憎悪の矛先
タチアナとガンズに誘われて屋敷の中へ入っていくと、辿り着いたのはとても立派な応接室であった。個人の邸宅にしてはかなりの豪華さで、誂えられた家具や美術品、更には活けられた花の数々に至るまで、相当なものだ。これは部屋の主であるガンズが、どれだけの資金力とセンスを持っているかを如実に表している。流石は街長でかつ商売人でもある男の屋敷だ。
ジャンヌ達は促されるままにソファーへ座ると、ほとんど時を置かずにティーセットを用意したメイド達が現れた。召使い達の練度も高く、貴族の屋敷でもここまでしっかりと統率が取れている家もないだろう。シーザーは自分の家でもないのに自慢げだが、ジーナはすっかり緊張で委縮し、ソロも居心地が悪いのか顔には出さないが態度が硬いようだ。そんな中、ジャンヌは先程タチアナが叫んだ言葉を頭の中で繰り返させ、その意味を考え続けていた。
「いやぁ、まさかシーザー王子がいらっしゃるとは思ってもみませんでしたなぁ。先触れを出して頂ければ、歓待の準備も出来たのですが……ところで、本日はどういったご用件で?」
「いやいや、実は、僕のつ……仲間がこの屋敷の庭に見惚れてしまってね。いい庭園だと眺めていたら、タチアナ氏に声をかけられたのだよ」
シレっと妻と言いかけたシーザーだったが、ジーナとソロの鋭い睨みに耐えかねたのか、仲間と言い直したのは流石である。彼の危機に対する能力は高いようだが、そもそもウソを吐く方がよくないだろう。
ガンズはそれをあえて聞き流し、安心したような笑顔になった。
「おお、そうでしたか。ずいぶんと大きな声で騒いでいたので、妻が何か粗相をしでかしたのかとヒヤヒヤしておりましたよ、ハッハッハ!」
「ん?」
「え?ツマ?」
「妻とは、その、奥様なのですか?失礼ですが、だいぶ……」
「ハッハッハ!歳の差がありますかな?」
「……え、ええ。すみません」
ソロ達が驚いたのも無理はない。タチアナは少し肌が日に焼けているものの、目鼻立ちの整った美しい四十代前半の女性だ。一方、ガンズはどうみても八十を優に超えた恰幅のいい老人である。親子というならまだしも、夫婦というにはあまりにも歳の差を感じるカップルだったからだ。すると、ガンズはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに破顔して話を始めた。
「仰る通り、我々にはかなり歳の差がありますな。元々、儂には長年連れ添った妻がおったのですが、昨年先立たれまして。……男というのはいけませんな、一人になるとどうしようもなく寂しくなってしまう。そこで、長く我が家で働いて尽くしてくれたタチアナに、妻となってもらったのです。養子でもよかったのですが、妻の方が何かと都合がよいですからな」
そう言って、ガンズは隣に座るタチアナの手を握って笑った。養子よりも妻の方がよいというのは、何も彼が好色な人物だから、という訳ではない。これはこの地方における文化・風習の問題である。
このトルキア周辺の文化として、それぞれ家族の間で地位や立場が明確に分かれているというものがある。一つのグループである家族という単位の中で、一家の大黒柱が夫であるなら、その次に偉いのは妻であり、子供達は親二人に属するものという考え方だ。これは逆もしかりで、大黒柱が妻であったなら、次に偉いのは夫である。つまり、どちらにせよ親という存在に権力が集中しているのだ。
こうした文化は仕事にも影響を及ぼしており、対外的に子供より配偶者の方が世間の評価は高くなる。仮にガンズが亡くなった後、養子としてタチアナが財産や地盤を引き継ぐよりも、妻としてそれらを手にした方が、周囲の評価は上がるのだ。そうしたこともあっての対応である。もちろん、タチアナがそれを拒んだならば、この結果は成立していない。これは紛れもなく、同意の上での婚姻だ。
シーザーは王子として国内の文化風習を理解しているので問題ないようだが、これにはエンデュミオン皇国出身のソロとジャンヌだけでなく、生まれ育った土地が離れているジーナも驚きを隠せないようだった。
(歳の差って、そんなに気にしなくてもいいんだ……って、なに考えてるの!?私ってば!)
驚きながらも視線が勝手にソロの方へ流れてしまったジーナは、ソロの横顔を見て顔を赤らめたかと思うと、激しく頭を振って考えを打ち消そうとしていた。少しずつ、自分の気持ちに気付きつつあるようだが、まだまだそれはおぼろげだ。
そんな不思議な空気の中で会話は進み、やがて、ジャンヌは意を決したように表情を整え、タチアナに声をかけた。
「あの、タチアナさん。さっきのお話ですけど……その、ヘンリーさんのこと、私のせいってどういう……?」
「っ」
蒸し返されると思っていなかったのか、タチアナは身体を強張らせ、再びジャンヌを睨みつけた。だが、ジャンヌにとってもこれは看過できない話なのだ。事と次第によっては、自分のせいでヘンリーの身に何か不利益を起こさせてしまったのかもしれない。突然、屋敷に来なくなってしまった理由がなんだったのかを知らないジャンヌにとっては、どうしても聞かずにはいられない話であった。
「それは……そうね、教えてあげるわ。その昔、私は十八歳で成人したと同時に、ヘンリー師匠の元で働き始めました。地方の寒村にあった私の家はとても貧しくて、私が働かないと家族を養えませんでしたから。師匠は私が女だからといって甘やかせることはせず、他の弟子達と同じように技術を教え込んでくれました。昔気質のああいう人でしたから、教えは厳しくて、たくさんいた私の同期達は次々と辞めていって……それでも七年も経つ頃には、私は一番弟子を名乗れるほどの技術を身に着けられたんです。それは、とても誇らしいことでした。……あなたが現れるまでは」
「私が……?」
「ええ、そうよ。まだわずか五歳を過ぎたばかりのあなたが、たった独りで庭仕事をする私達を見ていたのを、師匠は当初、煩わしそうにしていました。けれど、やつれて寂しそうな子供をそのままにしておけるほど、師匠は鬼のような人ではありません。次第にあなたの様子を窺い面倒を看ながら、師匠はあなたにハサミを持たせてしまった……!」
タチアナの視線がジャンヌを射抜く、どうやらいよいよ話の核心に近づいてきたようだ。突然始まった話に気圧され、隣にいるガンズは止められず狼狽えている。そんなタチアナの話を、ジャンヌは固唾を呑んで聞き入っていた。
「あなたは覚えていないでしょうね。戯れにハサミを手にしたあなたが、覚束ない手捌きで剪定した小さな庭木を見て、師匠が目を見張ったことなんて……!師匠に憧れ、あの人の傍で腕を磨き師匠の弟子でいた私にはすぐわかったわ。師匠があなたの才能を見抜いたことをね……!」
「そ、そんな……!?」
「けれど、なにより許せなかったのは、あなたが師匠の養子に誘われたことよ!ヘンリー師匠の弟子になるだけでも相当に厳しいことだというのに、あなたはただ家族から疎まれているというだけで、私が何よりも欲しかった師匠との縁を得ようとしていた。あのままいけば、私こそが師匠の一番弟子として跡を継ぎ、義娘にさえなれたかもしれなかったのに!貴族の娘として生まれたあなたが、ちっぽけな庶民の私から全てを奪っていく……!そんなこと、許せる訳がないでしょう!?」
「それじゃ、まさか……ヘンリーさんがあの日から、急に屋敷へ来なくなったのは……」
「そうよ、私がメイド長に密告したのよ。師匠があなたをかどわかそうとしているってね。そうしたら目論見通り、あなたの父親はすぐに怒って師匠をあの家から出入り禁止にしたわ。結局、あなたは親に捨てられた訳じゃなかったのよ!」
ジャンヌの父ジャンゴがそれを邪魔したのは、ジャンヌを欲していたからではなく、体裁を考えてのことだったのだが、タチアナにはそれが理解出来ていないようだ。彼女からすれば、その後のジャンヌがどういう扱いを受けて暮らしてきたのかを知らないのだから無理はないのかもしれない。だが、今のジャンヌがそれを訴えてもタチアナが信じるとは思えなかった。
「でもね、師匠は私が密告した事を激しく怒り、罵ったわ。そうして私を破門し、絶縁したの。……どうして?私は何も間違っていない!私は奪われそうになったものを守ろうとしただけなのにっ!」
「そんな……そんなの、ジャンヌさんは何も悪くないじゃないですか!?」
「うるさいっ!その女のせいで、私は全てを失って故郷を離れてここまで流れてきたのよ!……この家で、ガンズ様の下で、私はようやく自分の人生を取り戻せたと思ったのに……どうして今になってまたあなたが現れるのよ!?あなたさえいなけば、この、疫病神っ!」
もはや半狂乱になっているタチアナには、誰の言葉も届かないだろう。彼女にとって、ジャンヌは掴み取ろうとした幸せを奪おうとする敵なのだ。ジャンヌは己の知らなかった事情を突き付けられ、呆然とその場で立ち尽くす事しか出来なかった。
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