(1)
日々、文明が発達していく人間社会と決別し、独自の生活圏を保っている箱庭。
それが幻想郷。
澄んだ風と水は豊かな緑を育み、多くの自然が、昔のままに残っている。
それは、自然に対しての畏れと敬いが、幻想郷に住まう人々の心に受け継がれてきたからだ。
万物には神が宿るという考えかた。
あるいは、山や森は精霊の住みかだという考えかた。
科学の発展と共に失われた自然信仰が、幻想郷においては、連綿と受け継がれているのだ。
「霊夢さん。教えてくださいよ」
「もう。しつっこいわね」
阿求は、霊夢の背中を追い回していた。
朝から、ずっとこんな調子である。
「だいたい、頼んでおいた薪割りはどうしたのよ?」
「終わりました」
「じゃあ、洗濯」
「終わりました」
「くっ……」
予想外であった。
阿求は、常人離れした記憶力を持っているので、一度教わったことは忘れない。
あとは肉体労働に勤しんで、コツを体に染み込ませれば良いのだ。
指導係からすれば、阿求は実に優秀な生徒であった。
だが、今日に限って言えば、仕事で手一杯になっていてほしかった。
暇さえあれば霊夢のところにやって来て、取材を試みようとするのだ。これじゃ、作家では無く新聞記者だ。
他人に、胸の内を詮索されるのを激しく嫌う霊夢は、しつこくつけ回されるのが苦手なのだ。
加えて、
(真相を話すわけにはいかないし……)
という事情もあって、霊夢は貝のごとく口を閉ざしているのである。
先ごろ、ちょっとした事件があった。
いろんな種族が混在し、いろんな力を行使できる者たちが跋扈している幻想郷では、珍事が起きやすい。
その中でも、特に大きな事件は、異変と称して歴史にその名が刻まれる。
阿求は、それらの事件も幻想郷縁起に記載せねばならないのだ。
「霊夢さん、知っているんでしょう? あの日、夜が明けなかった理由を」
博麗の巫女は、幻想郷の秩序維持が仕事である。異変が起こったならば、即座に出役して解決に当たる。
となれば必然的に、異変と深くかかわることになる。
だから阿求は、事件の詳細を聴取しようと、記者のごとく霊夢に張り付いているのだ。
「さぁね。どうかしらね」
霊夢ははぐらかした。
「いつまでも夜が終わらないなんて、まるで春雪異変の再現じゃないですか。やはり、あの異変と同様に、首謀者である永遠亭の人たちが、なにかの力を使って夜が明けないようにしていたのでしょうね」
より正確な情報を得たい阿求は、めげずに食い下がった。
「どうかしらね。輝夜と弾幕勝負で勝った後、夜が明けたのはたしかだけど」
ということは、幻想郷縁起に記すことができるのは、夜が永く続いたということと、霊夢が輝夜に弾幕勝負で勝ったことにより、異変が解決したということだけだ。
しかし匂う。
霊夢は意図的に、表面的な情報だけを阿求に伝え、ぼんやりした受け答えに終始することで、核心部分を隠しているような気がしてならない。
「なにか、真相を語れない訳でもあるのですか?」
「なんでそう思うのよ」
霊夢は、表情を変えない。阿求を見つめるその瞳は、ぞっとするほど澄んでいる。
質問を重ね、その心中を図ろうとしているのは阿求なのに、こちらが心の中を見透かされているような気分になる。
「なんとなく、ですけど……」
こればかりは、感性と言う他に無い。
夜が明けなかったあの日、阿求は、わずかな違和感を覚えた。
それはもしかしたら、夜が明けなかったというだけでは無く、もっと大きななにかを感じとっていたのかもしれない。
だが、阿求はどこまでいってもただの人間。
その違和感がなんであるのか、想像を広げていくことができない。
そこで霊夢に取材をしているわけだが。
「なんとく、じゃ、根拠が弱いわね」
かる~く、あしらわれてしまう。
役者が違っていた。こういうところに、博麗の巫女たる霊夢と、記憶力が良いだけの一般人の差が出てしまう。
こうして霊夢に口をつぐまれたのでは、阿求の地頭だけで、真相究明をするのは困難だ。
「ていうか、阿求。永遠亭には取材に行ったの?」
異変の首謀者なのだから、あちらに取材を申し込んだほうが、より詳細な事実を知ることができるはずだ。霊夢を追い回すよりは効率的である。
「それは、おっしゃるとおりなんですが、永遠亭に行くのは難儀でして」
永遠亭は、里の外れ、迷いの竹林と呼ばれる竹林の奥に建っている。
その呼び名のとおり、道に迷いやすいので、里の人間は近寄らないようにしている。
「あれ、永遠亭の連中が、竹林に細工をしてたらしいわよ」
なぜかはわからないが、人の目に触れたく無かった永遠亭の人たちが、竹林に呪いを施して、ずっと姿を隠していたらしい。
だが、先の異変解決を区切りとし、呪いを解くことにしたそうだ。
「ですが、そもそもあの竹林は迷いやすいですし、狼もいますし、妖怪と出くわすかもしれません」
だから、阿求が永遠亭におもむくのは危険が大きいのだ。
「霊夢さん。もしよろしければ……」
「嫌よ」
「まだなにも言っていないじゃないですか」
「どうせ、永遠亭までの護衛を頼むとか、そういうことでしょ」
霊夢は鋭かった。
まさに、阿求がお願いしようとしたのは、そういうことなのである。
「私は、あんたのお守り役じゃないのよ」
定期的に博麗神社に寝泊まりさせているのは、酒とご馳走を振る舞われた恩を返すため。
それ以上、阿求のめんどうを見るのは対等性に欠ける。
正論であった。
合理主義者と言うこともできるが、情のうすい冷めた人間である。
「じゃ、そういうことだから」
霊夢は、自室に戻って行った。
こうまで突き放されては、もはや霊夢を追いかける気力が沸いてこなかった。
「永遠亭、ですか」
博麗神社の境内からは、人間の里を一望することができる。
しかし、永遠亭のある迷いの竹林の付近は、ぼんやりと霧がかかっていて、全貌を見ることはできない。
阿求は、竹林の方角を見やった。




