ファンタジーの街は、私の理想郷でした。 Ⅱ
三十六
猫のアクゼリュスをニコが討伐してから更に歩き続ける事どのくらいか、さやさやと流れる綺麗な川に出た。照り返す日の光、緩やかに弾ける水の音。自然の造った光景は、なぜこうも心が落ち着くのか。
「あー、川だー」
「おう、川だ。ここまで来れば、街まではあと少しのはずだな」
「おお、遂に!」
「ああ、遂にだ。でだな、ここから先は、このままじゃ目立っちまうからな。少し変装するぞ」
そう言うとニコが身を屈めたので、私はその背中から滑り降りる。やはり長時間跨っていたのでちょっと腰にきていた。
しかし変装か、確かにローブや鎧といったものに比べると、私の制服はこの世界では目立つのかもしれない。と言っても、私はこれしか持っていないのだから着替えようがない。
「どうやって変装すればいいの?」
「ん? ああ、すずめはそのままでいいんだよ。変装するのは俺だ。さすがにこの姿のままで街に行くわけにはいかねぇからな。俺の神々しい姿を一目拝もうって奴らに囲まれて動けなくなっちまう」
「あ、そうなんだ。…………ねぇ、私の服って変じゃないのかな?」
寝言の後半は軽く流す。
「まあ大丈夫なんじゃねぇか? 訊かれたら、辺境の民族衣装って事にでもしとけ」
それはちょっと無理がある気がするが、まあいい。気になるのは、ニコがどうやって変装するのかって事だ。角を隠したりでもするのだろうか。
「それじゃあちょっと離れてろ」
言われるがまま、後ずさりニコから離れる。するとニコは光に包まれ、ゆっくりと小さくなっていった。全体像がぼやけると姿を徐々に変えていき、足、胴、腕、頭の形を取っていく。
「な……なななななな……!」
それは、変装というより変身だった。収まった光の中から現れたニコは、角の生えた大きな金馬の姿から白髪碧眼の青年へと姿を変えていた。腰まである透き通るように綺麗な白髪、自信に満ちたような眼差しを放つ碧眼、私より頭二つ分ほど高い背丈、レザージャケットの様なものを羽織り、背には漆黒の短い外套、カウボーイのようなブラウンのズボンに黒いブーツ。そして息を呑んでしまう程の端正な顔立ち。英雄の物語の中の主人公の様な……、いや、どちらかというと、その主人公のライバルとして登場しそうな美青年が、突如目の前に出現したのだ。
「どうしたすずめ。もしかして惚れちまったか?」
「そ、そんなことあるわけないじゃん!」
顔を近づけ不敵に微笑むニコに、脊髄反射的に反論する。だが実際、一瞬見惚れてしまっていたのは事実。しかしこれはどうみたって詐欺だ。なんだってあんな変態がこんなイケメンになってしまうんだ。
「ニコって……人間になれたんだ」
「まあな、正確には人間ってわけじゃないが、組織構成を並び替える事でいくつかの形態をとれるわけよ」
「ふ……ふーん」
正直、余り話は入ってこない。相手がニコだと分かっていても、見つめられてると私の乙女心がスパークしそうだ。そうして視線を泳がせていると、不意に何かがおしりに触れた。
「ひゃっ!」
「おい、どうしたすずめー」
いつの間にかニコが隣にいて、私のおしりを撫で回していたのだ。それに気づくと、今まで以上に顔が上気するのが分かる。
「───……!」
そのまま反射的に蹴りを放つと、ニコの足に命中した。ニコはよろけながら後ずさる。見た目はこんなでも中身は全く変わらない。むしろ今の方が性質が悪い気がする。だから見た目に騙されては駄目だ。
「ほら、早く街に行こうぜ。そろそろ店も開き始める時間だしよ」
何事も無かった様に言うニコを、じっと睨みつける。
「まったく、油断も隙もないんだから」
川沿いを歩きながら、私は川面を覗きこみチラリチラリと見える色とりどりの魚や、それを狙う鳥などを眺めていた。だがそれも最初だけだ。途中からニコが川に突入すると大きく波を立てながら、ど真ん中を歩き始めたのだ。
「すずめも来いよー、気持ちいいぞー」
「いーやー」
「なんだよ、つれねぇなぁー」
言いながらニコは、膝ほどある水を蹴り上げ嬉々とはしゃいでいる。
まあ四百年振りの川なのだろうから許してやるか。
しかしこう見てると、なんともおかしな光景だ。いい大人が子供のように水遊びをしている、宛ら私はそれを見守る母だろうか。否、姉だろうか。
「あ、そういえば。なんで人間の姿になれるのにずっと閉じ込められてたの? 今の姿なら手もあるし開けられるんじゃない?」
はしゃぎ回るニコを見ながら、ふと思ったことを訊いてみた。
「あー、あの扉はな、手を置けば開くってわけじゃねぇのよ。資格を持った人間、研究所の研究員のタグを持っているか、俺たちアルス・マグナに認証された人間だな。じゃなきゃあ開けられねぇ。
それでだな、俺たちには認証する権限はあるが、扉を開ける資格はないわけよ。かといって、あの研究所はそれなりに重要な施設だ。適当な人間を招くわけにもいかないからな、慎重に選ぶ必要がある。すずめはハティが認証した初めての人間ってわけだ」
川に散らばる大き目の石の上をひょいひょいと飛び移りながらニコは説明してくれた。権限はあるが資格はない、だからずっと待っていたというわけか。そして一体いつハティに認証されたのかは知らないが、私が選ばれた。これは結構栄誉ある事なのではなかろうか。
人々を守る守護獣に認められて勇者すずめ。私にぴったりの肩書きだ。
「そうだったんだ。ねえニコ、私は、そんな重要な所に居てもいいのかな」
「んー、いいんじゃねぇか。あいつの見る目は確かだし、すずめはあの研究所を使ってなんか悪巧みでもしてるのか? あの研究所を完全に稼動させれば一国を落とすなんてそう難しい事でもないからな」
「そうなの!? 住みやすくていい所だなって思ってたけど、そんなにすごい所だなんて知らなかった」
まさかの事実。あの研究所に、それ程の秘密があったなんて。贅沢なホテルだとは思ったが、そういえば私の持っている剣も研究所で見つけたんだった。
「だろ? 俺もすずめがそんなくだらない事をするような奴だとは思ってないし、仮にそうだとしたら、出会った時に全部の記憶をぶっ飛ばしてるだろうからな。別に気構えなくてもいいぜ。
それと……ハティは多分、ただ単にすずめと友達になりたいって思っただけじゃねぇかな。それに俺もな。何となくだが一目惚れみたいなものだろう。すずめには惹かれる何かがあるんだよな。それが何か良く分からんが。
だからあいつにしてみれば単純に友達を家に招いたようなもんだ。認証云々について深く考える必要はないぜ」
急に気持ちが沸騰しそうになる。一目惚れとか友達になりたいなんて言われたのは何年ぶりだろうか……。いや、もしかしたら初めてかもしれない。紗由里と仲良くなったのだって、同じのクラスで何となく一緒に居たら、いつの間にか友達になっていた。まさか正面たって言われるなんて思ってもいなかった。
「えっと、その。改めてよろしく」
「ああ、こちらこそな」
手を差し出され、近くの石の上に立っているニコと握手をする。見つめられて少し俯くが、心は早く打ち嬉しい気持ちでいっぱいだった。
「なあ、すずめ」
「ん?」
呼ばれ顔を上げると、ニコがニヤリと怪しく微笑んだその瞬間、
「───なっ!」
繋いだ手をグイッと引かれ、私はニコと共に川へとダイブさせられた。
大きな音と雫を巻き上げて、顔から川面に突っ込む。まだひんやりと冷たい水が、服だけじゃなく下着にまで染み込んでくる。
「ぷはっ! つめたーい!」
「アーーッハッハッハ!」
「もう、いきなりなんなのさ!」
「な、気持ちいいだろ。折角の川なのにすずめは入ろうともしない。それなら俺が手伝ってやろうと、そう思ったわけだ」
「いや、そんな手伝い要らないから……。はぁ、まったくもう……」
確かに少し気持ちいい。とはいえこれから街に行くのに、服がびしょ濡れというのも如何なものか。ニコはそんな事お構いなしといった表情だ。川底にへたり込むと、嬉々と笑うニコを見上げる。
「川嫌いなのか? 俺は川とか湖は好きなんだがなー」
言いながら、全身びしょ濡れになった私をニコは両手で軽々と抱え上げた。同時に余剰の水分が激しく滴り落ちていく。
「すずめは軽いなー」
「そりゃどうも……」
そのまま川辺に運ばれると、ゆっくり着陸した。すると、ニコの両手が淡く光だし、温かい風が突然吹き上げてくる。
「少しじっとしてろよ」
「え、……うん」
コクリと頷く。すると風に包まれ、髪や服、カバンがみるみる乾いていく。
「おおー! すごいすごい!」
「だろ、まだまだこんなもんじゃないぜ!」
ニコがそう言うと、更に吹き上がる風が強くなり、乾いてきた制服が踊り始める。
………………ん?
手を翳しながら視線を下方に向けていたニコの脛を蹴ろうとするも、紙一重で避けられた。性懲りもなくまたやりやがった!
「またか、覗き魔!」
「ちっ、今回は自然な流れでいけたと思ったんだがな」
「一度ならず二度までもー!」
気が治まらずニコを蹴り飛ばすべく走り出すと、ニコも踵を返し逃げるように走り出した。
「待てーー!」
「やなこったー」
川辺を本気で疾走する私と、飄々と逃げるニコ。二人の追いかけっこは、私の体力が尽きるまで続く事になる。




