シレーネの問い 前編
なんていえばいいんだろうな。
俺は今、大規模グラビコンシステムが張り巡らされた入植惑星内において、船外活動の実習を受けているような気分となっていた。
確かに、体重分の重さを受けて、この足は畳を踏みしめているはず。
だが、俺の骨も肉も、その重みを一切感じていない。
まるで、全身がクラゲにでもなってしまったかのよう。
「はいー。
それでは、四杯目いってみましょー」
グラグラとしておぼつかない視界の中、いついかなる時でも世界一カワイイ俺のメイドママが、ニッコリ笑顔で四杯目……だっけ?
とにかく、ユウヒスーパードライだか、セイリュウ一番搾りだかが注がれたピッチャーを、渡してくる。
えーと……なんでこんなもん飲んでたんだか……。
分からないまま一口飲んで、ドッシリと胃の腑に落ちる王道ビールの味わいを楽しむ。
「みんなー! ノッてるー!?
今日はディートちゃんが新曲披露しちゃうわよー!」
隣を見れば、ユカタから大胆に太ももを露わにしたディートが、ビール瓶をマイク代わりにしながら何やら歌い始めていた。
「フォトンのぉぉ荒波ぃぃ乗ぉり越えてぇ……!」
なお、歌うのはコブシがきいたエンカだ。お前、音楽の趣味そんなんだったの?
でもまあ……いいか!
大切な妹が楽しくしているのだ。
兄として、これを快く思うことはあれど、不快な気持ちを抱くことなどない。
「キャー! こっち見てくださいー!」
そんなディートの正面で、歓声を上げているのが――マミヤちゃん。
日系の血を引いていることもあり、女性陣ではぶっちぎりでユカタの似合うヤマトナデシコガールが、ママからそっと渡された『第三皇女』『最推し』と書かれたうちわの二刀流となり、ディートに声援を送っている。
その様は、普段からは考えられないほどのハイ。
マミヤちゃん、なんでこんなに楽しそうなんだろう?
彼女たちが飲んでいるのは、このイセタウンでクラフトされたゆずサイダーだったはずだが……。
「マミヤ様とシレーネ様が飲んだのは、間違いなくゆずサイダーをベースにしたドリンクですよー」
いつも通り俺の思考を読んだママが、ポンと手を打ちながら答え合わせしてくれた。
そっかー、ゆずサイダーをベースにした謎の飲み物かー。
一体、何を混ぜたんだろうなー? うわははは! 想像つかねえや!
「もぐもぐ……ちなみにわたしのは、百%純粋なゆずサイダー。
ちょっと残念、もぐもぐ」
グラスに注がれたゆずサイダーで牛鍋をやるエステが、いつも通り無表情にそうつぶやく。
わはは、よく分からないけど、きっとママも配慮したんだろう。わはは。
「――そんなことよりも、だ!」
「――うわっ!?」
急に横合いから頭を抱きかかえられ、思わず驚きの声を漏らしてしまう。
普段ならば、このように生殺与奪の権を明け渡した体勢になるなど、あり得ない。
だが、今は五感という五感が機能不全へと陥っており、彼女……。
シレーネさんの不意打ちを避けられなかったのは、致し方がないといえる。
「イラコおうじ!
早く食べなければ、肉が固くなってしまうぞ! ほら!」
言いながら……。
シレーネさんが、あんまり上手くない箸使いで、俺の牛鍋から肉を掴み上げた。
「おお、言われてみれば、その通り。
マツザカ牛を煮過ぎて固くしてしまうなんて、あってはならないことでした」
乳牛もかくやという大きさのお胸を俺の眼前へ突き出している――ナチュラルにしてるだけで突き出る――彼女へ、牛肉の放置を詫びる。
そうそう、マツザカ牛はさっと火を通して食べるのが華だ。
ゆえに、少しばかり食べ時を逸した形だが、それでもまだまだ、美味しい状態のそれを……。
「ほら、あーん……」
なんと! シレーネさんが俺の口めがけて差し出してきた。
これは……これは……。
なんて――親切!
「あーん……」
ゆえに俺も、ニッコリ笑顔で口を開く。
マツザカ牛、美味しそうなりー!
「……あ」
だが、そこはお箸を使い慣れてないゆえだろう。
シレーネさんの箸から、ポロリと肉がこぼれ落ちた。
その……ユカタの襟元が合わないほどボリューム豊かで、わずかに上部が露出してしまっているお胸の上に。
なんだ……なら、なんの問題もないな!
我……欲する……牛さんの……お肉を……!
――チュルッ!
「ぁっ……」
シレーネさんの胸元、こぼれ落ちたお肉に顔を近付けて吸い込む。
結果、彼女の柔肌に熱々のお肉が落ち火傷させてしまう悲劇的結末は、未然に回避された。
それにしても、柔肌とはよく言ったもの。
俺の吸い込みを受けたシレーネさんの双丘が、ハイドロゲル食品のごとくフルフルと震える。
その結果として、唇に一瞬、お胸が触れたわけであるが……。
本当に、信じられぬほどの――やわさ。
今回は薄切りのお肉が一瞬乗っただけなので変化はなかったが、もし、指か何かを押し込んだならば、どこまでも沈み込んでいきそうなほどだ。
それでいて、お胸から垂れるのではなく、しっかりと双丘としての形状を誇示しているのだから、これはもはや、生命の神秘といえるだろう……もぐもぐ、お肉美味しい。
「あらあらー、まあまあー。
何やら、新しい世界を垣間見た気がしますー」
「よくない、イラコ。
それはよくないイラコ。
イラコ、よくない」
ママが口元に手を当て……。
エステは食事の手を止め、非難するような眼差しをこちらに向けた。
何がよくないのだろうか? 俺はフードロスを常に案じている第四皇子であり、今もまた、貴重なマツザカ牛が台無しになってしまうのを防いだところである。
むしろ、褒めてほしいくらいだ。
「ビイィィムゥがぁ、撃ちいぃ抜くうぅ!
にいぃくうぅいぃ敵いぃ!」
「ふっわふっわ!」
ちなみに、ディートとマミヤちゃんは、大変楽しそうに二人だけの演歌ステージを堪能していた。
と、そんな風に俺が困惑していると、だ。
「――イラコでんか!」
「――わっ!?」
ガシリ、と、シレーネさんの左手が俺の右頬を押さえる。
押さえて……押さえて……押さえただけ。
ただ、彼女の火照った頬と、潤んだ瞳が視界に入り続けただけだ。
こう、モデルじみているというか、文字通りの意味で美しい顔がこうも間近に迫ると、どうにもドギマギしてしまう。
「それはよく――」
「エステ様ー。
ここは様子を見ましょうー」
何やら立ち上がりかけたエステの肩を、瞬時に背後へ回り込んだママが押さえ込む。
「「……」」
そして俺とシレーネさんは――沈黙。
こんな間近で、何も口にすることがない。
ただ、彼女の瞳には俺が映り、俺の瞳にも彼女が映るという合わせ鏡のような現象が起きているだけであった。
変化をもたらしたのは――シレーネさん。
「――ええい!」
なんと、彼女は空いている右手で俺の膳からピッチャーを取り上げ、それをゴックゴックと飲み始めたのである!
「よくない、シレーネさん!
それはよくないシレーネさん!
シレーネさん、よくない!」
慌てて彼女に告げる俺。
何がよくないかというと、こう……彼女が飲んでいるのは、確かヨントリープレミアムモルツだから!
「シレーネ様が飲んでるのはシュワシュワする麦のジュースですよー」
「なあんだ!
シュワシュワする麦のジュースかあ!」
ママの言葉に、ほっと胸を撫で下ろしたい気分の俺。
だが、シュワシュワする麦のジュースが入ったピッチャーを膳に置いたシレーネさんが、ますますこちらに顔を寄せたため、あちらの突き出た部分にあるポッチとこちらのポッチとが薄い布越しに触れ合ってしまったので、それは断念する。
シュワシュワする麦のジュースで喉も潤った彼女が、口にしたこととは……!
「イラコでんか!
いったい、きでんはあたしへこんやくをもうしこむことについて、どうおもっているのだ!?
あたしを、どうおもっているのだ!?」
「どう思うもこう思うもない。
私はあなたのことをほとんど知らないので、できれば、これから知っていきたいと考えている」
俺は――自分でも驚きだが――淀みなくそう答えたのである。




