マ枕イラコ枕
人類というのは意外とポンコツな生物であるので、俺たちが普段の生活で必需品扱いしている品の中には、「え? それってそんなに発明遅かったの?」と驚いてしまうようなものもある。
やわらかな枕というのは、その一例。
古代、一部地域の王様などは、枕状に加工していないだけで、羽毛などを頭の下へ敷いていたという記録があるし、そもそも、産業革命に至るまでは、適した素材が容易に手に入らなかったという事情もあろう。
だが、とにかく、今日の俺たちが使っているような枕が普及し始めたのは、18世紀から19世紀以降と考えてよい。
いやあ、そう考えると、タイムスリップモノの主人公とか絶対にやりたくないね。
トイレ事情も調味料事情もお察しな上に、最大の楽しみである睡眠も、快適なものにはならないという。
いや、おがくずとか麦とか、“何かの袋”に詰め込めばいけるか? 想定するその“何かの袋”、隙間だらけで虫が湧きそうな気もするけど。
うん、やっぱり、現代が最高だな。
ちなみに、俺が愛用しているのは、ニューロ・クラウド社が販売している同名ブランドの枕。
頭の形や首の角度を毎秒測定して、最適な形に変形し続けてくれるから、文字通り雲にでも頭を乗っけてるような感覚なんだよね。
まあ、販売元がニューロ・クラウド社であるというだけで、枯れた耐G用技術を基に発明したのは、エステなんだけど。
もちろん、何事もそうであるように、一番好きな枕がニューロ・クラウド枕であるというだけで、二番目に好きなそれも、当然存在した。
ただし、それは、商品として販売されているものではない。
というか、そもそも無機物ではない。
では、何か?
「ん……う……」
どうやら、いつの間にかそれに頭を預けていたらしい俺は、チュン、チュンという、銀河時代にも生き延びたスズメの鳴き声を聞きながら目を覚ます。
頬に感じるのは、やわらかな……そう、どこまでもやわらかな感触。
それも、ただやわらかいだけでなく、流体的な特性をも備えており……。
俺の頭を、優しく支えてくれる。
しかも、下から上へと、一方向で支えているわけではない。
これは、左右から……包み込む形。
布越しにほのかな……形容しがたいけど、すごく安心する匂いを漂わせながら、物理的なやわらかさと、じんわりとした温かさで、俺に一晩の安らぎを提供してくれたのだ。
これは……この枕は……間違いない。
「……マ枕」
「はいーママのお胸の枕ですよー?
イラコ様ーよく眠れましたかー?」
頭の上から、慈愛に満ちた顔でのんびりとした声をかけてくるのは、他でもない……俺のママ。
俺は今、宴会場の畳へ仰向けになったママの胸元に頭を預け、沈み込むようなその心地を体験しているのだ。
メイド服越しに感じられる感触も匂いも体温も、幼年期のそれと同様に素晴らしいものだった。
「ん……俺は一体……。
どうしてマ枕を……」
ママの枕――略してマ枕を固辞するようになったのは、多くのご家庭がそうであるように、思春期へ入った時のこと。
男児というものは、母のお胸に頭を預けて寝る行為から、いずれは卒業せねばならないのだ。
まあ、久しぶりに体験すると、もったいないことした気もするけど!
「確か……そう……。
俺はディートと飲み比べをして……どうなったんだったかな?」
昨晩の出来事が、思い出せない。
こんなのは、生まれて初めてのことだ。
薄ぼんやりと覚えているのは、とっても楽しかったこと。
「うふふー。
イラコ様も皆さんも、昨晩はとっても楽しそうでしたよー?
いえ、今も楽しそうですねー」
「今も……?」
その言葉に……。
起き抜け特有のややボヤけていた意識と五感が、急激に普段の働きを取り戻していく。
それで気付いたのだが……。
ママの横合いからマ枕へ顔面をうずめヨシヨシしてもらっている俺の体が、女性陣たちによってイラコ枕と化していた。
「イラ……コ……」
ムニュムニュとつぶやきながら俺の胸元へ頭を乗っけているのがエステで、二房のお団子にまとめた銀髪が、時折俺の顎辺りをかすめている。
「ん……う……。
ふふ……ふ……」
何か良い夢でも見ているのか、はたまた昨夜がよほど楽しかったのか、ニマニマしながら俺の腹筋を枕にしているのがシレーネさんだが、マ枕すら上回るほどのボリュームを誇るシレ枕に挟み込んだその帝国サッポロ黒ラベルの瓶は、まさか飲んだんじゃあるまいかと心配になった。
「むにゃむにゃ……もう食べられないよ」
よりにもよってというか、驚きの寝相の悪さを発揮して俺の……その……なんだ。
股間部辺りに頬をうずめているのが、マミヤちゃん。
ううむ。どかすべきか、起こさないようにしておくべきか。
「むにゃむにゃ……もう食べられないよ」
うーん……。
「むにゃむにゃ……もう食べられないよ」
アップで結わえた黒髪を少し乱した状態で、何度となくもう食べられないことを訴えるマミヤちゃん。
これは、疑う余地もない――寝ている!
ならば、むやみに起こさない方がいいのではないだろうか?
「ぐぐ……痛い……」
ユカタを着ている都合もあり、剥き出しとなっている人の脛を枕にしながら文句を寝言で漏らしているのが、ディートだ。
エンカ大好きなコブシ娘は、よほど脛の固さが気に入らないらしく、苦悶の寝顔となってい……あれ? こいつエンカが好きなんだっけ?
まあ、どっかで誰かに聞いた覚えがあるのかもしれない。
――チュン。
――チュン、チュン、チュン。
窓の外から、またもスズメたちの鳴き声が聞こえてくる。
うん……よい風情だ。
宇宙への入植事業に着手する際、人類は農業の邪魔となる様々な生物や菌を、地球へ置いていく選択肢を取った。
代表的なところでは、ウンカ類だな。
徹底した洗浄と消毒によってそれら生物の食害へ悩まされることがなくなり、病原菌をも排除した結果、地球外での農業というものは、完全無農薬が標準となったのだ。
それは、スズメを始めとする鳥類にとって、向かい風とも呼べる状態。
害虫や雑草がいない環境における鳥類というものは、単純に作物を狙う害鳥となるからである。
ばかりか、人類の保護がなければ容易に絶滅してしまうか弱き種族でもあるわけで、経済的な面だけで見たならば、宇宙入植の仲間とする理由はまったくない。
にも関わらず、こうしてスズメさんは持ち出し、『ノアの反乱』による地球破壊の絶滅から結果的に救う形となったのは、ひとえに、この風情があるからだろう。
人はパンのみで生きるにあらず。
世界を構成するあらゆる要素によって生かされているのだ。
が、いくら風情があるといっても、いつまでもこうして朝チュンを楽しんでいるわけにもいかない。
「困りましたねー。
そろそろ、朝食の用意をしたいのですがー」
俺の意を汲んだママが、この頭を撫でる手を止め、困り顔でプニプニの頬を押さえたその時だ。
「イーラコ君!
あーそーぼー!」
家主であるイゾーロ先生の孫であり、当然、屋敷の電子セキュリティもフリーパスであるアルファードの声が……。
「もう結構な時間だぜー?
清く正しく生きるのがモットーじゃねえのか?」
「ま、それだけでは退屈だがな」
次いで、カワハラとゼファーの声が、玄関から響く。
「んう……朝?」
「これは……。
――イラコ殿下を、枕代わりにしていたのか?
お恥ずかしい」
エステが眠たげに目をこすりながら起き上がり、シレーネさんがお胸に酒瓶を挟みながらジャンピング正座。
「ぐっ……首が痛い。
てか、あの後どーなったのよ?」
次いで、ディートが苦々しげな表情で首を押さえながら、上体を起こす。
「むにゃむにゃ……もう食べられないよ」
マミヤちゃんはまだ俺の股間部に顔をうずめていたので、肩を揺すって起こし……。
「むにゃむにゃ……もう食べられないよ」
めっちゃ眠りが深いな!
ロングスリーパーなのだろうか?
その後、頑張って起こした。




