思い出の庭
ざわざわと響く喧騒と人混みの多さが、街の大きさを物語っている。ここはトルキアという、バスカヴィル王国の中でも比較的大きな都市の一つだ。
トルキアはフォラファ山脈の西側にあり、これまで旅をしてきたルドマン領とは別の領主が治める土地である。この街はリゾート地として栄えていて、以前訪れたジュラに負けずとも劣らない人気の旅行先である。
「うわぁ、凄くたくさんの人がいますね!……でも、なんだか不思議な匂いがします」
「ふふん、トルキアは昔から香辛料が多く採れる土地柄だからな。スパイスを多く使った料理が盛んなのだよ!そして、このニオイは……カーリャだな!」
「カーリャって、たまに違う街でも見かける茶色いスープみたいなやつよね?こんなに凄い匂いしてたっけ」
「スパイスの使い方が違うんだろう……うっ、俺は少し苦手な匂いだ」
興味津々なジーナと自慢げに語るシーザーの二人とは対照的に、ジャンヌとソロは怪訝な顔をしている。というより、ソロは明らかにげんなりした様子だ。どうも、エンデュミオン皇国出身の二人にはカーリャが合わないようである。
ソワレを出発して早くも二ヵ月以上が経ち、一行は無事トルキアまでやってきた。レガリアへ到着するのはまだまだ先だが、途中でシーザーが歩きたくないからと言い、長距離移動の馬車を無理矢理に用意してくれたおかげで、かなり速い旅路である。このペースでいけば、あと半年もすればレガリアに到着出来るだろう。とはいえ、このまますんなりいくとは思えないのだが。
ちなみに、ポンザはジャンヌがレイモンド達を退けた翌日、路地裏で大怪我をして倒れている所を通行人に発見された。どうやら、レイモンドに裏切られて斬られたようだが、奇跡的に命を取り留めて入院中のようだ。彼は自らの加護を使って叔父であるルドマンの印を複製して悪用しており、治療が終わり次第裁判にかけられて罪を問われることとなる。加護を悪用した犯罪は通常よりも罪が重くなる為、彼の将来は暗いだろう。
適当に興味のある食べ物を食べ歩きしつつ繁華街を抜けると、住宅地に出た。泊まる予定の宿は街の中心部から少し離れた場所にあり、その分安く泊まれるのだが、物を買って宿で食べるという行為には向かない位置関係だ。通常、どこの国や土地においても、繁華街や商店などは街の外縁部にあり住宅街は街の中心にあるものだ。これはかつてのダンジョンが健在だったころからの名残で、外敵から街の人々を守る為にそういう設計になっている。
しかし、トルキアは違っていて、街の中心が繁華街であり、住宅地などはそれを囲むように出来ているのだ。これは、元々この地方に住む人々が大きな集団を作って生活する習慣がなかったせいらしい。トルキアという街は、小さなグループが点在する地方において、人々が集まって交流する拠点から始まったのだ。
「うわぁ、大きな家!凄いお屋敷ですね」
「ここは街長の家のようだな。中々見たことのない建物の様式だが……どうした?ジャンヌ」
通りがかった大きな屋敷にジーナが目を奪われていると、ジャンヌはどこか不思議な面持ちでその屋敷を見つめていた。そんなジャンヌの隣に立ち、シーザーは微笑みながら肩に手を載せている。
「……ジャンヌ君、そんなに物欲しそうな顔をしなくても、僕の妻になってくれればこの程度の屋敷の一つや二っつぅ!痛たたたたっ!?」
「誰が物欲しそうな顔してるってのよ!失礼しちゃうわねっ!……このお屋敷の庭園、どこかで見たことがある気がしただけよ。まったく!」
さりげなく肩に乗ったシーザーの手を力づくで捻り上げながら、ジャンヌが妙な事を口にした。ジャンヌが旅暮らしをするようになってそこそこ経つが、この辺りに来た事はまだ一度もないはずだ。一度嗅いだら忘れられないようなカーリャの匂いですらジャンヌは知らなかったのだから、それは間違いないだろう。だが、そうなると庭園に見覚えがあるというのはおかしい。ソロ程ではないにしろ、ジャンヌも記憶力は良い方である。MIRAは職業柄、手配書の人物画を覚えるのが必要不可欠だし、ちょっとしたことに気が付くかどうかでも、生死に直結する事が多いからだ。もっとも、ほとんど不死身なジャンヌはそんな危険に遭った事はあまり無いのだが。
そんな会話をしていると、庭園の奥から一人の人物が顔を覘かせた。屋敷の主……にしては服装がラフである。顔立ちは悪くないが中年で眼鏡をかけ、薄汚れた作業服姿のその女は、騒ぐジャンヌ達を睨みつけていた。
「あなた達、何をしているの?ここは街長、ガンズさんのお屋敷よ。用がないなら騒いでいないであっちへいきなさい」
「ああ、すみません。申し訳ない、ほら、いくぞ皆」
「うーん……?あなた、どこかで会った事ない?」
「は?あんたなんか知ってるわけ……」
「いや、どっかで会った事あるわ、絶対。特にその眼鏡……………………あーっ!思い出したっ、あなた!確かヘンリーさんの弟子の人じゃない!?」
「えっ!あ、あなたどうしてそれを……!?それにその瞳……まさか、まさかあなた!」
女は驚き、口元に手をやって呆然としていた。彼女の名はタチアナ・キャスリーンといい、気難しいヘンリーの弟子達の中でも特に優れた才能を持った女性である。そして、彼女こそ、ジャンヌがヘンリーの養子に誘われた事を聞き、それを告げ口した弟子本人だった。
「懐かしいわ……!そっか、この庭園はあなたの仕事だったのね。道理で見覚えがあるはずよね、あなた、ヘンリーさんのお弟子さんの中でも特に優秀だってヘンリーさんが言ってたもの!」
ニコニコと笑いながら懐かしむジャンヌの表情はとても明るかった。ジャンヌの辛い少女時代の中で、唯一楽しく温かみのある記憶だったのは、ヘンリーとの思い出だけだ。彼は厳しく、言葉もきつかったが、その反面、誰よりもジャンヌの事を気遣い、優しくしてくれた大人だった。ヘンリーがいなければ、ジャンヌは自らの命を断ってしまっていたかもしれない。それほどの恩人だったのだ。
「そ、そんなの……ウソよ。だって、わ、私は……」
「ヘンリーさんはそんなウソをつく人じゃないわ。ねぇ、ヘンリーさんは一緒じゃないの?元気にしてるかしら?」
「し、師匠は来てないわ。私、独立したから。もう、15年近く会っていないし……」
「そっか、そうだったのね。あの時のお礼も言いたかったし、会いたかったけれど、残念ね……」
「な、なにを、白々しい……」
「え?」
「白々しいって言ったのよ!全部……全部あなたのせいじゃないっ!あなたがいなければ、私はずっと師匠の弟子でいられたのに!あなたさえいなければ!」
「え、ちょ、ちょっと……!」
激昂したタチアナの剣幕に、ジャンヌは驚きを隠せなかった。当然、傍で話を聞いていたソロ達も、何故彼女がそこまで怒り出したのか解らないほどだ。だが、とてもタチアナの怒りに割って入る事が出来ず困惑していると、騒ぎを聞きつけたのか、屋敷の中から一人の老人が慌ててやってきた。
「おい、騒々しいぞ!家の前で何をやっているのだ!?……む?あ、あなたは王子!シーザー王子ではございませんか!?」
「ん?おお、僕を知っているのか?」
「もちろんでございます!当家は領主様を通じて王家にも香辛料などを献上しておりますので、四季の催しなどにも参加させて頂いておりますので!これ、タチアナ、何をしておる!王子とお連れの皆様をご案内せぬか!」
「お、王子、様……?!失礼いたしました。どうぞ、こちらへ」
屋敷の主人、ガンズと思しき人物の一声で、ジャンヌ達は期せずして屋敷へ招かれることになってしまった。タチアナの怒りに動揺をしつつ、ジャンヌ達はそのままシーザーについていく事しか出来なかった。
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