遠き母の呼び声
ジャンヌの話が終わると、部屋の中は静寂に包まれた。ジーナは既に知っている話ではあるが、聞く度にジャンヌの幼少期を思って涙が出そうになる。そして、ラント老人は身体を震わせて言葉を絞り出していた。
「なんということだ……私の、私の仲間達の行いで、貴女様にそんな過酷な人生を歩ませてしまっていたとは……!曲がりなりにも伯爵家であるパルテレミー家であれば、苦労などないと思い込んでいた我々は、何と愚かだったのか……申し訳ございません。本当に、本当に……」
ラントの言葉に深い悔恨が含まれているのは、謝罪されているジャンヌ当人にも痛いほどよく解った。実の所、いくら謝られても、まだ自分がアクシア公爵家の娘だったという実感がないので何とも言えない気持ちになるだけだ。ただ、ここまでの話を聞いて生まれた違和感が、かねてから考えていた自分の疑問の答えになりそうで、それは悪くない事であると思える。ジャンヌは、少し明るい声色で自分の素直な気持ちを述べた。
「ラントさん、そんなに謝らないで。さっきも言ったけれど、私がアクシア家の人間だって実感は、まだ無いし。でも、私自身、ずっと感じていたことではあったの。どうして私には、伝わるはずの銀の髪が受け継がれなかったのかって。……正直に言えば、私なんて生まれてこない方が良かったんじゃないかって思ったことは、何度もあったわ。でも、もし、ラントさんの話が本当だったのなら……私が産まれて喜んでくれた人がいたのね。それは、すごく嬉しいわ」
「当然でございます!ジュリア様は、産まれたばかりの貴女様を誰よりも愛し、慈しんでおりました!それだけは、間違いございません!」
ジャンヌの手を強く握ったラントは、ここまでで一番強い感情を込めてそう言った。そんなラントの言葉に嘘はないと思えるくらいには、ジャンヌは現実を受け止め始めているようだ。そんな中、腕を組んで黙って聞いていたダルクが、呟くように言った。
「…………しかし、そうなると、ここで悠長に話をしている暇はないかもしれんな」
「え?それって、どういう……?」
「話を聞くに、お前さん達が倒したハドリーという男は、あのライナスってのが生きて戻って来るかを確認する為に配置されていたんだろう。もしもそうなら、ハドリーが倒された事を知った皇国の刃達は、ライナスの裏切りを知ってすぐにお前さん達を捜索に来るぞ。ここはあそこからそう離れていないからな、ここにいるのは危険だ。……まったく、ソロの奴め、突然国を出て行ったかと思えば、むざむざ捕まったとは……」
「ダルクさん、だっけ?あなた、ソロを知っているの?」
「ああ、よく知ってるよ。アイツの親父とは仲が良くてな。何かあった時には頼むと言われていたから、アイツが小さい時には他の子供達と一緒に面倒を看てやっていたんだ。ま、ちょっとした父親代わりってところだな」
「そうだったの?!そんな話、全然聞いたことがなかったわ」
「アイツは自分の事をあまり話したがらないだろ?そういう奴なんだ、ガキの頃から。内向的で放っておくとすぐ自分の世界に入り込む奴だからな。とはいえ、俺がここへ飛ばされたやらかしも、元はと言えばアイツと女帝絡みだ。アイツの事だ、詳しい話をしてお前さん達を巻き込みたくないとでも思ったんだろう」
「そんな……水臭いことを。ソロのやつ」
「アイツが水臭いのは今に始まった事じゃないがな。ともかく、早い所ここから離れた方がいい。俺の魔力車は五人まで乗れるから、全員ですぐに出発しよう」
「た、助けてくれるんですか?」
「ああ、さっきも言ったがソロは俺にとっても息子みたいなものなんでな。息子が望まない結婚を強いられてると聞いて、黙って見過ごす訳にはいかんよ。……しかし、アイツが無理矢理結婚されそうになるとはなぁ、まるで囚われのお姫様だ。普通逆じゃないか?役割が」
苦笑いしながらダルクがそう言うと、ジーナはほんの少しだけ笑顔になった。ただ、ジャンヌの方は笑う気になれず、伏し目がちにスルーするばかりだ。そんな中、ラントは寂しそうな顔で微笑んだ。
「私は遠慮しておきます。もしも、誰かが皆様を探しに来たなら、一人くらい残っていた方が時間を稼げるでしょう。この歳と身体では、遠出するのも敵いませんからな。どの道、ここに骨を埋めるつもりだったのです。ジャンヌ様に出会えた以上、もう心残りはありません。どうか、静かに皆様の無事を祈らせて下され」
「ラントさん!?そんな悲しい事を言わないで、そりゃ、やってしまった事は悪い事だと思うけど……ラントさんは罪を償おうとしてきたんでしょ?なら、私はあなた達を恨んだりしてないわ。その、本当のお母さんと一緒だったら、私だって消されてしまってたかもしれないし。なにより、お母様の子供になっていなかったら、私は孤児になってたんだもの。辛い事はあったけどちゃんと教育は受けさせてもらえてたし、そう悪い事ばかりじゃなかったのよ?」
ジャンヌはそう言い繕ったが、誰の目から見ても、彼女の子供時代は不遇の一言に尽きる状況だった。本人がそう思っていないのは、慣れてしまったがゆえの危うい感覚である。ラントはそんなジャンヌを不憫に思い、再び深く頭を下げた。
「ジャンヌ様、貴女様は本当に素晴らしい大人に成長なされましたな。お母様のジュリア様も強く優しい立派なお方でしたが、貴女様はあの方に勝るとも劣らない立派なお方だ。ならば、最期まで私に罪を償わせて下さい。お願いします」
そう語るラントの決意は固く、これ以上の説得は無意味だとジャンヌだけでなく全員がそう感じた。そして、そんなラントの手を今度はジャンヌが強く握って深々と頭を下げる。20年以上もの間、罪を償って生きてきた彼の献身には感謝こそすれど、恨む気持ちなどない。その上で、もしも敵が来た時には彼がその命を賭して引き付けてくれるというのだから、詫びねばならないのは自分の方だ。ソロを助けたら、絶対にもう一度ここへ来ようとジャンヌは心に決めた。
それから、ジャンヌ達は大急ぎで脱出の準備を始める事になった。ダルクの持っていた魔力車は大破してしまったジープタイプとは違う、初期型のセダンタイプで、あまりたくさんの荷物は積めないが、速度はかなり速い方である。念の為、助手席にライナスを載せ後部座席にはジャンヌとジーナが乗る形に落ち着いた。
ライナスがハドリーを倒してから、この時点で既に数時間以上が経過している。ダルクの言う通り、もしもハドリーが隠し道を監視していたのだとすれば、定期連絡などを行っているはずで、それは既に途切れてしまっている可能性がある。となると、皇国の刃という組織の内情から見て、予想外の事態が起こっている事はバレていると見るのが自然だ。であれば、あと数時間もしない内に、追手がかかるのも明白である。ここを脱出するならば今なのだ、というダルクの見通しは正しいだろう。
一日分と少しの食糧を積み終え、いよいよ出発する直前、見送りに立つラントがジャンヌに声をかけた。
「ジャンヌさん、お伝えしようか迷いましたが、やはりこれだけは言っておくべきでしょう。お母様は……ジュリア様は本邸へ向かう前、貴女様に名前を付けておられたのです。貴女の本当の名前はジュリエット。ジュリエット・アクシアなのです。どうか、心に留め置き下さい」
「ジュリ、エット……?」
その名を聞いた瞬間、不意にジャンヌの頭の中で、微かな記憶が呼び覚まされた。優しく温かい腕に抱かれ、その名を呼ぶ美しい声……まだ目も見えない赤ん坊だったジャンヌの最初の記憶が、ジャンヌの目から大粒の涙と共に溢れ出たのだった。
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