柔らかい怪物
巻き起こる炎が周囲の空気を熱し、高温の風が巻き起こった。ハドリーはその中心で不自然に左肩ごと手を上げ、首を右に傾けつつライナスへと視線を向けた。対するライナスは不愉快そうに眉を顰めて、鞘から剣を抜き放つ。先程からのやり取りから察するに、ライナスはハドリーの事をあまりよく思っていないようである。
「ろ、ロロロロ……ルールルールやぶやぶやぶぶぶ、殺す」
「ふざけた、奴だ……!ちょうど、いい、前……からお前の事は、気に入ら、なかった。こ、こで……ケリをつけて、やるっ!」
ライナスはそう叫ぶと、地面を強く踏み込み弾けるような勢いでハドリーへ襲い掛かった。その動きに対応してハドリーの左手から炎の弾丸が放たれる。だが、先見の加護によって相手の動きが先んじて視えるライナスは、それが発射される直前に軌道を呼んで身体を逸らし、炎を躱してみせた。
「……食ら、えっ!」
そのままあっという間に肉迫したライナスが、ハドリーの喉を切り裂き、すれ違うようにして距離を取る。本来なら致命傷となるはずだが、ハドリーの首からは血が一滴も流れ出ていなかった。それどころか、傷が立ちどころに塞がっていく……結局、喉を斬られてもハドリーは全くダメージを受けていないようだった。人間離れした再生力を持つジャンヌでさえ、剣で斬られてノーダメージではいられない。ジャンヌは思わず息を飲んで、その光景を見つめていた。
「ロロロ、ロルロルゥ……!行くな、行くな行くな行くなあああああぁぁぁっ」
「ちっ……化け物、め……!」
ハドリーの加護がもたらす不死身さに、苛立ちを覚えたライナスが舌打ちをした。実の所、ハドリーの加護を目の当たりにするのはライナスも初めてだ。同僚として、何度か顔を合わせたことはあるものの、二人が同じ任務に就いたことは今までになく、戦っている姿を見るのもこれが初めてである。
ハドリーがどれだけ常軌を逸した人物なのか、噂では聞いていたが、こうも化け物染みた存在だとは思ってもみなかったらしい。それでも、ライナスの目には諦めの色は浮かんでおらず、既に次の手を思いついているようだ。
ハドリーがライナスへ手を伸ばすと、そこから三度、炎の弾が放たれた。今度の炎は先程よりも小さいが、その分スピードが速く、連続で発射できるようにしたらしい。容赦なく降り注ぐ無数の炎を、ライナスは巧みなステップで躱し続け、再度、ハドリーに接近した。
「おおおおおおおっ!」
「ぐっ、げぁ、がっ、ぶぇっ!」
喉への一撃は効果が無かった事を踏まえてか、ライナスは凄まじい速さで連続の突きをハドリーに食らわせた。防御という行為をしないハドリーはそれら全てをまともに食らい、蜂の巣のように穴だらけだ。だが、それでもハドリーは倒れない。しかも、先程と同様に大量の傷は端からすぐに癒えていき、なんらダメージは無いようだった。
「な、なんなのよ、アイツ……あれだけされて、何ともないわけ?……あっ」
「ぐ、ううう、おああっ!?」
連続で攻撃していた為にハドリーと接近したままだったからだろう、ハドリーの足元から立ち上る炎が、ライナスの身体に燃え移りその身体を激しく蝕んだ。炎を嫌ったライナスが、体のあちこちに火傷と焦げを作りながら距離を取る。だが、その動きよりも速く、幽鬼のように伸ばしたハドリーの手が、ライナスの手首を掴んでいた。
「つ、つつつつかつかつか捕まえ……たっ」
「し、しまっ!?」
ゴウ!と一際激しい炎と熱風が沸き起こり、ハドリーとライナスを押し包む。ライナスは強者ではあるものの、ジャンヌのような超絶の再生回復能力を持っているわけでも、ハドリーのような異常な肉体を持っているわけでもない。肉体の耐久力は常人と変わらず、大きな火傷を負えば致命傷にもなるだろう。全身を覆う程の業火に巻かれれば命はないも同然だ。
「っ、ま、だだぁっ!」
炎に包まれながら、ライナスは自分の手を掴むハドリーの腕を切り落とした。ちょうど剣を持っていない方の手を掴まれた事が幸いした形だ。いかにすぐ傷が治ってしまうハドリーといえど、身体が切り離されたされればすぐには治らないようで、その手が切り離された為にライナスはもんどりうって転がり、何とかハドリーから逃れることが出来た。
そして、そのまま地面を転がって身体に燻る火を消し、同時に魔法で大量の水を生成して火傷を冷やしていった。
「ハァッ!ハァッ!く、そ……!」
「お、俺の腕、俺の、俺オレおれ……っ!」
ハドリーは自分の手首から先が切り落とされた事に気付き、その腕を見つめてボソボソと何かを呟いている。相変わらずダメージはないようだが、ショックは受けているようだ。
(ハドリー、コイツの加護……『柔軟』が、これほどのものだったとは。一体どうすればいい?どうやってコイツを倒せばいいんだ……!?)
ライナスは火傷で引きつる身体を押さえて、ハドリーに勝つ方法を考え必死に頭を巡らせた。
ハドリーの加護『柔軟』は、文字通り、自分の身体を極限まで柔らかくする能力である。原理は不明だが、この加護を発動させると、ハドリーの身体は人間のそれを遥かに超越した柔らかさと弾性を得るようだ。極端な言い方をすれば、凄まじく柔らかいゴムのような肉体になると考えればいいだろう。
その柔らかさと弾性はあらゆる衝撃を吸収し、一方で跳ね返す力を持つ。その上で生物としての治癒能力は失っていない為、例え切断されても、断面同士が合わされば即座に吸着し、治癒して元通りになってしまうのだ。
ただ、この加護による能力は大きな弊害がある。それは脳を含めた全身の細胞全てが柔らかく変質するせいで、精神や思考に影響を及ぼし、加護が発動している間は思考能力が低下してしまうということだ。ライナスが彼を壊れたと言ったのは、その事を指している。
「……?こ、れは…………そう、か!」
ふとライナスが気付いたのは、自分の手を握り締めたままのハドリーの手を見たときだった。そして、火傷の痛みに耐えながら力を振り絞って立ち上がり、ゆらゆらと立ち尽くすハドリーに向かって突撃する。
「ろ、ロロロロ、ころころ殺コロ!」
そこでライナスに気付いたハドリーはぎこちない動きで向かってくるライナスに向き直り、無事な方の手をかざしてもう一度炎を放とうとした。ライナスの肉体は限界が近く、次にまた炎を受ければ今度こそ終わりだろう。ハドリーがそう考えていたかは解らないが、真っ直ぐに向かってくるライナスに狙いを定め、ハドリーは大きな炎の弾丸を撃ち出した。
「ら、ライナスッ!」
「ッ!」
もはや避けるだけの体力が残っていなかったのか、ライナスは直進して炎を受け、身体は炎に包まれた。燃え上がる炎と閃光が辺りを照らし、ライナスは燃え尽きたかに見えた。
「う、おおおおおっ!」
「ア?」
だが、ライナスは生きていた。火傷を冷やす為、全身に水を浴びたことで身体と服が濡れていて、その水気がほんの一瞬、炎から身体を保護してくれたからだ。もちろん、それで身体が燃えないのは一瞬だけの事であり、炎によって水が蒸発する際には熱湯となるので火傷するのは必至である。しかし、ライナスにはそのほんの一瞬の時間だけでよかったのだ。
「食ら、えっ!」
ライナスは魔法を込めた剣を投げつけ、それは見事にハドリーの身体へと突き刺さった。ライナスが剣に仕掛けていたのは、先程火傷を冷やすときにも使った水を生成する魔法だ。子供や老人のような誰でも使える魔法であり、特別な魔法というわけではない。
ライナスは、自分の手を掴んだままだったハドリーの手が、水を吸って膨らんでいる事に気付いていた。恐らく、切り落とした傷口から水を吸い上げたのだろう。そして、限界まで水を吸ったその手が機能を失っていることにも気付いたのだ。
ならば、体内で直接大量の水を発生させればどうなるか?加護を発動させているハドリーの身体は水分が浸透しやすく、その水を限界以上に吸い上げて取り込んでしまうのだろう。水死体と同じ状態だ。
その予想は的中し、身体の中で水を生成されたハドリーは全身の細胞に深刻なダメージを受け、意識を失った。こうして、大きなダメージを負いながらも、ライナスは辛くもハドリーを撃退する事に成功したのだった。
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