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【完結】もう、あなたの好みに合わせる必要はありませんので、さよなら。  作者: 逆立ちハムスター


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朝の光が、極北の地にそびえる黒曜石館の窓を白く染めていた。

帝都では今頃、太陽の光が昇ると同時に、地獄の開宴を告げる鐘が鳴り響いているはずだ。


私は黒檀のドレッサーの前に座り、鏡に映る自分の姿を静かに見つめていた。


そこにいるのは、もうあの死人のように肌が荒れ、枯れ草色のパサついた髪をした、哀れな没落貴族の令嬢ではない。

毎晩の強烈な魔力洗浄と、カシアンが手配してくれた極上の霊薬エルキシルの効果により、私の肌は白磁のように滑らかなツヤを取り戻していた。そして、肩から背中へと溢れ落ちる髪は、一切の濁りを持たない純然たる漆黒。光を反射するたび、まるで夜空の星屑を吸い込んだかのように妖しく艶めく。


「……これが、本来の私」


鏡の中の自分に向かって呟く。

瞳は、カラーレンズの呪縛から完全に解き放たれ、深い深淵の色を宿していた。その瞳の奥には、長年溜め込んできた怒りと、これからの反撃に対する冷たい愉悦が、漆黒の炎となって静かに燃えている。


「美しいな」


部屋の入り口から、低く甘い声が届いた。

振り返ると、カシアンがドアのフレームに寄りかかり、私を熱っぽい眼差しで見つめていた。彼はプラチナシルバーの髪を無造作になびかせ、黒地に金の刺繍が施された上着を羽織っている。彼が身に纏う圧倒的な覇気と、その端正な顔立ちは、相変わらず一画の絵画のように完璧だった。


カシアンはゆっくりと歩み寄り、私の背後に立つと、ドレッサーの上に置かれていた漆黒の宝石――黒ダイヤモンドが散りばめられたチョーカーを手に取った。


オーレリウスが私に強制した、内側に針が仕込まれたあの鈍色の鉄くずとは違う。

それは、純粋な魔力を活性化させ、私の「影」を無限に補幅するための、最高級の魔導具だった。


「つけてもいいか?」

「ええ、喜んで」


私が首筋を見せるように髪を少し持ち上げると、カシアンの大きな手が、私の温かい肌に優しく触れた。

カシアンの指先から伝わる心地よい体温と、かすかな竜の魔力。彼が丁寧にチョーカーの金具を留めると、その瞬間、胸の奥から心地よい魔力の波動が溢れ出し、全身を温かく包み込んだ。


「よく似合っている。やはり、お前には黒と闇こそが相応しい。あの浅薄な公爵令息が押し付けた安っぽい白など、お前の輝きを汚す泥に過ぎなかった」


カシアンは私の肩に手を置き、鏡越しに視線を交わした。その深紅の瞳には、かつて誰も私に向けたことのなかった、絶対的な承認と深い愛着が宿っていた。


「ありがとうございます、カシアン様。……さて、帝都の『報告』は、届いておりますかしら?」


私がそう尋ねると、カシアンは口元を凶暴なほど美しい笑みに歪め、ポケットから一通の羊皮紙を取り出した。


「ああ。我が『ノックス』の潜入部隊から、実に素晴らしい早馬が届いたところだ。お前の仕掛けた毒が、アンテニウス公爵邸をどう苛んでいるか……聞いて驚くなよ」


カシアンは私の隣の椅子を引き寄せて座り、その報告書を読み上げ始めた。


---


時を同じくして、帝都――アンテニウス公爵邸。


昨夜の「星灯の晩餐会」での大惨劇から一夜が明け、普段であれば澄み切った朝日が差し込むはずの公爵邸は、いまや異様な重苦しい空気に包まれていた。


かつて公爵家の権威を象徴していた、純白の大理石で出来た壮麗な館。

しかし、その壁面や巨大な柱には、まるで腐食したかのような不吉な「黒い斑点」が浮かび上がっていた。ヴァレリアが暴走させた闇の魔力が、結界の基盤を完全に破壊し、館全体に毒素として残留してしまったのだ。庭園に咲き誇っていたはずの聖なる白薔薇は、一晩にしてすべて黒く変色し、不気味に枯れ果てていた。


そして、公爵邸の豪華な応接間には、凄まじい怒号と悲鳴が響き渡っていた。


「どういうことだ!! なぜ結界が復旧しない!? 技師どもは何をしている!!」


バンっ! と、高級な象嵌細工のテーブルを激しく叩きつけたのは、オーレリウス・アンテニウスだった。


今日の彼の姿には、かつての「光の貴公子」としての完璧な面影はかけらもなかった。

寝不足で目の下には色濃いクマが浮かび、自慢の金髪は乱れ、顔色は土気色に変色している。昨夜、ヴァレリアが放った圧倒的な闇の圧迫感と、彼女が残した死の恐怖が、彼の精神を根底から苛み続けていたのだ。


「も、申し訳ございません、オーレリウス様!」

ひざまずく公爵家の専属魔術師たちが、ガタガタと震えながら頭を擦り付ける。

「結界の魔導コアそのものが、強烈な闇の魔術によって『拒絶反応』を起こしております! 従来の光の触媒をどれだけ投入しても、コアがそれを弾き返し、逆に破裂しそうになってしまうのです! まるで……まるで、コアそのものが『別の魔力構造』に適応してしまっていたかのように……!」


「馬鹿な! 我がアンテニウス家の結界が、闇の魔術に適応していたなどと、そんな戯言があるか!」


オーレリウスは唾を飛ばして叫んだ。

しかし、彼の脳裏には、昨夜ヴァレリアが言い放った冷酷な言葉が、呪いのようにリフレインしていた。


『私の本質は、あなたの薄っぺらな光の魔術など、一瞬で噛み砕いて呑み込んでしまう、底なしの深淵。あなたが毎日のように私に強いたあの安物の劇薬も、私の瞳を隠す呪具も、すべては、あなたが私に怯えないための免罪符に過ぎなかったのですよ』


(嘘だ……嘘だ! あんな地味で、無能で、大人しいだけの女が……! 没落貴族の出来損ないが、私より強い魔力を持っているはずがない! 私が……私が育て上げてやった人形の分際で……!)


オーレリウスは激しい爪を噛んだ。

彼にとって、ヴァレリアは自分の所有物であり、自由に踏みにじっていい存在だった。自分を引き立てるための、地味で惨めな背景。

それが一瞬にして翻り、自分を遥かに凌駕する怪物として牙を剥いたという現実を、彼の肥大化したプライドはどうしても受け入れることができなかった。


その時、応接間のドアが力任せに押し開かれた。


「オーレリウス様ぁっ!!」


甲高い、ヒステリックな悲鳴と共に駆け込んできたのは、ラヴィニア・シルウィアだった。


昨夜、華やかなサファイア色のドレスを着てオーレリウスの隣で誇らしげに笑っていた「聖女」の姿は、そこにはなかった。

彼女の右手から腕にかけては、真っ黒な痛々しい包帯がぎちぎちに巻き付けられており、その隙間から覗く肌は醜く赤黒く腫れ上がっている。昨夜の魔導コアの暴走による、魔導火傷の痕だ。


「オーレリウス様! どうにかしてくださいまし! この手……私の美しかった手が、こんな姿に……! どの治癒術士に見せても『闇の毒が骨まで達していて治せない』と言うのですわ! 早く、一番腕の良い国家治癒術士を手配してください!」


ラヴィニアはオーレリウスの袖に縋り付き、なりふり構わず泣き叫んだ。

だが、今のオーレリウスにとって、その悲鳴はただの不快な雑音でしかなかった。


「鬱陶しい! 触るな、この役立たずが!」


オーレリウスは、縋り付いてきたラヴィニアを容赦なく振り払い、床へと突き飛ばした。


「キャッ……!?」

ラヴィニアは大理石の床に倒れ込み、信じられないという目でオーレリウスを見上げた。


「な……何をするのですか、オーレリウス様!? 私はあなたの愛するラヴィニアですわよ!? あなたの隣に立つにふさわしい、聖女なのですわよ!?」


「聖女だと!?」

オーレリウスは残忍な笑みを浮かべ、床に這うラヴィニアを見下ろした。


「昨夜、お前が何をした!? 『私の治癒の光で抑えて見せますわ』などと大口を叩いて前に出た挙句、ヴァレリアの威圧一発で失神し、結界を暴走させて我が家の財宝庫を半分吹き飛ばしたのは誰だ! お前のような何の役にも立たない女を信じたせいで、私は社交界の笑いものになったのだぞ!」


「そんな……! あれはあの化け物……あのヴァレリアとかいう女が狂っていたからですわ! 私は被害者です! あなたが私を守ってくださるというから、あの女を煽って――」


「黙れ!!」


オーレリウスの激怒の叫びが、部屋に響き渡る。

二人の間にあった、うす甘い「愛」などという幻影は、危機を前にして一瞬で瓦解していた。そこにあるのは、互いを自らの欲望のために利用しようとして失敗した者同士の、醜い罪の擦り付け合いだけだった。


「だいたい、お前の実家であるシルウィア子爵家など、我が家から見ればハエのようなものだ! その火傷を負った醜い腕で、我がアンテニウス家の公爵夫人になれるとでも思っていたのか!? お前など、ヴァレリアの代わりに私の好みに合わせて飾っておく『玩具』に過ぎん!」

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