イラコママ、人質になる 前編
この世において、最もつらく、厳しい瞬間……。
それは、もう明日でこの楽しい時間が終わることに気づいてしまった連休最終日の夜をおいて、他に存在しないだろう。
「はぁー……。
なんだかんだ楽しかったイセタウンへの帰郷だけど、明日の朝にはもう帰らないといけないのかー……」
ママが作ってくれた鯖塩焼きと肉じゃがの定食を食べ終え、宴会の間にだらしなくユカタ姿で座り込んだ俺は、天井を見上げながら感無量でつぶやく。
腹の中に感じるのは、大いなる満足感。
昨日みたいに超豪華な食事を出してくれることもあるが、俺の母は、基本、和食を中心とした家庭料理を作ってくれる。
普段はこのイセタウンに押し込まれている母にとって、これは、我が子に対する——。
「——普段はこのイセタウンに押し込まれているママにとって、これは、イラコ様に対する精一杯の愛情表現ですよー?」
「……普段はこのイセタウンに押し込まれているママにとって、これは、我が子に対する精一杯の愛情表現であることを深く理解しました」
お膳を片付けるママの言葉に、特に理由もなく正座となって返事する。
冷静に考えて、そもそもママを押し込めてるのかな……? どうだろう……?
「そんなことより、今日は帝国サッポロ黒ラベルはないの!?
出して! 早く帝国サッポロ黒ラベル出して!」
「はいはい、私のお茶で我慢してくださいねー」
そんなことを考えていると、駄々をこねる我が愚妹ことディートに、マミヤちゃんが急須からお茶を淹れてやっていた。
俺のママが、手を出すことなくお茶を淹れさせているとは……やはり、マミヤちゃんのお茶は別格ということだろう。
「フ……しかし、離れがたいという気持ちは分かるな。
グッズに関する肖像権の問題はあるが、このイセタウンに暮らす人々は、確かにイラコ皇子のことを厚く慕っている。
そのような地を離れるというのは、体の一部から切り離されるように感じられるものだろう」
故国であるヨーギル王国を思い出しているのだろうか?
シレーネさんが、やや遠い目になりながら亜麻色の髪をはらう。
そうすると、連動してユカタのうっすい布に包まれたお胸もダイナミックな脈動を見せるはずなので、俺は髪に手が触れた時点ですでに目を逸らしていた。
「でも、離れないわけにはいかない。
すでに一ヶ月くらい、このイセタウンへと逗留しているような気分にもなっている」
逸らした視線の先で、コップに入ったゆずサイダーをクピクピとしているエステが、無表情にそうつぶやく。
おいおい、妙なことを言うやつだな。
確かに、色んなイベントが目白押しだったけど、イセタウンに到着して爺さん婆さんが海女体験してるところに出くわしたのが、一昨日の出来事だぞ?
この惑星レクに到着してからだって、補給だのなんだのしてるけど二週間くらいしか経過してない。
ポイント203への任務に三ヶ月くらい要していることを考えると、その程度の充足期間を設けるのは、メンタルケアの観点から考えても当然のこと。
つまり、俺はまだまだ、絶対に死にたくないので与えられた戦艦を給糧艦に改装したら、前線へ出ずっぱりにさせられた銀河皇帝庶子であるといえるだろう。
さておき、だ……。
「先生、こんな時間に、誰かお客人ですか?
団体で来られているようですが?」
今夜は俺たちと一緒に食事を取り、今はいち早く淹れてもらったマミヤちゃんのお茶をすすっていたイゾーロ先生が、俺の言葉に目を丸くする。
「いや、そんな予定はないが……?」
「そうなのですか?
いえ、先ほどから、この屋敷の周囲に多数の人間が集まっているようですので。
ひょっとしたら、事前のアポイントに余裕をもって出発した結果、やはり余裕をもった計算となっている路線検索アプリの提案より素早く電車を乗り継ぐことに成功し、結果として予定時刻より随分と早く到着。
とはいえ、時間を潰そうにも喫茶店などがあるロケーションでもなく、かといって駅周辺へ引き返すのも時間的に無駄なので、なんとなく、張り込みしている探偵のようなムーブで待機している営業マンのような状態になっているんじゃないかと」
「妙に解像度の高いことを言うねえ。
しかし、本当に約束などはないなあ。
君が言うならば、まず間違いなく、そういった人たちが屋敷の周辺にいらっしゃるのだろうけども」
俺の言葉を受けた先生が、ちょっぴりたるんでいる下顎を撫でながら上の方を見る。
どうやら、考え込んでみても心当たりはないご様子——。
「——入ってきた」
口をキリリと引き結びながら、小さく、吐き出すようにしてつぶやく。
同時に、いざという時へ備え、エステをテディベアごと抱きかかえた。
「おー、ちょっと面白い」
手にしたテディベアごと手と足をぷらーんとさせているエステには構わず、周囲の気配を探る。
感じられるのは、塀を乗り越え、よく手入れされた庭をブーツで踏み荒らす気配……。
「……武装しているな。
自動小銃に、タクティカルベストも羽織っている。
あとは、ヘルメットに暗視ゴーグルって感じの重心移動だ」
「あんたそれ、適当言ってない?」
俺の言葉に、シラーッとした目を向けてくるディートである。失敬な。
「いや、イラコ君は、あのイラコママから暗殺拳を伝承されている身だ。
その勘働きは、間違いなく確かなものだよ。
それに、私も剣呑なものを感じてきた」
今の自分にできる最適な動きということか、女性陣を手招きしつつ宴会場の中央へと陣取ったイゾーロ先生が、真剣な顔で俺を肯定する。
さて、どうしようかな……?
エステと先生だけなら抱えてトンズラするんだけど、救護対象が五人ともなると、さすがにそうもいかんな。
ちょっと怖いけど、多分ザコだし、打って出て片付けてきちゃうのが一番確実かしら?
などと考えていると、事態は……まったくもって予想外の方向へ推移したのである。
——ドタバタドタバタドタバタ!
「あ……全員一階の調理場に入ってった」
屋敷内を踏み荒らす足音の反響から、脳内で立体的にマッピングし、そう結論付けた。
「なんだ、じゃあ安心だな」
「イラコ殿下のママ様にお任せですね」
「イラコ皇子のママ上ならば、なんの問題もないだろう」
「そうね。
きっと、全員あっという間に気絶させちゃうわ」
俺の言葉を受けたイゾーロ先生が体の力を抜き、マミヤちゃんとシレーネさんとディートもくつろぎモードへ戻る。
そう、俺のママならなんの問題もない。
仮にこの十倍の数が完全武装で乗り込んできたところで、誰一人殺さず無血で制圧してしまうはずだ。
そのはずだった。
が……。
「キャー。
なんということでしょうー?
不埒な賊の手で人質にされてしまいましたー」
「キャー」とか言ってはいるが、一ミリも悲壮さを感じさせない余裕に満ちた声。
さほど大きな声でもないというのによく通るその声を聞き、俺たちは目線を交わし合う。
で、なんとなくうなずき、エステを抱え上げて厨房へ一目散。
「おー……」
——ドタバタドタバタドタバタ!
やっぱり楽しそうなエステはさておき、みんなでドタバタと厨房に辿り着くと、そこでは意外な光景が繰り広げられていたのだ。
「第四皇子イラコだな?
クックック……。
お前の母——」
「——ママですよー?」
「……お前のママは、見ての通り人質にさせてもらったぞ。
クク……こうなっては、いかにスクリュースピンペガサス狼牙キックのイラコ・ジーゲルといえど、手も足も出まい?」
完全武装した特殊部隊っぽい格好のおじさんたちのうち、ママの頬に拳銃を突きつけた指揮官っぽいおじさんが、俺に向かって覆面越しの笑みを浮かべる。
「あらあらー。
困ってしまいましたー」
一方、ママもプニップニの頬に拳銃を突きつけられながら、ニコニコ笑顔だ。
「このままではー。
血の雨が降ってしまいますー」
なるほど……。
これは試練だ。
俺は試されているのだと、直感的に悟る。
もし、この試練を乗り切れなかった場合、俺は血を見ることになるだろう。
そう……。
ママを人質にして勝ち誇っているおじさんたちの!
守護らねばならない……!
何も知らず、火竜の逆鱗の上でタップダンスしているおじさんたちを……!




