飼育小屋の令嬢
飼育小屋で、たった一人での生活を始めたジャンヌが最初にやったのは、動物達の世話だった。ここにいるのは、高齢で卵を産めなくなった鶏と、同じく年を召して乳の出なくなった牛。そして、もはや立っているのがやっとな馬達などだ。元々居た飼育員達は、新しい飼育小屋と、そこで飼っている動物達の世話で忙しく、とても残された動物達の面倒は看ていられないようだった。
朝起きると、まずは井戸で水を汲み、動物達に新鮮な水をやる。次に、ボロが溜まった寝藁を集めて、ジャンヌの身体よりも少し大きな手押しの一輪車にそれを載せ、新しい飼育小屋の傍にある廃棄場へと運ぶのだ。そこで綺麗に一輪車を水で洗い、今度は新しい寝藁と動物達の餌を積んで戻るのである。
全てが見様見真似だったが、ジャンヌは動物達を放っておく訳にはいかなかった。自分がこれから生活していく場所なので、彼らの世話をしてやらなければ臭いや汚れに悩まされるのはジャンヌの方だったし、何より相手は先が短い動物達であっても、少しでも何かと関わりたかったからだ。
ジャンヌがそれを始めたすぐの頃は、他の飼育員達もジャンヌに気付くと気を揉んでいたようだが、彼らもこの屋敷に住み込みで働く者達である。当然のように雇い主の事情を察し、誰もジャンヌには近寄らず、関わろうとする者はいなかった。
食事は、一日に一度、夜に厨房へ取りに行くのが日課である。お抱えのコック達は、やってきたジャンヌを見ても怒鳴ったりはしなかったが、動物達の世話によって汚れた格好で厨房に入る事を特に嫌った。その為か、いつしかジャンヌの分の食事は、トレーに載せられた状態で勝手口の脇の地面に、直に置かれているようになった。ジャンヌは日が暮れた頃にそれを受け取ると、飼育小屋へ持ち帰って、独りで食べるのだ。それまでも、黙ったまま張り詰めた空気の中で行われる両親との食事の時間は、決して楽しいものではなかったが、まだ温かい食事がとれただけマシだった。ジャンヌは一人、冷えて硬くなったパンと、具がほとんど入っていない冷めたスープを飲み、静かに泣いた。
そんな生活を初めて5年が経った頃、ジャンヌは人知れず窮地に立たされていた。
「困ったわ……キツイなと思ってたけど、袖が通らなくなってきちゃった。これじゃ、着ても動いたら破けちゃうかも。それでなくてもボロボロだし……どうしよう」
ジャンヌは手持ちの服が体のサイズと合わなくなってしまっていたのだ。乏しい栄養状態にあっても、子供の成長は特に早く、ジャンヌは健やかに育っていた。普通であれば、栄養状態の悪い子供の成育は悪いはずだが、ジャンヌは大逆転の効果もあって、すくすくと成長していたようだ。これ自体は悪いことではないのだが、状況がそれを最悪なものに変えていた。
食事が少ないのは我慢できたし、飼育小屋にはトイレと簡単なシャワー室が付いていたので、井戸の水で洗濯と水浴びは出来た。魔法を使えないジャンヌは水を湯に変える事は出来なかったが、水でも洗えないよりはマシだろう。だが、そんなジャンヌにもどうしようも出来ない事がある。それは、ゼロから衣服を作ることだった。
飼育小屋に追いやられてしまったジャンヌには、当然、新しい服を買って欲しいなどと両親に頼むことは出来ない。そもそも、母屋である屋敷に立ち入ることさえ許されていないのだから、頼む事すら難しかった。そうなると、五歳の頃まで来ていた服を着まわして生活するしかないだろう。
雑な暮らしを余儀なくされれば、衣服の傷みは早くなる。ジャンヌは新しい方の飼育小屋からその都度道具を拝借し、汚れきったり破れてしまった服を継ぎ接ぎしつつ、どうにかこうにか誤魔化していたのだが、流石に五年も経てば限界だったのだろう。最後まで着ていたワンピースがいよいよ悲鳴を上げ始め、ジャンヌは途方に暮れていた。
破れた個所に古い服をバラして作った当て布で補強したワンピースは、耐久力が完全に無くなってしまっている。仮に無理矢理袖を通したとしても、日常生活に耐え得る強度があるかは不明だ。かといって、完全に何もない所から服を作るような技術はない。
ジャンヌが部屋の中で立ち尽くしていると、そこに近づく人影があった。年老いているが厳めしい顔をしたその老人は、飼育小屋の前に立つと静かに声を上げる。
「おい、嬢ちゃん。今日は出て来ないのか?どこか、具合でも悪いのか?」
「あ、ヘンリーさん?!ごめんなさい、実は服がダメになっちゃって、着るものがなくって……」
「なに?…………しょうがねぇ、男物だが作業着を貸してやる。裸じゃ飯を取りに行く事も出来ねぇだろうからな。少し待ってろ」
「あ、ありがとうございますっ!」
ヘンリーという老人は、ぶっきらぼうな口振りでそう言うと、再びどこかへ行ってしまった。彼こそ、子供の頃のジャンヌを支えてくれた、ただ一人の大人だった。
通常、こうした貴族の屋敷には庭園があり、住み込みの庭師などが管理を行うのが一般的だ。しかし、ヘンリーは独立して造園業を営み、週に数回いくつもの貴族の屋敷で庭の管理をするという、巷では有名な人物であった。ジャンヌはいつからか彼の庭仕事を手伝い、色々な事を教えてもらって、こっそりとおやつなどを分けて貰っていたのだ。そうした仕事の傍らで、ジャンヌから事情を聞いたヘンリーは、彼女を不憫に思ったのだろう。無愛想でいかにも職人といった雰囲気の彼は、ジャンヌが拙いながらも手伝うことを止めもせず、厳しく指導しながら、面倒を看てやっていた。
彼はこの家に直接仕える人間ではない為、他の飼育員や一部の下働きの者達もそれを咎めることはしなかったようである。彼らもまた、ジャンヌの境遇に思う所があったのか、割と好意的に見ていたというのが実情だった。
そうして、次の週にはヘンリーが両手一杯に型の古い女性物の服を持ってきてくれたことで、ジャンヌはどうにかピンチを乗り切ったのだ。
そんな事があってしばらくして、ジャンヌがヘンリーの仕事を手伝っていたある日。不要な枝葉の選定をしながら、ヘンリーはいつもより少し怖い顔で、ジャンヌに声をかけてきた。
「ジャンヌ嬢ちゃん、服の具合はどうだ?」
「あ、ヘンリーさん!頂いた服、とっても着心地がいいわ。綺麗で、なんだかいい匂いがするもの!でも、あんなにたくさんもらっちゃって、いいのかしら」
「気にすんな。もう嫁に行った娘達や、バアさんのお下がりだ。しかし、あんな着古して型の古い服をそんなに喜んで……苦労してるとは思ったが、お前さんはまだ子供だろうに、まったく。この家の者はどうかしとる!」
「仕方ないわ。お父様とお母様は、妹のアネットのことで一杯なの。私は魔法も使えないし、怒られても仕方がないのよ」
「嬢ちゃん……儂の娘や孫達がお前さんくらいの頃は、もっと朗らかで幸せそうに笑っておったよ。…………なぁ、ジャンヌ嬢ちゃんよ。お前さん、この家を出る気はないか?」
「え?」
「いやなに、嬢ちゃんの話をしたらうちのバアさんが年甲斐もなくお前さんに会いたがってなぁ。そんないい子ならぜひ連れてこいと言って聞かんのじゃよ。じゃから、もし……もしお前さんが嫌でなければ、うちの子にならんか?儂みたいなジジイとバアさんが親じゃあ嫌かもしれんがな」
「私が……ヘンリーさんの、家に…………?」
突然の申し出に、ジャンヌは言葉を詰まらせた。この時、ヘンリーと出会ってまだ2年ほどしか経っていなかったが、ジャンヌは彼が決して悪人ではなく、善意で自分を心配してくれる大人だという事は理解していた。時折聞かせてくれる家庭の話を聞いて、羨ましいと思ったことは何度もある。だが、まだわずか10歳のジャンヌに、親を捨てろという選択はあまりにも酷だった。
ジャンヌの心の中では、いつか両親が自分を見てくれる日が来ると信じていた。その時まで言いつけを守り、いい子にしていれば妹と同じように愛してくれるのではないかという思いが残っていたのだ。だからこそ、ヘンリーの申し出は何よりも嬉しかったが、即答する事が出来なかった。もしも、ここでジャンヌが決心していれば、その後の運命は大きく変わった事だろう。だが、そうはならなかったのだ。
「……まぁ、今すぐ決めろとは言わん。今度会った時までにも考えておいてくれ」
答えに窮するジャンヌを見て、いつも怖い顔をしていたヘンリーは表情を緩め、下手くそな笑顔でジャンヌの頭を撫でてくれた。その夜、ジャンヌは一人飼育小屋のベッドの中でヘンリーの言葉を思い出す。
「私が、ヘンリーさんの家の子になったら……もう寂しくないのかな?お母様やお父様と離れても、いいのかな?」
ジャンヌはそう口に出して考えた後、動物達のいなくなってしまった飼育小屋を眺めて涙をこぼし、ヘンリーの誘いを受けてみようかと言う気になった。しかし、この日以来、ジャンヌとヘンリーは顔を合わせていない。
二人の話を聞いていたヘンリーの弟子が、ジャンヌをやっかみ、それをメイド長に密告したからだ。ヘンリーは高名な庭師であり、多くの貴族とのパイプを持つ彼の弟子や家族になることは至難の業である。そんな立場をジャンヌが得ようとすることに、その弟子は我慢がならなかったようだ。
ヘンリーがジャンヌをかどわかそうとしている……そんな密告を受けたメイド長はすぐさまそれをジャンゴに告げた。その報告を受けたジャンゴは怒り狂い、ヘンリーとの契約を打ち切って出禁にしてしまったのである。
こうして、ジャンヌに現れたか細い救いの道はあえなく絶たれてしまった。ジャンヌに次の転機が訪れるのは、ここから更に五年もの月日が流れてからのことだ。
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