伯爵の誘い
夜半に起きたボワ湖での騒動は、少し離れたティグからも確認出来ていたらしい。翌日、ジャンヌ達がティグに辿り着き、街の衛士達にその話をすると、呆れたような感心したような、何とも微妙な表情が返ってきた。
あの巨大魚は通称、ディアボリケ・ボワと呼ばれ、古くから恐れられていた怪魚だったらしい。何でも、月に数回、ああして湖面に浮かび上がってきては津波を引き起こし、木々や近くにいる生物を湖に引き込んで食べてしまう雑食の魚だったそうだ。ジャンヌの推察通り、昔は湖の近くに街があったのを引き上げざるを得なかったのは、ディアボリケ・ボワのせいであった。
ただ、あれほどの巨体を月に数回程度の食事で賄えるのか?とジャンヌが疑問を口にすると、ソロは、ボワ湖の底ではカジュミーラ山だけでなく他の水源とも繋がっているのだろうと答えた。つまり、ディアボリケ・ボワはフォラファ山脈全体の水源を根城とする怪魚だったということだ。恐らく、ボワ湖以外にも餌場があって、そちらでも捕食を繰り返していたのだろう。フォラファ山脈は険しい山々なので、人に見つからない餌場があっても何らおかしくはない。
ディアボリケ・ボワがいなくなり、今後の生態系にどんな影響が出るかは未知数だが、ティグの人達の反応は概ね好印象なようだ。何でも、あのディアボリケ・ボワがいつ現れるか不明だった為に今までは湖を漁場として扱うことが出来なかった上、ジュラとの往来も制限を懸けざるをえなかったという。別ルートからの移動は問題なかったが、ティグからジュラまで行くには街道を使うしかない。しかし、もし夜にディアボリケ・ボワと出くわせば大変な被害が出るだろう。それを警戒して、豊富な魚資源があっても漁場としても使えず、また公共の馬車などが少なかったのだ。
様子を見ながらという事にはなるが、今よりも往来がしやすくなり、さらにたくさんの魚が獲れればジュラやティグはますます観光客で賑わうことだろう。二つの街がよりよく発展する未来に繋がればいいなと、ジャンヌは思った。
ティグは、ボワ湖から2キロほど離れた場所に作られた都市である。ジュラ同様、各地から観光客を誘致して栄える街なのは、この辺を治める領主であるルドマン伯爵の政策によるものだ。ルドマンは自分が治める土地の特性や、それを活かす事に長けた人物であり、極めて政治的に有能な貴族と言ってもいいだろう。なお、ジーナが暮らしていたドルトとは国は同じでも別の領地であり、治めている貴族が違ったりする。
「それにしても、ジュラだけじゃなくて、このティグって街も人気よねぇ。美味しい食事の店も多いし、宿も値段の割にすごくよかったわ。昨日は酷い目にあったから、しばらくここでゆっくりしたいくらい」
ジャンヌはそう言いながら、腕と背中を伸ばして歩いていた。昨夜は本当に命を落とす一歩手前だったので、羽を伸ばしたくなる気持ちは理解できる。とはいえ、そう長居できないのも事実なのだ。ここからジーナを連れていくレガリアへは、かなりの長旅になるからだ。
「まぁ、2~3日は滞在してもいいが、それ以上となると困るぞ。まだまだ先は長いからな」
「それは解ってるわよ。でも、今日くらいはゆっくりさせてよね?冗談抜きで死ぬかと思ったんだから。もー、この間から疲れることばっかりだわ」
「でも、本当にジャンヌさんが無事でよかったです。……私だけじゃなくて、ソロさんも凄く心配してたんですよ」
ジーナがこっそり付け加えると、ソロは少し照れ臭そうに顔を背けた。なんのかんのと言いつつ、ソロはジャンヌを大切にしているのだろう。彼女の実力を知っているからこそ普段は素っ気ないが、本当にジャンヌが危険な時には、ソロも黙っていられないのだ。それを理解して、ジャンヌは意地悪そうに微笑んでソロを横からつついている。
そこへ一人の男が立ち塞がるようにして現れた。白髪交じりで、六十代と思しきやや高齢のその男は、執事風の燕尾服を身に纏い同時にただならぬ気配をも纏っている。一見すると、貴族お抱えの高齢な執事に見えるが、その雰囲気と服の下に隠された鍛え抜かれた身体も相まって、とても見た目通りの老人とは思えない。
ジャンヌ達はその男に見覚えは無かったが、こうして前に立ったという事は、人違いではないのだろう。ジャンヌ達が何かを言う前に男は恭しく頭を下げて話しかけてきた。
「失礼、お取込み中申し訳ございません。バーソロミュー・サマーヘイズ様と、ジャンヌ・パルテレミー様でございますね?」
「ええ、そうですけど……あなたは?」
「私は、この地方の領主ルドマンにお仕えする、ゴーシュというものでございます。どうぞ、お見知り置きを」
「り、領主様の?!それはご丁寧に……!そ、ソロ!どうしよう?!りりり、領主様のお抱えだって!?」
ジャンヌは、相手が領主の関係者と聞いた途端、さっきまでのハツラツとした笑顔が消えて半ばパニックを起こし、ガチガチに緊張し始めてしまった。それを見ていたソロは溜め息交じりで額に手を押し当ててから、そっと彼女に耳打ちをする。
「落ち着け、ジャンヌ。ここはエンデュミオン皇国じゃないんだ、領主が相手でも君の素性はバレやしないさ。それより、いつも通りにしていろ」
「え?あ、そっか。うん……」
「さて、ゴーシュさんでしたか?失礼しました。それで、どんなご用件でしょう?」
「はい。実は我が主が、どうしてもお二人にお会いしたいと申しておるのです」
「主?ルドマン伯爵が?」
「ええ。幸い、主は今この街に逗留しておりますので、この機会を逃す手はないと……どうか、主に会って頂けませんか?」
頂けませんか?と言われても、断る自由などあるのだろうか。ゴーシュの言葉通りなら相手は貴族で、この国の伯爵だ。更に言えばこの地方を司る領主であるという。そんな貴族の誘いを断る事など、この国では一介の平民である二人には出来るはずもない。ソロとジャンヌは顔を見合わせた後、渋々だがゴーシュについて行くことにした。
現在、ジャンヌ達がいるこの国はバスカヴィル王国という、この世界では決して大国とは言えないが、さりとて小国でもない規模の国だ。ジャンヌとソロはこの国の出身ではないが、身分の差というものには従わねばならない。つまらない事で罪人にされてしまうよりは、面倒事でも付き合った方がマシだ。
「それにしても、ゴーシュさん。どうして我々の事を?」
「あの天才魔法使いである、『猛禽の月卿』バーソロミュー・サマーヘイズ様を知らぬ者などおりませんよ。その相棒、ジャンヌ・パルテレミー様も同様です」
「買い被りですよ、ゴーシュさん。私は一介のMIRAに過ぎません。それと彼女は相棒ではなく、危なっかしい妹のようなものです。出来が悪い訳ではないのがまた厄介で……」
「ッ!」
ソロの言葉を聞き、ジャンヌは仇でも見るかのような鋭い視線でソロを睨みつけた。誰が妹よと顔に書いてあるのが丸わかりだ。しかし、ソロはそれを一切気にしていないようだ。
「MIRA、ですか。確かに、お噂はかねがね窺っておりますよ。先日は、あのロレンツォというNeckを捕まえられたのでしたな。それに……ああ、着きました。こちらです」
「え、ここ!?」
案内されたのは、ティグでも屈指の高級ホテルだった。このホテル、庶民は立ち入る事すら許されず、スイートともなれば庶民の月収数か月分が一晩で消えるという貴族向けの超高級ホテルだ。この街には公営のカジノがある為、時折、王族までもがお忍びで遊びに来る事があるらしい。ここは、そういった高位貴族の為の宿なのだ。
すっかり気後れしたジャンヌの背中を押しながら、ソロ達はホテルの中へと入っていった。
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