第44話 夏合宿
ミーンミンミンミンミンミン――
夏休みに突入したばかりの七月二十七日。目を覚ました俺は、電子音を響かせている目覚まし時計を止めた。
今日もいい天気だ。窓の外では蝉がうるさい。
「よし、準備しないと」
俺はベッドを出て洗面所へと向かう。
今日は文芸部の夏合宿初日だ。
熱海にある瑛理子先輩の別荘で、二泊三日の合宿をする予定である。途中、海水浴をしたりバーベキューをしたり……。
「くぅー、瑛理子先輩と海で遊ぶだと。水着姿を拝めるのだろうか。ま、マズい、想像しただけで刺激が」
そんな不純な想像をしながら洗面所の扉を開けると、朝っぱらからゲンナリした表情の凛がいた。
「うわっ、な、何だよ姉ちゃんか。脅かすなよ」
「きゃっ♡ しゅ、俊♡」
肩を落としていた凛だが、俺を見たとたん恋する乙女みたいなリアクションをした。
俺は肘で姉をどかしながら顔を洗おうとするのだが。
「姉ちゃん邪魔」
「こ、こら! 姉に対し何だその態度は」
ジャバジャバ――
凛を無視して顔を洗っていると、俺の腕を掴んでいる姉の力が強くなった。
「ぐぬぬぬ! こら、俊! 何だよ、私の初めてを奪ったくせに」
「ひ、人聞きの悪いこと言うなよ! あれは姉ちゃんから当たってきたんだろ」
初めてというのは、夏休み初日で起こったキスアクシデントのことだ。ふざけた凛が俺にキスしようとして、誤って本当にキスしてしまったアレだ。
「こ、この愚弟! お、お、乙女の純情を何だと思ってるのよ!」
「知らねえよ。何だよそれ、清純派か!?」
「は、初めては結婚する人って決めてたのに♡」
マジで清純派だった!
いつも下ネタ連発していたり、隙あらば電気あんま仕掛けてくるエロ姉とは思えねえ。
「しゅ、俊♡ 責任……とりなさいよ♡」
「とれるか!」
たく、このアホ姉は。朝から何を言っているのやら。
実の姉弟で結婚とか、それ近親婚だろ。
相変わらず変な姉を放置し、俺は準備を進めた。
◆ ◇ ◆
待ち合わせ場所の駅には時間より早く着いてしまった。凛の求婚が激しかったから、早めに家を出てしまったのだ。
まったくあのアホ姉は……。本気なのか冗談なのか?
本気だったら困るけど。
くっ、何だろう。実姉に迫られて、ちょっと嬉しい俺がいる。布団に潜り込んできたり、電気あんまで起こされたりして、俺の体が調教されてしまったのか?
決してシスコンじゃないからな!
くっそ、凛め。真美さんとギクシャクしているのに、これ以上俺を混乱させないでくれ。
「だぁ~れだ?」
駅の改札口を眺めていると、突然、イタズラな声と共に俺の視界が遮られた。後ろから誰かが目隠しをしているのだ。
ボーイッシュな感じの声でバレバレだけど。
「メアリー先輩でしょ」
俺が答えると、声の主は目隠しを外してからハグしてきた。
ピチピチのTシャツにデニムショートパンツ。ただでさえ露出度が高いのに、そんなに密着されたら。
「何だよぉ! もうちょっと楽しませろよぉ!」
「ちょ、当たってる! 胸が!」
背中に凄い弾力のパイ圧が。メアリー先輩の巨乳だ。
「ぬへへぇ♡ 当ててるに決まってるだろぉ♡」
「そんなアニメのオヤクソクみたいな!」
「二泊三日オ○禁する俊に刺激を与えてやってるんだよ♡ ほれほれぇ、我慢できなくなっちゃえ♡」
「最悪だぁー!」
メアリー先輩め、若い男の性欲を舐めるなよ!
女子に囲まれ何日も我慢しなきゃならんのに、そんなオカズを与えられたらヤバいだろ。
このまま三日間も○けない身にもなれっての。
「はぁ、はぁ、はぁ、この先輩は……。出発前なのに、もう我慢の限界に……」
俺が前屈みになっていると、エミリー先輩は顔を寄せてきた。
「あそこが苦しかったらさ、あたしが○いてあげようか?」
「は?」
エミリー先輩は右手で変なジェスチャーをしている。
何だそれ、エッチな漫画かよ。
「じょ、冗談はやめてください」
「ちぇっ、冗談じゃないのにさ♡」
何か今、メアリー先輩が問題発言した気がする。
スルーしておこう。
「それより水泳部は大丈夫なんですか? 大会とか」
運動部の夏休みといえば、大会出場などで忙しいはずだ。詳しくは知らんけど。
そんな俺の言葉を、メアリー先輩は太陽のような笑顔で返してきた。
ニカッ!
「大丈夫! インターハイは少し先だからさ」
「地区大会とかは?」
「ぶっちぎりで勝って全国大会決まってるよ」
この人は……。
「ほら、あたしって才能あるから」
「才能だけじゃないですよね。その鍛えられた筋肉と日焼けした肌を見れば分かりますよ。人知れず努力してるって」
ふと本心を告げたら、メアリー先輩の様子がおかしくなった。
「えっ♡ あれっ♡ そ、そういうこと言うの反則だぞ♡ ああぁ♡ あたしは努力を見せないキャラなのにぃ」
「隠さなくてもいいのに」
「ううっ♡ 俊のくせにぃ♡ いつも欲しい言葉をくれるんだから♡」
「何か言いました?」
「な、何でもない! くっそぉ、都合の悪いとこだけ聞き逃しやがってぇ!」
メアリー先輩がヘッドロックを掛けてきた。俺の頭が、汗で湿った彼女の腋や胸に埋まる。
「ちょっと! だから当たってるって!」
「当ててるって言ってるだろぉ! くっそ、くっそ! この男はぁ! あたしとデートする話はどうなったんだよぉ!」
ああ、メアリー先輩のムチ肉と匂いに包まれているようだ。思い切り、甘く蒸れた香りを吸い込んでしまう。
こんなの我慢できない。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――
「大崎君、何をしているのかしら?」
その時、俺の耳に冷徹な声が届いた。地獄の女王のような、ドSでクールで美しい声だ。
ただ、俺の顔がメアリー先輩の肉に埋まっていて、声の主が見えないけど。
「え、瑛理子先輩? 瑛理子先輩ですよね?」
「だから何をしているのかって聞いているのよ。死にたいのかしら?」
「ひぃいいいい!」
めちゃくちゃ重い女の瑛理子先輩から怖い言葉が出て、俺は震え上がった。
「こ、これは違うんです。メアリー先輩がふざけて」
「にっしっし♡ 俊ってば、あたしのこと好きだってさ♡」
「はあ!?」
俺が必死に弁解しようとしているのに、メアリー先輩が問題発言をした。
瑛理子先輩の声が、更に刺々しくなる。
「それはどういうことかしら?」
「ふへへぇ♡ 俊が体育祭の時にさ、『俺はメアリー先輩が好きだ』って告白してきて♡」
やめろぉおお! それは言葉の綾だ!
噂してる男子どもを黙らせるために言っただけだ!
「むぅううううううっ!」
瑛理子先輩から変な声が出ている。
怖いので誤解を解かないと。
「ち、違います! あれは他の男子にメアリー先輩の良さを布教しようとして」
「あなた、黒森さんのファンだったかしら?」
「そ、そうだ! 女王様! 女王様の素晴らしさをですね!」
もう俺が女王様好きだという設定にするしかない。これなら安心安全だ。
「ふーん、やっぱり大崎君ってドMだったのね。もう容赦しないわよ」
逆効果だった。瑛理子先輩のドSオーラが、更に強まった気がする。
メアリー先輩の拘束から抜け出た俺は、もう一度だけ瑛理子先輩に念を押しておく。
「冗談ですからね、先輩」
「もうっ、大崎君って無意識なのかしら。私の心を乱してばかりいて……」
「何か言いました?」
「もうっ♡ もうもうっ♡ 何でもない!」
瑛理子先輩はそっぽを向いてしまった。
改めて見ると、今日も瑛理子先輩は超絶美しい。清楚なブラウスとスカートなのに、どこか妖艶さまで感じさせる佇まいだ。
「あの」
「おーい、待たせたな」
俺が口を開こうとしたその時、向こうから操ちゃんがやってくるのが見えた。
ちびっ子先輩を引き連れて。
「そこで偶然、沢渡に会ったんだ。連れてきたぞ」
「お待たせしましたっス」
雅先輩が、ちょことんと頭を下げた。
まるで親子みたいだとか思ったが、言わないでおいた。
女教師とちびっ子先輩の両方を敵に回すほど、俺はアホじゃない。
瑛理子先輩が代表して、先生に挨拶をする。
「瀧先生、引率おつかれさまです。よろしくお願いします」
「何の何の。これも教師の仕事だ。仕方がない」
仕方がないとか言いながらも、操ちゃんの格好は完全にバカンス気分だ。
派手な色のワンピースに、麦わら帽子とサングラス。どこのセレブ女子(女子じゃないけど)だよ。
「先生――」
「ひぃ!」
話しかけようとしただけなのに、操ちゃんがビクンと体を震わせた。
慌てた操ちゃんは俺に顔を寄せ、小声で囁きかける。
「おい、大崎。誰にも言ってないよな?」
「何のことですか?」
「お、お前♡ 私を脅して調教する気じゃないだろうな?」
ん? 調教? ドMかな?
相変わらず操ちゃんは変な教師だ。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬ――」
俺と操ちゃんがコソコソ話をしていると、瑛理子先輩の視線が更に険しくなった。
これから二泊三日の合宿。一体俺はどうなってしまうんだ。




