旅の始まり
「ようこそおいで下さいました、出席者の皆様。私が、皇帝バーン・ソフ・エンデュミオンの長女、イェルダ・ディフ・エンデュミオンでございます。本日は私の帰還を祝うパーティにお集まりいただき、誠にありがとうございます。今は病床の淵にあり、此度の出席が叶わなかった父バーンに代わり、改めてお礼の言葉を述べさせて頂きますわ」
紫を基調とし、要所にモスグリーンを配置した豪華なドレスは、イェルダの雰囲気と見事にマッチして彼女の美しさと威容を存分に際立たせていた。だが、そんな誰もが目を奪われるであろう容姿も、彼女の発言によってその注意を逸らされてしまった。そう、イェルダは隠されていたバーン皇帝が病に倒れかけていることを公表してしまったのだ。
会場のざわめきが徐々に大きくなる中、その空気を塗り替えるように一人の男性が声を荒げ、イェルダの前に出た。第一皇子のパトリックである。
「イェルダ!貴様、何を言い出している!?他国の貴族も多く参列しているこんな時に……!」
「あら、お兄様、いらしてたんですのね。私、てっきりおみえにならないかと思っておりましたわ。ティファーナ大臣のことがありましたから、私ならばとても恥ずかしくて外に出られませんもの」
「き、貴様……っ!?」
挑発するイェルダの表情は蠱惑的で、誰もが彼女の一挙手一投足に釘付けになっていた。ティファーナ大臣というのは、先日彼女が不正の証拠を基に断罪し、斬り捨てられた男である。彼は古くから帝国に仕えていて、パトリックが子供の頃から彼の後見に努めた人物だった。その彼が不正を働き、その上、よりによって皇女に危害を加えようとした謀反人となってしまった事でパトリック派は大きく動揺し、パトリック自身も深いダメージを負った。イェルダが言っているのはその事だろう。
まさに痛い所を突かれたパトリックは、二の句も継げられずに唇を震わせている。誰もが動けず固唾を呑んで見守る中、ソロだけがこの状況に危険なものを感じ、動き出していた。
「別にお兄様が責任を感じる事ではございませんわ。お兄様が幼少のみぎりから、大事に後押ししてくれていた人物が大罪人であっても、お兄様自身が罪を犯した訳ではございませんもの。そうです、お兄様は騙され踊らされていたのですわ。あの愚かで悪徳な男によって」
「許さんぞ、イェルダァァァァッ!」
ついに激昂したパトリックから魔力が溢れだし、いくつもの氷塊となって周囲に浮遊する。パトリックという男は、魔法兵に肩を並べられるほどの魔力を持っている。第一皇子という立場上、魔法兵にはなれなかったが、本人的にはそれが自慢であるらしい。もちろん、現役で活躍する魔法兵達から比べれば、彼の技術は並程度で到底誇れるものではない。魔法兵は元々魔法が得意で、常人以上の能力を持つ者達が集まり競って、互いに高め合っている者達だ。ただ高い魔力を持っているだけで、彼らと同等と思い込めるのは、自惚れでしかないだろう。皇子という立場にあるパトリックの自尊心を、誰も壊さないように黙っているだけだ。
浮かび上がった氷塊が間髪入れずにイェルダ目がけて飛んでいく。あまりに急すぎる展開の為かパーティの出席者達の誰もが驚愕し、声も出せずに狼狽えている中で、一つの影が集団から飛び出してきた。
「させるかっ!」
「っ!?」
飛び出した影……ソロは、あっという間にイェルダの前に立つと飛び込んでくる氷塊を睨みつけた。瞬間、ソロの身体の周りに氷塊と同じだけの雷が生まれ、そこから発生した稲妻が次々に氷塊を撃ち落としていく。そして、数十発以上放たれただろう氷塊は、ただの一発もイェルダに届く事はなかった。パトリックはその結果に目を見開き絶句する。その隙に、彼の背後に立つ者がいた。
「!?よせっ!ギリアム!」
「はっ!?ぎゃああああっ!」
ソロが制止した時には、既にギリアムは剣を構えていた。そして、パトリックがソロの声に反応して振り向いた瞬間、その身に剣を振り下ろしたのだ。その場のほぼ全員が、パトリックの死を直感していた。だが、斬られたはずのパトリックから鮮血は飛び散っていない。どうやら、ギリアムは鞘から剣を抜いていなかったらしい。その一連の流れを誰よりも満足した顔で見つめていたのは、イェルダである。そして、流れるような仕草で頭を下げると、よく通る声でこう言った。
「ご出席の皆様、大変お見苦しいものをお見せいたしました。ご覧の通り、我が実兄パトリックは乱心の上、私を殺害しようとしたのは明白です。ですが、私には最高の護衛がついております。今一度ご覧ください、我が国最強の騎士ギリアムと、屈指の魔法兵バーソロミューの雄姿を!」
静まり返っていた会場の熱が、にわかに上がっていくのが解る。全員の視線がギリアムとソロに集中し、並び立つ二人の活躍が再び思い起こされて、一気に人々の心を打った。そして、会場内は歓声に包まれた。
「我がエンデュミオン皇国は、彼らを始めとした卓越した戦士達の存在によって護られているのです!私は彼らの力を借りて、この国を、民草を守り慈しんでいくと誓いましょう!」
「オオオオオオッ!イェルダ様ぁっ!」
「イェルダ皇女、万歳っ!」
「こ、これは……!?」
「さぁ、皆様!ご存分に飲み、食べて我が国の栄光をお称え下さいませ!……バーソロミュー様は、こちらへ。参りましょう」
イェルダに手を引かれ、ソロは異様な熱気に包まれた会場を後にする。あの様子では、会場から二人が消えたことなど誰も気付いていないだろう。あんな異常事態が起こったというのにそれを忘れたかのように皆が熱狂している。誰もが正気ではないと、ソロは感じていた。
そうして、イェルダに導かれて辿り着いたのは、さほど広くはない控え室のような場所だった。室内はかろうじて顔が見える程度の明かりと香が焚かれ、窓の外には森と月が見えている。誰もいない部屋に照明や香を焚いておくことなどあり得ない。つまり、ここは予め用意された場所なのだ。
ソロがそれに気付くと、イェルダは手を離し、窓辺に立って外へと視線を向けた。
「……イェルダ皇女、何故、あんな真似を?」
「うふふ、お兄様ったら、私の予想を超えて完璧に動いて下さいましたわ。精々、頬を打たれる程度の覚悟はしていたけれど、まさか私を殺そうとするなんて……お陰で、これからの事が楽に運べます。バーソロミュー様も、よくぞ私を護って下さいました。やはり、私の目に狂いはありませんでしたわね」
「あなたは、パトリック様を陥れる為にあんなことを仕掛けたのですか!?一歩間違えば、ギリアムは彼を……!」
「大丈夫です。せっかくのパーティの場を血で汚すような事はしたくありませんもの、ギリアムには初めから、お兄様を殺したりしないよう言いつけてありましたから。ですが……いくら兄とはいえ、私を殺そうとした罪は免れません。処刑か、或いは、幽閉がよろしいかしら?」
「あなたという人はっ……!」
ソロは言葉を荒げそうになったが、そんな彼の言葉を制止するように、イェルダが先に動いていた。身に着けていたドレスをするすると脱ぎ捨て、あっという間に彼女の珠の肌が露わになる。そうして産まれたままの姿になったイェルダは、ソロが止める間もなく彼に歩み寄り、もたれ掛かるようにして抱き着いていた。
「な、なにを……」
「バーソロミュー様、私は不安なのです。幼い頃から守ってくれた父はもうすぐ死んでしまい、後に残るのはこの国と民達だけ……しかし、彼らは私を守ってくれはしません。当然ですわ、民と国は、為政者である私達が守るべき存在なのですから。でも、それでは誰が私を守って下さるのでしょう?私はか弱い女です。兄のように魔力に優れている訳でも、武力に秀でている訳でもない。ならば、どうすれば私の安寧と平穏が守れるのか……そう考えて、気付きましたわ。私が皇帝になれば、騎士達が、そして魔法兵達が私を守ってくれると」
イェルダの言葉に熱が宿り、ソロを抱く腕に力が入る。同時に、彼女の身体からふつふつと薄桃色の光が現れ、二人を包み始めていた。
「バーソロミュー様、どうか、私をお守り下さい。あなたが、魔法師団の皆々がいれば私は何の心配も憂いもありませんわ。ギリアムとバーソロミュー様が私を守って下されば……ねぇ、バーソロミュー、私を守ってくれるわよね?」
「こ、これは……!?」
イェルダの言葉が、体温が、じわりじわりとソロの中に流れ込んでくる。それらがまるで茨で出来た鎖のように、ソロの心と体を蝕んでいくのが解った。何よりも恐ろしいのは、本来、茨がもたらすであろう棘の痛みが、どうしようもなく甘い快楽に代わってソロの心を侵しているのだ。常人よりも優れた魔力を持つソロは、魔力に抗する能力もまた高い。そこでようやく解った、これは加護だ。イェルダは人を魅了する加護を持っているのだ。そして今、自分はそれに取り込まれようとしているのだと、ソロは本能的に察し、咄嗟にイェルダを突き飛ばして離れた。
「あら?まだ堕ちて下さらないのね。うふふ、強いお方。ますます欲しくなったわ、あなたのことが」
「あ、貴女はまさか……あの会場にいた人達も?!」
「ふふ、人はショックなことがあると、心の守りが弱くなりますもの。ちょうどいい機会でしたわ。本当にお兄様は優秀な道具でした」
「くっ!?」
ソロは迷う事なく窓を突き破り、外へと脱出した。扉を開けて廊下に出るにはイェルダに近づかなければならないからだ。次に捕まったら、もう逃げられないだろうという確信が彼の中にはあった。そして、ソロは森を伝って屋敷へ戻ることにした。
(この国は、もうダメだ。あの強烈な魅了がイェルダ皇女にある以上、いずれそう遠くない内に、全てが彼女のものになってしまうだろう。悔しいが、今の俺では抵抗する術はない。ダルクの言う通りだった!俺は、ここを出なくては。ここを出て、いつか、イェルダ皇女からこの国を取り戻す……必ず!)
こうして、ソロは自宅に戻った後、ジャンヌを連れて旅に出ることとなった。それまでの身分を捨ててMIRAとして生きながら、イェルダ皇女の加護に打ち克つ術を探す為に。
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