第56話 夏祭りの夜
八月も中旬に入ると、窓の外で鳴く蝉の声が騒がしくなった。さしずめ大合唱というところか。
少し前までは、猛暑の影響なのか蝉が少なかったのに。
「いかにも夏って感じだな。まあ、部屋の中はエアコンで涼しいけど」
俺は窓から外の景色を眺め、そんな感想をつぶやいた。
夏合宿が終わってからは、宿題や小説の執筆で、ずっと部屋にこもりっぱなしだったからな。
「たまには何処かに遊びに行きたいような……。何年も地中で過ごした蝉は、たった二週間で一生を終えてしまうというのに」
バタンッ!
俺が蝉と自分を重ね感傷に浸っていると、いつものように姉が突撃してきた。
まるで蝉を捕まえにきた子供みたいだ。
「こらぁ、俊! あんたのせいで私が百合堕ちの危機なんだからね!」
部屋に入るなり意味不明な発言の凛。今日も通常運行だ。
「姉ちゃん、相変わらず人生楽しそうだな」
「ちょっと! 私を何だと思ってるのよ! そんな能天気キャラみたいに!」
能天気キャラじゃなかったのか。
「姉ちゃんが百合堕ちするわけないだろ。弟に電気あんまするのが趣味なのに」
「それは俊にしかしないわよ!」
当たり前だ。同級生男子にしたらドン引きだぞ。
「姉ちゃん、最近ちょっと変だぞ」
「誰のせいよ!」
「誰だよ」
「あんたに決まってるでしょ! 俊のせいで、私が○○○白玉あんみつの危機なんだからね!」
今、卑猥なワードが聞こえた気がするのだが。
いや、聞き違いかな。きっと小豆白玉あんみつと言ったはずだ。
「何で真美を振ったのよ!」
「えっ」
突然、真美さんとのことを聞かれ、俺は固まってしまった。
真美さんから聞いたのだろうか。
真美さん……。俺……が振ったことになるのか。憧れの真美さんを。
「それは……まだ決められなくて……」
「あんた、ずっと真美さん真美さん言ってたじゃない」
「そうなんだけど。そんな簡単なことじゃなくて」
俺はどうしちゃったんだ。あんなに真美さんと付き合いたかったのに。ずっと憧れの女性だったのに。
でも、どうしても瑛理子先輩を放っておけなくて。
そのせいで真美さんを傷つけて…………。
恋がこんなに苦しいなんて知らなかった――
その想いが『恋』と自覚して、自分でも驚いてしまう。そうだ、俺は二人に恋してしまったんだ。
「もうっ! いくら親友でも、真美の尻餅や腋パイはキツいんだって!」
だから、人がせっかく感傷に浸っているのに、何で凛は意味不明なワードをブッ込んでくるんだ。
「あんたが真美の尻や腋を受けなさいよ!」
「姉ちゃん、いきなり下品なこと言わんでくれ。真美さんは清純派なんだぞ」
「はあぁああ?」
「そ、そりゃ、たまにドSっぽく感じる時はあるけどさ。でも清純派なのは間違いない」
「ああぁ、この愚弟はぁ! 何で分からないかなぁ!」
凛がグイッと体を寄せてきて、俺の眼前に整った顔がアップになる。
弟の俺が言うのもなんだが、改めて眺めても美人顔だ。
「くっそ、我が姉ながら、何でこんなに美人なんだよ……」
「えっ♡ ちょ、ちょっと♡」
凛が顔を赤らめて俺を見つめる。
何故そこで照れる!? 気まずいのだが。
「じゃ、じゃあさ、俊が私と付き合う……とか?」
「は?」
おいおい、凛は何を言い出しているんだ。
「姉ちゃん、さすがに冗談が過ぎるって。近親はヤバい」
「じょ、じょじょ、冗談に決まってるでしょ! なに本気にしてんのよ! ばーか、ばーか!」
ドタンバタン!
慌てた凛は、アチコチに体をぶつけながら部屋を出て行った。一体何をしに来たのやら。
「さて、どうしたものか」
ピンコーン!
何かしようかと席を立ったその時、スマホから着信音が鳴った。
すぐに俺はスマホ画面をのぞき込む。
【今日は夏祭りがあるそうね。一緒にどうかしら?】
ん!? 瑛理子先輩からメッセージなのだが!
これは何だ? 何で瑛理子先輩からデートのお誘いが?
「えっと…………大事件だよ!」
ガンッ!
あまりの驚きに、机の角に足の小指をぶつけた。
「痛っ! いった! いたたたたっ!」
足を押さえながら、どう返信しようかと考えていたら、瑛理子先輩から追いメッセージが来た。
【か、勘違いしないでよね! ラブコメのネタで必要なのよ!】
【お祭りデートの経験がしてみたいの!】
【取材よ! 取材!】
くぅ……瑛理子先輩がツンデレヒロインになっているのだが!
「ど、どどど、どうしよう? これってデートだよな? お、落ち着け。いつもポンコツで挙動不審な瑛理子先輩のことだ、本当に取材という線もある……」
猫みたいに気まぐれで女王のようにクールな瑛理子先輩のことだ。誤解してはいけない。
でも、先輩からデートに誘われるのは嬉しい。
ピンコーン!
迷っていたら、また追いメッセだ。
【どうして既読スルーするの! 私、何かしたかしら?】
【ねえ、どうしちゃったの?】
【嘘つき! 永遠に一緒って言ってくれたじゃない!】
今度は、思い切りメンヘラヒロインみたいになってしまった。
「えっ、これどうしたら? 迷っている内に瑛理子先輩が壊れ始めたのだが!」
ピロロピロロピロロ――
「うわぁあっ! 遂に電話が掛かってきた!」
俺は恐る恐るスマホ画面をタップした。
ピッ!
「はい」
『ちょっと、俊君! どういうことよ! 私がメッセージ送ってるのに酷いじゃない! 勇気を振り絞って送ったのに!』
やっぱり先輩がメンヘラヒロインっぽい。
「ご、誤解です! 足の小指を角にぶつけましてですね――」
『私とは行きたくないって言いたいの! 望月さんと行くのかしら? そういえばキスしたって言ってたわよね! キスしたの!? 寝たの!? 振ったって聞いたはずだけど! やっぱり付き合ってるのかしら!? どういうことよ! もうっ! もうもうっ!』
瑛理子先輩の暴走が止まらない!
とにかく説得だ!
「という訳でして……返信の言葉を考えていてですね……」
『うん……』
何度か説明したら、やっと瑛理子先輩が落ち着いた。
本当にこの人は極端というか何というか。
『そ、その……わ、悪かったわね。取り乱して……』
「いえ、メンヘラヒロインみたいで可愛かったですし」
『うくぅ~』
「どうかしましたか?」
『わ、忘れなさい! 一時間前からの記憶を全て消去するのよ!』
「そんなの無理ですって!」
前にもこういうのあったのな。懐かしい。
「ふふっ」
『こらぁ! 何で笑うのよ! もうっ、あなたの前だと恥ばかりかいちゃってるわ!』
「笑ってないですよ。思い出していただけで」
『あっ……うくぅうう~っ♡』
また瑛理子先輩が挙動不審になった。
『そ、それでどうなのよ? 行くの? 行かないの?』
「行きたいです。俺も取材したかったので。やっぱりラブコメには夏祭りが付き物ですよね」
『もうっ! せっかく私が誘ってるのに、取材とか酷いわ!』
「えっ、先輩が取材って……」
『そ、そうだったわね。しゅ、取材よ』
「どっちですか?」
『うるさいわね! どっちでも良いでしょ! とにかく午後六時に駅前に集合! 分かったわね!』
そんなこんなで、俺と瑛理子先輩のデー……夏祭り取材が決定した。
◆ ◇ ◆
五時半になり、俺は家を出ようとしていた。
「よし、準備は万端のはず」
服は余所行き用のに着替えたし、身だしなみも整えた。デート……かどうかは分からないが、これで瑛理子先輩と並んで歩けるはず。
そうは言ったものの、あの超絶美少女の瑛理子先輩と並び立つには自信がないが。
「じゃじゃーん!」
家を出ようとした時だった。浴衣姿になった凛が、はしゃぎながら現れた。
「どうどう? たまには浴衣も良いでしょ。惚れ直したかぁ~」
惚れ直すとか意味不明だが、客観的に見ても美人だろう。男子に人気なのも頷ける。
それより疑問なのを聞かねばなるまい。
「姉ちゃん、何で浴衣を着てるんだ?」
「そりゃ祭りでしょ。真美から一緒に行こうって連絡きてね」
「ん?」
「それよりどうよ。可愛いっしょ。お姉ちゃんのこと、好きになっちゃった?」
まさかな。偶然だよな。
「こら、俊! 女の子が浴衣着てるんだから褒めなさいよ!」
「はいはい、綺麗綺麗」
適当に凛を褒め、俺は首をかしげながら玄関を出た。たぶん偶然だと考えながら。




