ジャンヌ・パルテレミー
ジャンヌ・パルテレミー。年齢、二十歳。彼女は今から二十年程前、生まれ故郷のエンデュミオン皇国において、名門とされるパルテレミー伯爵家の令嬢として生を受けた。
彼女の父・ジャンゴは、若くして伯爵家を受け継ぎ、母であるアメーリアとは学園で運命的な出会いを果たし、大恋愛の末に結ばれたという。そんな二人はいつも仲睦まじく、互いに美しい銀髪をなびかせて歩く様は、国の誰もが羨んだと言われている。そう、濃い藍色の髪を持つ、ジャンヌが生まれるまでは。
パルテレミー家にとって、銀髪は特別な意味合いを持つ身体的特徴だ。そもそも、エンデュミオン皇国において銀色の髪を持つ人間は、パルテレミー家にしか存在しないとされる幻の髪色なのだ。それは、かつて救国の英雄として名を残した銀の魔女……パルテレミー家の祖先、ジェニファー・パルテレミーから受け継がれた特徴だった。
以前、サシャが読んでいた絵本『ぎんのきしとぎんのまじょ』は、ジェニファーをモデルにした物語であるという。あくまで絵本という形式にはなっているが、パルテレミー家に伝わる言い伝えとしては、その物語はほぼ実話である。世界を救う為に立ち上がった銀髪の魔女とその騎士こそが、パルテレミー家のはじまりだったのだ。
彼女達は艱難辛苦の末に、世界を滅ぼさんとする力を領内にある洞窟の奥深くへ封印したらしい。その力の詳細などは伝えられていないものの、絵本にあるように、相当過酷で大変な旅の果てだったと伝えられている。
そんな数百年以上もの間で受け継がれてきた確かなことは、パルテレミー家を継ぐ者は必ず銀髪であり、また銀髪の子供がパルテレミー家に産まれるとほぼ同時期に、エンデュミオン皇国内のどこかで銀髪の子供が産まれるという逸話だった。そして、その二人は絶対に出会い、恋に落ちるというのだ。それはジャンヌの父ジャンゴと母アメーリアもそうだったし、祖父母も、そのまた祖父母も同じで、連綿と一族に受け継がれてきた不思議な因縁である。
絵本では、銀の魔女と銀の騎士が生まれ変わり、共に生きるという結末で終わっているが、実際にはそんな事はないだろう。何故ならジャンヌの両親も、そして、そのまた両親も当然健在な内に、次代の嫡子は生まれるのだから。
そんな中で、ジャンヌは銀ではなく、藍色の髪を持って生まれた。彼女の誕生を心待ちにしていた両親は、産まれてきたジャンヌの髪を見て絶叫し、崩れ落ちたのだそうだ。その時、ジャンゴはアメーリアの不貞を疑い、酷く罵った。一方で、身に覚えのないアメーリアもまた涙ながらにそれに抗い、激しい口論が絶えなかった。誰もが羨んだ世紀のカップルは、それから数年間、世にも醜い争いを繰り広げたという。
そんな二人の間で板挟みになったジャンヌは、不遇の少女時代を過ごす事となった。父からは、母の犯した不義の動かぬ証拠として蔑まれ、母からは、謂れなき罪を自らにもたらす敵として疎まれた。両親からの愛情を最も必要とする幼少期に、ジャンヌは誰よりも家族から見放され、憎まれていたのだ。
当然、当主であるジャンゴやその夫人アメーリアがよく思っていない子供など、家に仕えるメイドや執事達がよく思うはずもない。まだ一人で立つ事すら覚束ない赤子の頃から、ジャンヌは孤立無援だった。
それでも、ジャンヌは五歳になるまで、仮にもパルテレミー家の嫡子として最低限の世話はされていた。彼女にとって最悪な形で全てが変わってしまったのは、ある事がきっかけだった。
――15年前、ジャンヌ・パルテレミーが5歳になって、数日が経過した頃。
「ジャンヌ、ジャンヌ!どこにいるの?早く来なさい!」
「はい、お母様!今行きます!」
その日、朝から部屋で勉強をしていたジャンヌは、産院から戻った母の呼びかけが聞こえると、それにいち早く応じて、部屋を飛び出した。廊下を走ってはいけないといつも怒られていたが、母の呼びつけに後れるくらいなら、メイド長に怒られる方がずっとマシだ。
何しろ、母がジャンヌを呼ぶことなど滅多にない。ほとんどの場合、母や父は彼女をいないものとして扱うか、冷たい目で睨むように視線を向けて叱るかの二択なのだ。しかし、今日は怒られるような事など何もしていない。密かにメイド達が妹の誕生を話していたし、きっと自分にも何か良い事があるに違いないと、この時は漠然とそう思っていた。
息を切らせて玄関に着くと、とても半月前に出産したばかりとは思えないほどしっかりとした立ち姿の母、アメーリアがそこにいた。伯爵夫人としては控えめなドレスに身を包み、産まれたばかりの妹を愛おしそうに抱いて、太陽の光を背に浴びる姿は何よりも美しい。お付きのメイドと執事は恭しく母に首を垂れている。ジャンヌが産まれた時、自分もあんな風に優しく抱いてもらったのだろうか?とジャンヌにふと疑問が浮かんだ。そして、母の腕の中にいる妹の事が羨ましいなと思う反面、彼女がどんなに可愛い顔をしているのかと、楽しみになる気持ちもあった。
「おかえりなさいませ、お母様」
「……来なさい、ジャンヌ」
息を整えてジャンヌが挨拶をすると、それまでは悲しげな目で彼女を睨むだけだった母の視線が、強く冷たい非難を込めたものに変わっていた。ジャンヌは驚きながらも、自分は一体、何をしてしまったのだろうと懸命に記憶を辿る。だが、出産の為、産院に入っていた母と顔を合わせるのは一ヵ月ぶりだし、その前に何か粗相をしでかした覚えはない。ジャンヌはおっかなびっくりで、妹を抱きながらズンズンと歩いていく母の後を追った。
しばらく進むと、屋敷の庭の片隅にある小さな建物へと辿り着いた。そこは、屋敷で飼育している動物達の世話人が泊まり込む為の簡素な小屋だ。中には一人用の小さなテーブルと、粗末なベッドが置かれているだけで、後は何もない。古い飼育舎に繋がる扉は軋んであまりにも寒々しい、殺風景な部屋だった。
先日、新しく飼育舎が建てられたこともあって、今ここには人も動物もいない。いや、正確に言えば、動物だけは僅かに残っている。ずいぶんと年を取って、もう新しい飼育舎に移る力もないと言われた、見捨てられた動物達だけ。飼育舎独特の、動物達の匂いが立ち込めるその部屋に入ると、ジャンヌは一気に不安になって、アメーリアに問いかけた。
「あの、お母様、ここは……?」
「いいこと、ジャンヌ。今日から貴女はここで暮らしなさい。妹のアネットには部屋がないのだから、今後は貴女の部屋をアネットの部屋にするわ。あなたの荷物は自分で運ぶのよ。いいわね?」
「え、そんな!?私、ひ、一人でここに……?」
「なぁに?文句があるの?」
「い、いえ……ごめんなさい」
ジャンヌは思わず面食らって、謝罪の言葉を口にする事しかできなかった。母の向けてきたゾッとするほど冷たい視線が、普段、父が見せるそれよりも遥かに鋭く恐ろしかったからだ。だが、何よりも心に響いたのは、母が呟いた「貴女さえ生まれて来なければ……」という、小さな小さな呪いの囁きが聞こえてしまったことだ。そしてこの時からジャンヌは、この狭くボロボロな飼育小屋で生きていくことになった。
押し黙り、うつむくジャンヌとは対照的に、アメーリアの腕の中ではアネットが赤ん坊らしい笑顔を浮かべてすやすやと眠っている。おくるみの端から、母と同じ透き通るような銀髪が覗き、キラキラと美しく光を反射していた。
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