第23話 織り目の証言
裁判は翌日に再開された。
法廷の警備が倍に増員されている。入口で全員の持ち物検査が行われ、硝子製品の持ち込みが禁止された。窓は半開きのまま固定されている。昨日の二の舞を防ぐためだ。
傍聴席の人数は減っていなかった。むしろ増えている。法廷テロの噂が広まり、野次馬が押し寄せたのだ。だが彼らの目は好奇心だけではない。宮廷で何が起きているのか、自分の目で確かめたいという切実さがある。
私は証人席の近くに座った。懐には検出液の小瓶がある。持ち物検査のとき、「香術師の鑑定道具です」と説明して通してもらった。衛兵は少し迷ったが、サージュが頷いて許可を出した。
王太子妃が法壇に着いた。昨日と同じ冷静な表情。だが声には、一段と鋭い切れがある。
「昨日の妨害行為は、本裁判の正当性を揺るがすものではない。審理を再開する。——ハインツ・ブルク。証人席に」
ハインツが護衛に守られて入廷した。昨日の混乱を経ても、この男の覚悟は揺らいでいない。むしろ——強くなっている。毒で証言を止めようとした人間がいる。それは、自分の証言に価値があることの証明だ。
ハインツが証人席に立った。
「当番表の操作について証言します」
ハインツの声は落ち着いていた。伯爵からの指示で香術局の当番表を改竄し、オーレリア師匠が一人で茶を飲む時間帯を意図的に作り出したこと。他の職員が外に出る用事を入れ、香料庫に師匠だけが残るように仕向けたこと。
外部の調合師がその時間帯に香料庫に侵入し、師匠の茶に毒を仕込んだこと。毒の調合は銀蓮花とトリカブトの複合で、銀蓮花の芳香がトリカブトの匂いを隠す仕組みだったこと。
私は聞きながら、拳を握っていた。爪が掌に食い込む。あの日、師匠が倒れたとき、私は原因がわからなかった。今はわかる。全てが仕組まれていた。
「師匠の茶にトリカブトと銀蓮花の複合毒を混入させる計画は、伯爵が立案し、外部の調合師が実行しました。私は当番表を操作して機会を提供した共犯です」
傍聴席が静まった。自分の罪を、ここまで明確に語れる人間は多くない。
「外部の調合師について、何を知っていますか」
サージュが質問した。
「伯爵が『先生』と呼んでいた男です。顔を合わせたのは二度だけで、帽子を深くかぶっていました。右足をわずかに引きずっています。手が荒れていて、指先が黒ずんでいた。長年、強い素材を扱ってきた手です」
サージュが布片の証拠を提示した。法廷で回収した作業手袋の切れ端だ。
「この布片は、昨日の法廷テロの犯人が残したものです。織り目の特徴から、伯爵領南端の集落で織られた布と特定されました」
ハインツが布片を見た。
「これは——ブルガの婆さんの布です」
「ブルガとは」
「伯爵領の集落で機織りをしている老女です。この織り目は独特で、手織りの癖がはっきり出ています」
ハインツが一拍置いた。
「——この布で手袋を作っていた人間は、俺の他にもう一人いました。伯爵の屋敷に出入りしていた、あの『先生』です」
法廷がざわめいた。布片という物的証拠とハインツの証言が一致した。犯人の輪郭が、確実に狭まっている。
サージュが追加の質問をした。
「その人物が伯爵領で活動していた時期はいつからですか」
「少なくとも五年以上前からです。俺が伯爵に使われる前から、あの男は屋敷に出入りしていました」
五年以上前。ダフネの死よりも前からだ。
◇
ハインツの証言が終わり、審理は最終段階に入った。
コンラートの不服申立ては、この場で棄却された。王太子妃が裁定を読み上げる。
「ハインツ・ブルクの証言により、聴聞会での裁定の正当性が改めて確認された。コンラート・ヴァーゲンの不服申立ては棄却する」
コンラートは被告席で動かなかった。棄却を予想していたのだろう。抗議の声も上げなかった。ただ、拳を膝の上で握っていた。
傍聴席のナターシャがじっとコンラートを見ていた。かつての夫。この子どもの父親。複雑な目だった。
続いて、伯爵に対する裁定が読み上げられた。
「ドレッサー伯爵。香料の不正流通、銀蓮花の禁制品取引、および関連する殺害事案への関与について、有罪と裁定する」
王太子妃の声が法廷に響いた。
「爵位の剥奪、全財産の没収、終身禁錮」
傍聴席がざわめいた。終身禁錮。宮廷の裁判で最も重い刑だ。
伯爵の顔から、最後の色が消えた。弁護人が控訴の意思を示そうとしたが、王太子妃が遮った。
「控訴は認めない。本件は宮廷の安全に関わる重大事案であり、裁定は即日執行とする」
即日執行。この言葉で、全てが決まった。伯爵の長年の不正、師匠の死、ダフネの死、侍従長の死——全てに法の裁きが下った。
衛兵が伯爵を立たせた。両脇を固められて、法廷を出ていく。私の前を通り過ぎるとき、一瞬だけ目が合った。
恨みではなかった。あの目は——諦めだ。全てを失った人間の、空虚な目。
私は振り返らなかった。振り返る必要はない。前を向く。
裁判が終わった。伯爵は有罪。コンラートの不服は棄却。
だが——王太子妃が最後に付け加えた。
「アンデール補佐官。外部の調合師——伯爵が『先生』と呼んでいた人物の捜索令状を発行する。この人物は、法廷テロの実行犯であり、オーレリア香術局長およびグスタフ侍従長の殺害にも関与した疑いがある。全力で捕縛せよ」
サージュが頷いた。
法廷を出ると、サージュが私の隣を歩いた。しばらく無言だった。回廊の窓から差す光が、二人の影を石畳に伸ばしている。しばらく回廊を歩いてから、サージュが静かに口を開いた。
「ダフネの名前が、法廷で正式に読み上げられました。被害者として。五年間——ただの急病として片付けられていた姉の死が、ようやく殺害と認定された」
「ええ」
「それだけで——今日は十分です」
サージュの横顔が、回廊の光に照らされていた。眼鏡の奥の目が、いつもより少しだけ柔らかかった。
法廷を出たとき、パスカルが待っていた。
「先輩。終わったんですね」
「半分だけ。まだ、師匠を殺した手を持つ男が捕まっていない」
パスカルの目が真剣になった。
「僕にできることはありますか」
「ある。香料庫で手帖をもう一度読み直して。師匠が過去に香術局を解雇された人物について記録していたはず。名前と退職の理由。それを探して」
「わかりました!」
パスカルが走り出した。白い前掛けのカモミールの刺繍が風に揺れる。師匠の意志を受け継ぐ弟子が、もう一人ここにいる。
法廷の外に出ると、空が広く高かった。雲一つない、抜けるような青空だ。裁判が終わった安堵と、まだ捕まっていない犯人への緊張が胸の中で交差する。
——次の戦いは、法廷の外で始まる。




