第27話 五年前の真実
ルッツの身柄が宮廷に移送された翌日、サージュが法務局で私を待っていた。
机の上に、ルッツの地下室から押収した書類が広げられている。瓶のラベル、取引の記録、調合の配合表、そして——一冊の手帖。ルッツ自身の記録だ。表紙は黒い革で、角が擦り切れている。長年使い込まれた一冊。
「ヴァーゲンさん。ルッツの手帖に、ダフネの件が書かれています」
サージュの声は平坦だった。だがその平坦さの下に、緊張が張り詰めている。五年間ずっと探し続けた答えに、ようやく手が届く瞬間だ。
手帖を開いた。ルッツの字は意外に丁寧だった。師匠と同じ訓練を受けた人間の字だ。素材名の書き方、分量の記載法——香術局の教育が染みついている。道を外しても、身体に刻まれた技術は消えない。
五年前の日付のページ。インクの色が他のページと少し違う。年月を経て褪せている。
『伯爵より指示。香術局の女——ダフネ・アンデール——が告発の動きを見せている。処分すること。手法は銀蓮花とトリカブトの複合。以前の実験で確立した配合を使用する。実行日は告発文の到達から十日以内』
「以前の実験」という言葉に背筋が凍った。ルッツは師匠を殺す前に、この手法を「実験」していた。ダフネが最初の犠牲者ではなく、実験台だった可能性もある。
次のページに、実行の記録があった。
『実行完了。銀蓮花の芳香がトリカブトの匂いを完全に覆い隠すことを確認。死因は急病と診断された。成功。——次回は濃度をさらに調整し、即効性を高める予定』
成功。この男は、人を殺したことを「成功」と記録している。しかも「次回」の改良まで計画している。技術者としての記録であり、人間としての感情が欠落している。
ダフネの次のページには、師匠の件の記録もあった。五年後の日付で。
『二度目の実行。対象はオーレリア。以前の手法を改良し、トリカブトの配合比率を変更。即効性を高めた。——実行は外部侵入による茶への混入。当番表の操作はハインツが担当。成功』
師匠の死もまた、「成功」と記されている。二度目の「成功」。
サージュが手帖を手に取った。姉の死が「実行完了」「成功」と記された文字を、この人は今、読んでいる。
長い沈黙が落ちた。法務局の面会室の窓から差し込む光が、机の上の手帖を照らしている。五年分の埃が積もった真実が、ようやく日の光に晒されている。
「サージュさん。大丈夫?」
「大丈夫です。——これで、ダフネの死因が確定しました。銀蓮花とトリカブトの複合中毒。オーレリア先生と同じ手口。同じ犯人。同じ指示者」
サージュの声は揺れなかった。だが、手帖を持つ指の力が強い。紙が少し歪むほどに。
サージュが手帖を閉じた。
「五年間、ずっと探していた答えが、ここにありました。姉は告発文を書いた。正しい手順を踏んだ。それなのに殺された。——でも今、姉の告発が正しかったと証明された。遅すぎたかもしれない。でも、証明された」
その言葉を聞いて、私は師匠のことを思った。師匠もまた、正しいことをして殺された。正しさが報われるまでに、長い時間がかかることがある。それでも、正しさを選び続けた人たちがいた。
ダフネ。師匠。モーリッツ。三人とも、正しい側に立って命を落とした。その正しさを、今、私とサージュが証明した。
「サージュさん。お姉さんのお墓に、報告に行きたい?」
「……行きたいです。いつか」
「一緒に行くわ。カモミールの花を持って」
サージュが私を見た。眼鏡のない目が、月明かりの中で深い色をしている。何か言いかけて——やめた。代わりに、小さく頷いた。
その頷きの中に、言葉にならない感謝があった。言葉にしなくても伝わるものが、私たちの間にはある。法廷で共に積み上げた法廷で共に積み上げた信頼の厚みが、沈黙そのものを雄弁にしている。
私は手帖を鞄に戻した。ルッツの手帖は証拠として封印される。だが、そこに書かれた真実は、もう消えない。
◇
その夜、法務局の屋上で、サージュと並んで座った。
屋上からは宮廷の夜景が見える。尖塔に灯りがともり、回廊の窓から暖かい光が漏れている。星が出ていた。
「ヴァーゲンさん。姉のことを話してもいいですか」
「もちろん」
サージュが眼鏡を外した。サージュが自分から眼鏡を外すのを見るのは、これで何度目だろう。だが今夜の外し方は、いつもと違った。疲労や思案のためではなく——素の自分を見せるためだ。
「ダフネは、真っ直ぐな人でした。不正を見つけたら、まず相手に直接言う。手順を踏む。法を信じていた」
サージュが空を見上げた。星が一つ、二つと増えていく。
「姉が亡くなったとき、俺は十九歳でした。まだ何も知らない学生だった。姉の死因が急病だと聞かされて、それを信じるしかなかった。だが——何かがおかしいとずっと感じていた。姉は健康だった。前の日まで、元気に手紙をくれていた」
「それで法務局に」
「ええ。法を学べば、真実に辿り着けると思った。——俺が法務局に入ったのは、姉の死の真相を知りたかったからです。最初はそれだけが動機でした」
「今は?」
「今は——違います。あなたと一緒に調査をして、法の力で真実を明かす仕事に意味があると知った。ダフネが信じていたものが、間違いではなかったと証明できた」
サージュが私を見た。眼鏡のない目が、月明かりの下で深い色をしている。
「——それは、あなたのおかげです」
夜風が吹いた。サージュの髪が揺れる。眼鏡をかけていないこの人の顔は、いつもより若く見える。法務官の鎧を脱いだ、二十九歳の一人の青年の顔がそこにあった。
「お礼を言いたいのは私の方よ。サージュさんがいなければ、私は法廷に立てなかった。証拠の整理も、裁判の戦略も、全部あなたが組み立ててくれた」
「法務官の仕事です」
「仕事だけじゃないでしょう」
サージュが黙った。否定しなかった。
沈黙が落ちた。だが心地よい沈黙だった。星の光と、遠くの灯りと、夜風の中で、二人で並んで座っている。
サージュの手が、私の手の隣にあった。石のベンチの上で、指先が数センチの距離で並んでいる。触れてはいない。だがその距離が、今の私たちの距離だ。近づいている。ゆっくりと、少しずつ。何も焦る必要はないのだ。
「裁判が終わったら、お茶を飲もうと言いましたね」
「ええ。言った」
「裁判は終わりました。ルッツも捕まった。——お茶を飲む約束を、果たしてもいいですか」
「明日の夕方。香料庫で。私が淹れるわ」
サージュが眼鏡をかけ直した。その動作がゆっくりだった。急ぐ理由がない夜だ。
「楽しみにしています」
星が一つ、流れた。二人とも見えたはずだが、どちらも何も言わなかった。言葉にしなくていいことがある。見えたことだけで、十分だ。今夜はそういう夜だ。言わなくていい。見えたことだけで十分だ。




