6
一週間の刻は、光の速さで過ぎ去り、同時に絶望の底に沈む者たちにとっては永遠にも等しい苦痛の時となった。
帝都の中央に位置する、帝国最高権威の象徴――【審判の大殿】。
白亜の巨大なドーム状の建造物は、普段であれば皇帝陛下の名のもとに、輝かしい功績を上げた貴族を讃え、新たな法を制定するための聖域であった。
しかし今日の「帝国最高貴族審議会」は、全く異なる異様な熱気と、醜悪な好奇心に満ちあふれていた。
傍聴席を埋め尽くすのは、帝国の名だたる大貴族、有力な商人、そして各国からの使節たち。彼らの視線は一様に、会場の中央、本来であれば栄誉ある者が立つはずの「被告席」へと注がれている。
そこに立っていたのは、ボロ布のような上着を羽織り、髪を乱し、血走った目で床を睨みつける男――オーレリウス・アンテニウスだった。
「……あり得ない……こんなことが、あってたまるか……!」
オーレリウスは、ガチガチと歯を鳴らしながら、かすれた声で呪詛を吐き捨てていた。
この一週間、彼の人生はまさに地獄そのものだった。
使者としてカエキリア領へ向かわせた騎士たちは、そこで信じがたい光景を目にした。広大な領地には人っ子一人おらず、カエキリア家の館はもぬけの殻。そればかりか、執念深くヴァレリアの手がかりを探そうと館の奥へ足を踏み入れた瞬間、仕掛けられていた「影の魔導陣」が起動したのだ。
館に眠っていたのはヴァレリアではなく、アンテニウス公爵家が過去数十年にわたり、カエキリア家の闇の魔力を不正に搾取し、裏で他家のスキャンダルを揉み消していたという膨大な「闇の台帳」の原本だった。
それらの証拠は、影の魔術によって帝都中の主要な新聞社、ならびに帝立高等裁判所へ一斉に転送された。
翌朝、帝都の街角には「至高の公爵家、その光の裏に隠された醜悪な詐術と横領」という見出しが躍った。
公爵家の信用は一瞬にして地に落ち、帝立中央銀行からの「金貨八十万枚の即時償還命令」が下った。資産を叩き売ろうにも、市場では何者かの手回しによって公爵家の土地や鉱山の価値が暴落。二束三文で買い叩かれ、公爵家は一晩にして文房具一つ購入できないほどの全財産を失った。
家臣たちは給与の未払いを理由に全員が逃亡。
残されたのは、巨額の負債と、暴走した魔導コアによって黒く汚泥のように汚れた廃墟同然の屋敷だけだった。
そして、彼の隣に佇む女性――ラヴィニア・シルウィア。
かつて「聖女」と持て囃された彼女の姿も、見る影もなく落ちぶれていた。右腕の痛々しい包帯からは腐敗臭のような異臭が漂い、美しかった金の髪はボサボサに乾き、顔は恐怖と屈辱で浅黒くやつれ切っている。
「オーレリウス様……どうして……どうして私がこんな目に遭わなければならないのですか……! 私の家も、あなたのせいで破産いたしましたのよ! 父は投獄され、私は……私はもう、おしまいではありませんか!」
ラヴィニアが血の滲むような声でオーレリウスの服を引っ張る。
だが、オーレリウスは冷酷にその手を振り払った。
「触るな、泥棒猫が! 私がこうなったのは、お前のような不吉な女を連れ込んだからだ! 聖女だと!? 治癒の光だと!? 笑わせるな! お前の浅薄な魔術のせいで我が家の結界は完全に破壊されたのだ! お前さえ……お前さえいなければ、私はヴァレリアをうまく手なずけて、公爵家の威厳を保っていられたのだ!」
「何ですって!? あなたが私を口説いたのでしょう!? 『地味な黒髪の女には飽きた、君のような輝く太陽が欲しい』と言って、私を甘い言葉で騙したくせに!」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!!」
被告席で醜く罵り合う二人。
傍聴席の貴族たちからは、容赦のない嘲笑と軽蔑の視線が注がれていた。
「見ろよ、あの落ちぶれた公爵令息を。かつては『帝国の光』などと威張っていたくせに」
「隣の自称・聖女も酷い有様だな。腕の傷すら治せないのに、よくもまあ調子に乗れたものだ」
「カエキリア家を不当に虐げ、その報いを受けたのだ。自業自得という言葉すらぬるいな」
嘲笑の嵐が、オーレリウスの鼓膜を容赦なく叩く。
プライドを切り刻まれ、精神の限界を迎えたオーレリウスは、狂ったように議長席に向かって叫んだ。
「議長! 審議を始めてくれ! 我がアンテニウス家の罪など無実だ! すべては……すべてはあの女、ヴァレリア・カエキリアの企みなのだ! あの化け物を今すぐ国家指名手配にし、私の前に引きずり出せ! あの女の全財産を没収し、私に補償させろ!!」
大殿内に、オーレリウスの滑稽な叫びが空しく響き渡る。
その時だった。
重厚な大殿の双開きの正門が、地鳴りのような音を立てて、ゆっくりと開かれた。
「――帝国最高貴族審議会、最後のご列席者様のご入場です!」
審判の騎士の声が響き渡ると同時に、会場内の空気温度が、一瞬にして数度下がったかのような錯覚が走った。
入り口から差し込む光を遮るように、足を踏み入れたのは――二人の男女だった。
一人は、身の丈を越す堂々たる体躯に、漆黒と金糸で飾られた大公家最高位の軍服を纏った男。月光を編み込んだかのようなプラチナシルバーの髪と、宵闇の中に爛々と輝く深紅の瞳。
帝国北方を統べる絶対の覇王――カシアン・セヴェルス大公であった。
だが、会場にいるすべての者の視線を奪い、その息を呑ませたのは、彼の隣に寄り添う一人の女性だった。
絹のように滑らかな、夜の底をそのまま掬い取ったかのような、圧倒的な漆黒の長髪。
一切の濁りを持たないその髪は、一歩歩くごとに星屑のような妖しい光を放ち、彼女の白磁の首筋と、露出した美しい背中を鮮烈に引き立てていた。
身に纏うのは、最高級の闇のシルクで織り上げられた、極夜色のドレス。胸元には、巨大な黒ダイヤモンドが怪しい輝きを放ち、彼女の動きに合わせて優雅に揺れている。
そして何より、周囲を圧倒したのはその顔立ちと「瞳」だった。
カラーレンズという醜い偽物を脱ぎ捨てたその双眸は、すべてを吸い込むような、深遠なる漆黒。
その瞳には、世界のすべてを見通し、あらゆる存在を足蹴にするかのような、高貴で冷酷な「女王」としての威厳が宿っていた。
「な……っ!?」
オーレリウスの目が、限界まで見開かれた。
呼吸が止まり、心臓が口から飛び出しそうなほどの衝撃が彼を襲う。
(ば……馬鹿な……!? あれが……あれが、ヴァレリア……!?)
かつて彼が「地味」と蔑み、「枯れ木」と笑い、「髪の色が不吉だ」「瞳が不愉快だ」と切り捨てた、あの惨めな婚約者の姿は、そこには微塵も存在しなかった。
そこにいるのは、息を呑むほどに美しく、神聖で、そして恐ろしいほどに艶やかな、世界の中心に立つべき真の貴婦人だった。
「まあ……なんてお美しい……」
「あれが……カエキリア家の……? 没落貴族の令嬢などではなく、まるで夜の女神そのものではないか……!」
「見ろ、セヴェルス大公殿下が、あんなにも愛おしげに彼女の腰を抱いているぞ……!」
傍聴席から、どよめきと感嘆の声が巻き起こる。
カシアンは、優雅な手つきでヴァレリアをエスコートし、議長席の真下、最も尊い賓客のための特別席へと彼女をエスコートした。
ヴァレリアは、静かにドレスの裾を整えて座ると、ゆっくりと視線を動かした。
そして――被告席で絶望に顔を歪ませ、ガタガタと震えているオーレリウスと、その隣で惨めに地べたに這いつくばるラヴィニアの上に、その漆黒の双眸を滑らせた。
その視線には、怒りすら入っていなかった。
ただ路傍の石ころ、あるいは踏み潰された虫ケラを見るかのような、完全なる「無関心」と「見下し」。
「ヴァ……ヴァレリアぁぁぁっ!!」
オーレリウスは、理性を吹き飛ばして叫んだ。被告席の柵を叩きつけ、身を乗り出す。
「ヴァレリア! お前、何をしている!? なぜそんな男の隣にいる!? なぜそんな格好をしているんだ! 私の好みに合わせろと言っただろう! その禍々しい黒髪を今すぐ染め直せ! その瞳を隠せ! 地味で大人しい、私の知っているお前に戻れぇぇっ!!」
狂乱するオーレリウスの悲鳴。
大殿内が静まり返る中、ヴァレリアはクスリと、鈴を転がすような美しくも冷ややかな笑声を漏らした。




