駆け抜ける嵐
「ゲホッ……グッ、ゲハ……ぁ、ぅぅ」
血反吐の混じった呼吸が落ち着いて行く度に、ジャンヌの視線がハッキリと、強く鋭くなっていく。本来であれば即死しているであろうダメージを負っているはずのジャンヌが生きていて、しかも、これほどの殺気と威迫を見せている事に、レイモンドは気圧され冷や汗を垂らしていた。
(どういうことだ?!何らかの加護の影響か?しかし、俺がジャンゴ様やアメーリア様から聞いていたのは、コイツが魔法も使えず、加護すら持っていない無能だという話だったはずだ……コイツが加護を持っていたなど聞いたこともないぞ!?)
レイモンドが狼狽えるのも無理はない。そもそも、ジャンヌの両親であるジャンゴとアメーリアも、ジャンヌが持つ能力については何も知らなかったのだ。加護とは、人が生まれつきに持つ才能である場合と、後天的に才能として目覚める場合の二種類がある。ジャンヌの加護である大逆転は、その後者だった。
ジャンヌは、生れ落ちたその時から大逆転を持っていた訳ではない。彼女が大逆転を目覚めさせたのは、飼育小屋に入れられるより少し前、三歳になるかならないか頃の事である。ジャンヌが産まれてからというもの、両親は互いに罵り合わぬ日など無い程に喧嘩が絶えない生活をしており、当然ながらジャンヌもろくに目をかけられた事など無かった。そんな時、ジャンヌはある流行り病に罹ってしまった。
それは所謂、はしかのようなもので、この星に生きるものならば誰もが当たり前に経験するありふれた病気だ。本来であれば、魔法によって適切な処置をすれば何ら問題なく耐えきることが出来るのだが、既に両親から忌み子として扱われていたジャンヌは、そうした処置を受ける事が出来なかった。
誰もが罹るありふれた病といえど、対処を誤ればそれは致命傷となりうる病気である。その為、ジャンヌは一人、ベッドの中で苦痛に悶えながら己の力のみでその病に対抗しなければならなかった。そんな中で、命の危機に瀕したジャンヌは、大逆転という加護を目覚めさせたのだ。
エンデュミオン皇国の貴族達は、子供が産まれると加護の有無を調べるのが一般的だが、後天的に加護を得たかどうかまでを調べるかはその家によって様々だ。ジャンヌの場合、忌み子として疎まれていたせいか、誕生直後に加護の有無を調べた後は、特に能力の調査はされていなかった。病から独力で生還したジャンヌは魔法を使う術を失っていたのだが、それは両親にとって、ますますジャンヌを疎んじる理由が増えただけに過ぎなかったようだ。
銀の魔女の血を引くパルテレミー家にとって、魔力と魔法の扱い方は彼らのアイデンティティに直結している。にも関わらず、ジャンヌは魔法を扱えない子どもになってしまった。ただ、産まれてすぐに魔法を扱える赤ん坊はいないので、彼女の両親からすればジャンヌが後天的に魔法を扱えなくなった理由――つまり、大逆転の存在に気付く事もなかったのだろう。
「ジャンヌさん、しっかりして下さい……!」
「ゴホッ、だ、だい……じょうぶ、よ。ジーナ、下がって、なさい!」
「立った、だと……!?貴様、本当に人間か?」
両の足でしっかりと立ち、ジーナを背後へ下がらせたジャンヌに、レイモンドは動揺を隠せなかった。彼の剣は喉を貫通し、首の骨にまで達していたのだ。確実に仕留めるつもりでそうしたレイモンドからすれば、それを物ともせずに傷を癒し、ジャンヌが立ち上がった事は常識の範疇を超える事態である。ただもし、あそこでジャンヌが反撃をせず、レイモンドの剣がジャンヌの首を刎ねていたなら、ジャンヌは間違いなく死んでいただろう。ジャンヌはあと一歩、寸での所で死を回避したに過ぎない。
ジャンヌはそんなギリギリの自分を見透かされないように、精一杯の余裕を込めて笑った。
「ふふっ……」
「な、なにがおかしいっ!」
「……どうしたの?青い顔をして。銀の魔女を守る銀の騎士が台無しじゃない。よっぽど無能な私が怖いのかしら。それとも、銀の魔女がいなくちゃ、銀の騎士は力を発揮できないのかしらね?」
「き、貴っ様あぁぁっ!」
動揺し、心の均整が崩れていたレイモンドは、恐い位にジャンヌの挑発に乗った。レイモンドは激昂し、再び剣を構えて、自らの影を創り出す。二つの影と名付けられたその魔法は、魔力によって分身となる影を作り、敵を攻撃したり惑わせたりする魔法だ。分身といっても、本体と直接つながっている訳ではないので、例え破壊されてもダメージを受ける事はない。その分、精密な動きなどは出来ず、一度放てばキャンセルする事も不可能だ。更に言うと、魔力の消費も決して少なくないという欠点がある。
彼はその魔法を、自らの加護『封鎖』と組み合わせて使っていた。『封鎖』は、自分と対象にした相手を限定した空間に閉じ込める加護であり、敵の逃げ場を封じることが主目的となる加護である。加護の本質は自らの持つ無意識の才能であり、レイモンドは何者も自分の手から逃したくないという屈折した願望を持っていたのだろう。それが『封鎖』という形で発露したのだ。
レイモンドの身体から剥がれ落ちたような二つの影が、彼の姿へと変化してジャンヌに飛び掛かる。ジャンヌはそれらに向かって、ハバキリに大量の魔力を流し込み、勢いよく走り出した。
「一度見た攻撃をそのまま使う、そんなのは悪手も悪手よ!私がそう仕向けたんだけど、ねっ!」
先程、ジャンヌが二つの影を防げなかったのは、それが質量を持たぬ魔法で作られたものだと気付いていなかったからだ。魔力そのものである二つの影は物理的な攻撃ではない為、魔力の伴わない攻撃や防御では防ぐことができなかった。いわば、奇襲のようなものだ。それが通ったのだとしても、次にまた同じ攻撃をするなら、何かしらの緩急をつけねば対策されてしまうだろう。ジャンヌはそれをさせない為に、あえてレイモンドを挑発し、激昂させたのだ。
「なっ!?」
二つの影が一度発動してしまえば、もうそれは止められない。精密な動きが出来ないという事は、魔法を放った後にコントロールすることが出来ないという事である。放たれた矢と同じで、狙った場所に相手が居続けていればいいが、そこから大きく離れてしまえば命中しない。だからこそ、出来るだけ逃げ場を制限できる『封鎖』と併用していたのだ。
二つの影の間を駆け抜けて、ジャンヌがレイモンドに斬りかかる。初撃が防がれれば間髪を入れず次の一撃に……それを繰り返して、まるで嵐のような猛攻を繰り出していた。
いかに超絶の回復力を持つジャンヌとて、受けたダメージを治癒しても、体力までは一瞬で回復しない。失った体力を取り戻すには、十分な栄養と休息が必要不可欠だ。だが、栄養はともかく十分な休息など、戦闘中に確保できるはずもないのだ。どれほどの回復力があっても、そう何度も致命傷を受けてしまえば、ジャンヌは戦うことなど出来なくなってしまうだろう。
それともう一つ、ジャンヌが勝負を急ぐ理由があった。それは、レイモンドに冷静さを取り戻させない為だ。もしも今、レイモンドが動揺から立ち直って落ち着きを取り戻した時、彼はどんな行動に出るだろうか?恐らくだが、レイモンドは勝利の為なら手段を選ばないタイプだ。とすれば、確実にジーナが狙われる可能性がある。
ジャンヌ達にとってはこの異質な空間で、果たしてジーナは精霊の力を借りて身を守る事が出来るかと考えた時、ジャンヌはそれが不可能だったらと想像した。もしそうなれば、ジャンヌはジーナを庇って戦わなければならず、苦戦を強いられるのは明らかだ。先程のような致命傷からは何度もは立ち直れないとなれば、ジャンヌが勝利を掴めるのは今、この時だけなのだ。
「はああああああっ!」
「ぐっ!?バカな、押されている!?この俺が……くそっ!」
レイモンドは妹アネットと近い年齢である為、まだ若く経験的には未熟だ。予想を超えるジャンヌの抵抗に浮足立つのも無理はないだろう。暴風をまとうかのようなジャンヌの猛攻は、彼の思考を鈍らせ、防戦一方であった。そして。
「ぐぁっ!」
「通った……!これでっ!」
ジャンヌ渾身の一太刀が、レイモンドの剣を叩き切り、その右肩に深々と食い込んだ。ダメージによって魔力は乱れ、レイモンドの『封鎖』が解けていく。ジャンヌがトドメを刺そうと更にハバキリを振り下ろした瞬間、それは起こった。
「そこまで。悪いが彼を死なせる訳にはいかないんでね」
「えっ!?い、いつの間に……」
突如として現れたのは、エルドレッドとグレッグ、ヴィヴィアンの三人だ。ヴィヴィアンはハバキリを双剣で弾き返し、グレッグがレイモンドの身体を抱えている。そして、先頭に出たエルドレッドはニヤリと笑みを浮かべ、ジャンヌとハバキリを見つめていた。
「初めまして、だね。ハバキリの使い手よ。僕の名はエルドレッド。いずれ君と直接戦うことになるだろう、その時はよろしく頼むよ」
「な……!?」
「この勝負、今日の所は僕が預からせてもらうよ。レイモンドは僕の大事な友人なんだ、ここで死なせる訳にはいかないからね。じゃあ、行こうか」
「まっ、待ちなさいよ!このっ!」
ジャンヌが改めてハバキリを振るおうとした時、四人は一瞬の閃光を残してその姿を消した。ジャンヌは、その手の中のハバキリが微かに震えているのを感じ、その場に立ち尽くすのだった。
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