(2)
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いっとき雨があがっても、油断できないのが梅雨という季節。
空には常に雲がかかっていて、いつまた雨が降り出してもおかしくは無い。
番傘を手にして草履に足を通す。
屋敷から出ると、じっとりと湿った空気を、肌で感じることができた。
門を出た阿求の後に、二人の若い男性の従者が続いた。
いわゆる、御供というやつだ。
これは、甘んじて受け入れる他に無い。
阿求は、異常な記憶力の他に能力を持たない普通の人間である。
妖怪などに襲われたとき、自衛の手段が無いのだから、里の外に出る際には、護衛を兼ねて、誰かに着いてきてもらうのは当然のことだった。
里の入り口に付近に設置されている、火の見櫓を横目に見て、人里を後にした。
目のまえの景色が開ける。
里は、しっかりとした土塀と、天然の堀である川に囲まれている。
だから幻想郷の人間たちのほとんどは、塀で囲われた里の中で、固まって暮らしている。
いざ妖怪たちが本気になったら、この程度の防衛施設なんて役に立たないけれど、気休めというやつも大事だ。
里を見下ろすようにそびえている、小高い丘を迂回すると、山道を登るための階段が敷設されている。
数百にもおよぶ階段を、地道に一段ずつ登っていく。
空を飛ぶ能力があればひとっ飛びだろうが、無論、阿求にも御供の者たちにも、そんな能力は無い。
歩みを進めているうち、首に汗が浮かんできた。
手拭いを当てて、汗を吸いとった。
階段を上る。
ちょっと休憩する。
また階段を上って、ちょっと休憩する。
それを何度か繰り返していると、ようやく階段の終わりが見えた。
朱色の鳥居をくぐった先に、それは建っている。
博麗神社。
幻想郷を守護している、博麗大結界の源だ。
「あら、阿求じゃない」
お茶をしていた霊夢は、すぐに阿求一行に気がついた。
霊夢は、阿求と同じくらいの年代の女の子だ。
しかし、年若い乙女にもかかわらず、妖怪の賢者に能力を見出されて、博麗神社の巫女を任されていた。
「なにか用?」
「いえ。特別、用事があったわけでは無いのですが……。こんな天気では、気分も滅入ってまいりますので、景気づけでも。と」
御供が持参した包みを解かせ、二本の大きな徳利と、稗田家の家紋が刻まれた重箱を縁側に置いた。
徳利の中身は、もちろんお酒。重箱の中は、酒肴が詰め込まれている。
阿求は、霊夢と酒を酌み交わそうと、酒と肴を用意して、はるばる博麗神社を訪ねて来たのだ。
「私も暇をしていたから、それはありがたいけど……」
霊夢の仕事は、妖怪たちが怪異を起こしたらすぐに出役して、異変を鎮めることだ。
たいそうな役目ではあるけれど、霊夢が出張らないといけない規模の怪異なんて、そうそう起こるわけもなく。
だから霊夢の主な仕事は、博麗神社に詰めていることみたいなところがあり、暇を持て余していることが多い。
「貴方たちは、先に屋敷に帰っていてください」
「しかし……」
「大丈夫よ。帰りは私が送るわ。もし遅くなるようなら、神社に泊まっていけばいいし」
御供たちは渋っていたが、結局は、すごすごと屋敷にひき返していった。
残念ながら、妖怪退治の専門家である霊夢のほうが、護衛として頼りになるのである。
「さて阿求、どういう風の吹き回しかしら?」
「え……」
「豪華な貢物や酒や料理は、交渉事を有利に進めるための、常套手段でしょ。なにが目的なの?」
単刀直入に言われて、阿求は後ずさりをした。
博麗の巫女に抜擢されるだけあって、霊夢の目のつけどころや勘の鋭さは、常人のそれとは、かけ離れている。
「その様子じゃ、やっぱり、腹になにかを抱えているのね」
「とりあえず、上がらせてもらっていいですか?」
阿求は、霊夢の返事を待たずに、玄関へ向かった。
※
「稗田家の屋敷を出たい!? あんた本気で言ってんの!?」
霊夢は目を丸くして驚いた。
「や……、本気っていうか……、願望みたいなものというか……」
雨が降り出していた。
本降りだった。
阿求の声は、雨音にかき消されてしまいそうなほど、小さかった。
それは、阿求の自信の無さを表していた。
「しかしまぁ、なんでそんなこと」
霊夢は、重箱の煮しめに箸を伸ばした。
シイタケ、ニンジン、がんもどき、いんげんが、ぎっちりと詰め込まれている。
濃いめに甘辛く味付けされた煮しめは、お酒によく合った。
「屋敷の者たちは、私を甘やかしすぎなんです」
うんざりとした顔で、阿求。
軽く咳払いをすれば、風邪ではないかと疑う。
着物の小さなほつれを、自分で直すことも許してくれない。
炊事洗濯なんていうのは、もっての他。
こんな生活をしていたら、自分が自分で無くなってしまいそうで、怖い。
「うぅん」
気持ちは、わからんでも無い。
霊夢は、盃に注がれた酒を呑んだ。
「でもねぇ。不満なんて、一時的に解消されても、どうせまた別の不満が沸いてくるものよ」
阿求と、ほとんど年齢が違わないのに、達観したことを説く霊夢。
阿求にとっては、こういうことを、さらりと言える霊夢がうらやましい。
籠の中から出て、自らの責任で、自らの生活を管理する。そうしていくうちに、自分の経験によってつづられた、哲学書ができる。
そんな生活に憧れる。
箱入り娘の甘っちょろい妄想かもしれないけれど、そういう暮らしに、いのちの輝きを覚えるのである。
「ちょっとくらいの怪我や火傷を負っても、自らの感覚で経験した痛い熱いは、なにものにも代えがたい財産のはずです!」
「お、おぉ……」
阿求は身を乗り出す。
なかなかに、熱い想いを抱えているようだ。
さしもの霊夢も、その圧に押されそうになった。
「さきほど、霊夢さんは、不満と表現されましたが、私が抱えているのは、不満とは違うものだと思うのです」
そこまではわかる。
だけど、具体的に、どう行動すれば良いのか、自分に、なにをしてあげればそれが解消されるのかがわからない。
「なるほど」
このままではいけないという、心の声を拾うことはできる。しかし、どこに向かえば良いのかという指針が見つからない。
阿求が自信無さ気なのは、そういうことだった。
「さしあたっては、博麗神社にご厄介になりたいと思っております」
「はぁ!? イヤよめんどうくさい」
霊夢は咄嗟に箸を置いたが、もはや遅かった。
「食べましたよね?」
「うぐっ」
「お酒も、呑まれましたよね?」
「うぐぐっ」
「まだまだ、たくさんありますよ?」
阿求は、にこりと笑って徳利を持ち上げた。
ここは、なんでもありの幻想郷。
目的を果たすために手段なんか選んでいたら、妖怪の餌になるのがオチなのである。
おいしいお酒と料理は、毒よりも怖い。
文字通り一杯食わされた霊夢は、観念して阿求の酌を受けた。




