー先輩が口を開くと、慌てて瑛理子先輩が止めに入った。
「な、ななななな、何を言い出しているのかしら」
「だから瑛理子が俊を大す――」
「うぎゃああああ!」
瑛理子先輩は、メアリー先輩の口を塞いて喋らせまいとする。傍目には、百合っぽくイチャイチャしているみたいだ。
途中ドタバタあったが、結局三人で屋台を回ることで決着した。
俺はホッと胸を撫でおろし、トイレへと向かう。
ジャァァァァ――! キュッ!
トイレで身だしなみを整えて、外に出た時だった。
「俊くん」
トイレの出口で俺を待ち構えていたのは、浴衣姿の真美さんだった。




