常識について、教えてください。 Ⅰ
五十六
不意に寒気がした。死角から紗由里が忍び寄ってくる時の、背中を何かが這いずる様なそんな寒気。
「うう~……」
手近に触れていた毛布を抱き寄せながら瞼を開くと、光の奔流に眼を細める。
「まーぶーしーいー……」
毛布に顔を突っ込み、まだ残る眠気に誘われて二度寝の体勢に入る。
「んん……すずめさんって積極的なんだね」
人の声に、ハッと意識を戻す。顔を上げて眩しさに眼を慣らしながら周囲を確認すると、なぜ抱きしめていたか分からないヒメユキさんと目が合った。
「起きちゃったっスか。もうちょっとだったんスけど」
背後から笑う様なソラヅキさんの声が聞こえる。振り返り確認すると、再び正面に視線を戻す。
ヒメユキさんと目が合う。その浴衣は着崩れ、大胆に肌が露出していた。とても綺麗な肌で艶っぽい。羨ましい。
徐々に頭がはっきりしてくる。そして気づく、抱き寄せたはずの毛布が無い事に。
「んんー?」
「すずめさんおはよう。そろそろ解放してもらってもいいかな」
「ああ、ごめんなさい。おはようございます」
「はよっスー」
はてさて、どうして私はヒメユキさんを抱擁していたのだろうか。
「寝ぼけ気味っスねぇ。すずめさんは朝、かなり弱そうっスね」
「そりゃもう、泣く子と朝には勝てません」
「にしても、寝ぼけすぎだよね。まさか逆に脱がされるとは思ってもみなかった」
浴衣を直しながらヒメユキさんが言う。
「そうっスねー。頭から突撃するとは予想出来なかったっス」
何やら笑いあう二人。朝から元気だなと思いながら私も着崩れた浴衣を直す。
更に意識がハッキリしてくる。少し催してきていたのでベッドから降り立ちトイレに向かおうとした時、何かが足に絡まり前のめりに転んでしまった。
「あいたたた……」
「あ、すずめさん大丈夫っスか」
「あらら、大丈夫?」
起き上がりながら足に絡まっていたものを確認する。
それはすべすべした白い布着れだった。パッと見た時には何だか分からなかったが、両手で広げてみるとすぐに思い当たった。
「ぬなっ!」
急いで、浴衣の裾を捲り上げ確認する。同時に血の気が引き、完全に目が覚めた。
パンツ穿いてない! なぜ!?
いくら浴衣が寝崩れているとはいえ、パンツまで脱げるなんて聞いたことが無い。
なぜだろうと、ふとベッドの方に目を向けると、視線の合ったソラヅキさんが不意にそっぽを向いた。なんか怪しい。
「ソラヅキさん。どうかしましたか」
「ど……どうもしないっスよっ……」
明らかに何か隠している気配だ。そのままヒメユキさんに目を向けると、慌てたように視線を逸らす。
「ソラヅキが言い出した事だから!」
「あっ、ちょっ、ヒメさんズルイっス、裏切りっス!」
「あたしは最初反対したんだけどね、ソラヅキが幸せそうなすずめさんの寝顔を見てたらイタズラしたくなってきたっスー。って言ってたの。あたしはただ巻き込まれただけだから!」
「何言ってるっスかヒメさん。二つ返事で手伝ってくれたじゃないっスかー!」
言い争う二人の手には、何かが握られていた。
「その手に持っている物は何ですか?」
訊くと、更に慌てる様に何かを後ろ手に隠した二人。確実に怪しい。
パンツをしっかりと穿きなおすと、ソラヅキさん目掛けて飛び掛る。
「見せて下さい!」
「それはダメっスー!」
取っ組み合いながら手を回し、激しい攻防の末ソラヅキさんの隠していた物を捕まえる。
「これは……」
黒い棒状の物だった。しかも見覚えのある形だ。
端を握りひっぱると、きゅぽっと小さく音を立ててキャップが取れる。もうそれは、見間違うはずも無いイタズラの定番アイテム、黒のマジックペンだった。
改めて、自分の浴衣を少しずらし身体を確認するとお腹のところに猫のような小動物の絵が描かれていた。
「それはソラヅキが描きましたー!」
「ヒメさーん!」
ヒメユキさんが早々に告発する。同時に私はソラヅキさんに飛び掛る。
「うわーん、ゴメンっスー!」
「ゆるさーん!」
謝るソラヅキさんの浴衣を剥ぎ取りマウントポジションに着くと手に持ったマジックペンで、マンガを見て覚えた人体練成の練成陣を大きく描いた。尚、ヒメユキさんはさりげなくソラヅキさんの両手を押さえている。もはや清々しいまでの裏切りっぷりだ。
「じゃっ、また後でお会いしましょう!」
ソラヅキさんに書き終わるとほぼ同時に、脱兎の如くヒメユキさんは部屋から飛び出していった。タイミングといい速さといい、かなりの慣れを感じさせる。清楚そうな顔立ちとは裏腹に、かなり破天荒な性格のようだ。
「ヒメさん、ズルイっスーー」
ソラヅキさんの悲痛な声が虚しく響いた。
その後、ソラヅキさんも「これは何の呪いっスかー……」とビクビクしながら部屋に戻り、私はトイレに行ってから一息つく。
トイレの隣にあった個室のお風呂で落書きを消そうと試みたが、バッチリ油性だったようでほんの少し薄くなった程度で諦めた。
窓から朝の街並みを眺める。街並みといっても、ここから塀までの距離がかなりあるので屋敷の使用人以外の一般人は特に見えない。メイドさんは朝から忙しそうだ。
コンコンと、聞き慣れたリズムで扉をノックする音。きっとあの執事さんだろう。
「すずめ様、お召し物をお持ち致しました。よろしいでしょうか」
「はーい」
窓から離れ、扉を開くと両手で籠を持った執事と目が合った。すると、どういう訳かすぐに目を逸らされてしまった。
「おはようございます、すずめ様。あの、僭越ながら一つよろしいでしょうか」
「おはようございます。で、なんでしょう?」
「そのようなお姿で、男性の前に立たれるのはお控えになさった方がよろしいかと」
言われて自分の姿を確認してみる。
シャワーで一度浴衣を脱ぎ、再度着直したのだが少し面倒だったので帯を緩く締めていた。とはいえ着崩れているわけでもないし、言う程だらしなくは見えないはずだと思う。多分。
一応せめてものおめかしとして、目に掛かる半乾きの前髪を指先で左右に分ける。
「目のやり場に困ります」
執事さんが視線を泳がせながら一言付け加えた。
「え……あ……ああ!」
そういう事でしたか! こんなダンディーな執事さんにそう言われると何やら少しこそばゆい気持ちになってくる。
言われてみれば浴衣の衿は、しっかり閉じているとは言い難い。露わになった乙女の柔肌がとてもセクシーだ。真面目な執事さんを魅惑してしまう私の肢体。罪な女だ。
「うふふ、ごめんなさい」
髪をかき上げてから浴衣の衿をしっかり合わせ、帯を締め直すと執事さんから籠を受け取る。
「すずめ様。お着替えの方がお済みになったら廊下の方へお願いします。それとお脱ぎになったものはその籠へ入れておいて下さい」
「はい、分かりました」
執事さんが退室すると、受け取った籠をベットの脇に置き、浴衣の帯を解いて着替えを取り出す。
くふふ、どうやら私もまだ捨てたもんじゃないらしい。ついニヤけてしまう。お陰でちょっとだけ自信を取り返せそうだ。
気分良く手に取ったのは、見慣れた学校の制服上下だ。所々傷んでいたはずだが修繕までしてくれたようで新品の如くピカピカになっている。ありがたい。
一旦、制服をベットの上に置くと浴衣を脱ぎ籠の底から取り出した下着に着直す。
それから制服を着ると、いつものようにスカートのポケットにスフィアを入れる。
「森野すずめ制服バージョン爆・誕!」
両手を振り上げポージング。しかし、ベットの隣のソファーに掛かる、あの高レベル魔導師用のローブが非常に名残惜しくもある。
後ろ髪を引かれつつも、ローブと脱いだ下着を籠に放り込むと、着替えが終わったので部屋を後にする。




