(3)
「ごめんください!」
阿求は、背中に風呂敷包みを背負っていた。
「いやー。やっぱり、娑婆の空気はおいしいですねぇ」
などと、的外れなことを言うほどに、気分が高揚している様子。
「とりあえず、上がんなさい」
「はい!」
霊夢は、客間と称しているものの、ほとんど使用されていない部屋に、阿求を案内した。
「稗田家の屋敷に比べたら手狭でしょうけど、数日の間、寝泊まりするだけなら困らないでしょ」
「ありがとうございます」
荷物を座敷に置いた阿求は、目を輝かせながら部屋を見渡した。
(なにがそんなにめずらしいんだか)
部屋の中にあるのは、布団がしまってある押入れ、机、衣桁くらい。めずらしいものなんて、ひとつも置いてやしないのに。
「さて阿求。さっそく仕事よ」
「なんでしょうか!?」
ぎゅっと両手を握り、気合の入りようを表現する阿求。
「まず、押入れの布団を日干してもらうわ。晴れてるうちにやっておかないと、今日はかび臭い布団で寝ることになるわよ」
「うぇっ? かび臭いんですか……」
「あんまり使って無いからね。時間があるときに干しているから、そこまでひどくは無いけれど、稗田家の布団に慣れてる阿求には、キツいと思うわよ」
「す、すぐにやりますっ!」
「あっ。ちょっと待って……」
霊夢の静止を聞かず、勢い良く押入れの襖を開けると埃が舞ってしまった。
けほけほとむせる阿求に、
(これは、前途多難ね)
霊夢は、ひそかにため息をついたのだった。
※
「じゃあ、次は薪割りをお願いするわね」
「おぉ。下働きの定番」
下働き、という否定的な言葉とはあべこべに、阿求の瞳は輝いていた。
(意味がわからないわ)
霊夢は、阿求の価値観が理解できなかった。
人里から離れた、不便な丘の上の神社で独り暮らしをしている霊夢である。
屋敷の者たちが、身の回りのことをすべて世話してくれる生活など、極楽としか思えない。
(でもまぁ、他人からしたら、その人の悩みなんて、理解できないのが普通なのかもしれないわね)
阿求がなにを思い悩み、どうしたら解決をすることができるのか。それを見つけなければならないのは、他ならない阿求なのだろう。
「霊夢さん。斧がありませんよ?」
「斧? 斧なんて使わないわよ」
「しかし、巻き割りと言えば、こう、斧を大きく振りかぶって、ぱかーんと薪を割るものだと聞き及んでいますが」
さすがは稗田家のお嬢様。庶民とは感覚が離れているせいで、知識に偏りがある。
まずは、その偏った知識を整えなければならない。
「そんな危なっかしい真似はしないわよ。第一、斧なんか振り回したら疲れるでしょ。これを使うの」
「鉈、ですか?」
巻き割り台に突き立っている鉈は、阿求でも簡単に持ち上げられるほど軽かった。
「そう。まずは、薪を台に置くでしょ。そしたら、鉈を押し当てて、木槌で叩く。鉈が薪に食い込んだら、こうして……」
霊夢が、鉈が食い込んだ薪を、台にとんとんと軽く叩きつけていくと、薪がきれいに二つに割れた。
「どう? 簡単でしょ? これを、薪が使いやすい大きさになるまで繰り返すの」
「なんだか、地味ですねぇ……」
「家事に派手さなんて求めてどうすんのよ。さぁ、燃料はいくらあっても足りないんだから、どんどん量産してちょうだい」
「は、はい」
阿求は、見よう見真似で、薪割に着手した。しかし。
(遅っそ……)
阿求は、慎重に慎重を期して鉈を扱おうとしていた。そのため、一本の薪を割るのですら、非常に苦労していた。
そして、ようやくに薪が二つに割れると、額の汗を拭ってひと休み。そして、割れた薪を手に取って、次の作業に移る。
この調子では、手際よく作業できるようになるまで、どれほどの時間を要することか。
(でも、これが初めての雑事なのよね)
そう考えれば、上出来なのかもしれない。
なんせ阿求は、雑事どころか、刃物を扱うのも初めてなのだから。
それを監督する霊夢には、大空のごとき寛容さが求められるだろう。
「それじゃ、ゆっくりでいいからね。あんたに怪我なんかされた日には、稗田家の連中から、なにを言われるかわからないから」
釘を刺して、薪割場に阿求を残した。
本音を言えば、ずっと見守ってやりたいが、それは阿求のためにならない。
阿求が求めているのは、自立だ。
霊夢の見るところでは、阿求は、自分の力だけで、なにかをやり遂げたいと欲しているように思える。
そのための第一歩として、稗田家の屋敷を出ようとしたのだ。
ただし、これも霊夢の見るところでは、時期尚早。
いきなり屋敷を出るなんて言い出したら、使用人総出で反対されるのはわかりきっていた。
だから、あくまでも阿求の生活拠点は稗田家のままにすることにした。
(阿求の要求を丸飲みするのが癪だったっていうのもあるけどね)
でも、結果としては、ちょうど良い着地点だったように思う。
たまには違った環境で執筆作業をしたいという口実のもと、定期的に博麗神社に寝泊まりする。
そこで簡単な家事を手伝ってもらって、まずは生活力の基礎を身に着ければいい。
おそらく、霊夢の仕事はそこまでだ。
阿求が、心の底から欲求を満たすことのできる場所は、他に用意される。
はきとは確証が持てないが、巫女の勘がそう告げている。
これは、阿求が阿求として、なにごとかを達成するための、序章なのだと。




