ライナスの目
ベヘモトの大顎……それは、パルテレミー領の北部に位置する巨大な地下洞窟を指す言葉である。
モンスター達が跋扈していた500年前には既に、その遥か昔からこの星の全てのダンジョンはここから生まれたのだと噂されていたらしい。それをいつ誰が言い出したのかは定かではなかったが、パルテレミー家の先祖・銀の魔女ジェニファーが、このダンジョンの最奥でダンジョンコアからカタストロフを創った為に、それが真実だと証明された形だ。
今そこへ足を踏み入れようとしているのは、ジャンヌ、ソロ、ライナスの三人だけだ。ダルクとメイヴァはそれぞれ帝都に残り、未だ襲撃の続く貴族達への攻撃を防ぐ為に指揮を執っている。マーロによると、現時点でメタノイアには力のある幹部はほとんど残っておらず、貴族への襲撃を行っているのは、ゴーシュやリリィのようなNeckを雇い入れて仕立てた雑兵達なのだそうだ。雑兵と言っても、彼らは幹部として祀り上げられていないだけで、実力はそこそこあるので油断は出来ない。Neckは元々が腕利きの犯罪者達なのだから、当然だ。
ちなみに、何故Neckを使うのかと聞いてみると、それは後腐れがないからだという答えだった。狙われている貴族達とは、いわゆる為政者だ。領民や領地を守る彼らにとって、Neckはそれらを食い物にしようと狙う悪質な捕食者なのだ。当然、権力者として放置することはないし、MIRAに頼らず官憲が直接捕まえて刑に処す場合もある。それはつまり、Neckから見れば、貴族はMIRAと同等以上の敵であるということだ。そうした彼らを勧誘して戦力に使うのは、貴族廃滅を謳う彼らにとって非常に都合が良かったのだろう。
仲間にするのが簡単で、しかも使い捨てにするのも問題ないとなれば、エルドレッドがNeckを利用しようと目を付けたのは、良い着眼点だったとも言える。
そういう訳で、ここに挑むのはジャンヌ達三人だけなのだ。厄介な幹部クラスの駒が少ないのなら、こちらも少数精鋭で強襲をかけようというのがソロの立てた作戦であった。
「凄いわね。これが大昔に出来たダンジョン?とても信じられないわ。天井……は、高すぎてよく見えないけど、壁なんて全然風化もしてないじゃない。何で出来てるんだろう、これ」
「材質は……金属と岩の中間のような感じだな。こんな状況じゃなければ、詳しく調べたいところだが」
大きく、四角くくり抜かれた通路は、ジャンヌの言う通りほとんど風化の跡が見られない。最低でも500年は経過しているはずだが、それでも全く変化がないように見えるのは、ダンジョンがダンジョンコアという心臓を持つ、一個の生命であるという論を裏付けているような感じがした。このベヘモトの大顎にあったダンジョンコアはカタストロフに変化させられたようだが、カタストロフ自体がまだ活きているのであれば、その論は正しいのだろう。
通路は一本道だが、少しずつごく僅かな傾斜で地下へと続いており、底は見えない。どこまでも続くような通路を進んでいくと、もう二度と外には戻れないような、そんな感覚さえしてくる。だが、ジャンヌ達の誰もそんな恐怖に屈する事はなかった。エルドレッドとの決着と、ジーナの救出、それだけがジャンヌ達の心にあるだけだ。
そうして、特に障害も抵抗もなく進んでいくジャンヌ達だったが、ある所へ来た時、不意にライナスが足を止めた。寡黙であまり喋らず、喋ってもたどたどしさが消えないライナスだが、進むのが怖くなったという事はないだろう。ジャンヌは不思議そうにライナスに声をかけた。
「どうしたの?ライナス。何かあった?」
「………………いや……悪い、が、先に、行ってくれ。すぐ、に追い付く…………」
「先に行けって……でも、どうして?」
歯切れが悪いのか、或いは普段通りなのか判断しづらいのがライナスの欠点ではあるが、とにかく彼は今、そこから先に進む気はなさそうだ。気になりはするが、理由を聞きだすにもとにかく時間がないことから、ジャンヌとソロはライナスを置いて先へ進むことにした。
「仕方ない、先に進もう。ライナス、気を付けろよ?どこに敵が潜んでいるか、解らないからな」
「ああ…………」
ソロはそう言うと、戸惑うジャンヌを強引に引っ張ってそのまま奥へと走り出した。そんな二人の後ろ姿が見えなくなった後、ライナスは振り返って声を上げた。
「……出て、来い。隠れ、ても、無駄だ。俺、の目には、見えている。背後から、奇襲……など、させない!」
「…………フフフ、フフフフフ」
低く唸るような声色の笑みが通路に響き、やがて壁の中からゆっくりと一人の男が現れた。騎士風の鎧姿をした彼は、ずっとエルドレッドに付き従っていた大男で、名をグレッグ・シェリンガムという。グレッグはライナスの前に一歩踏み出ると、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「よくぞ見破った。貴様はその装いからすると、皇国の刃だな?名前はなんという」
「Linus・o・Langford、だ。……それが、どうした?」
「ラングフォード?……おお、では貴様があの男の息子か。なるほどなるほど、言われてみれば見覚えのある顔よな。面影があるわ。しかし、まさかここであやつの縁者と関わることになるとは。これも因縁というものか。なぁ?」
「親父……を、知っている、のか?」
「フッフッフ、知っているとも。よぉぉくな。何しろ我がシェリンガム家は、貴様の父によって滅ぼされたのだから。……ちょうどよい、復讐するは我にあり、だ!」
グレッグはそう言い放つと、両手を高く上げ、大きく広げた構えを取った。その体格の大きさから、さながら熊が二本足で立ち上がり、威嚇しているように見える構えだ。対するライナスはグレッグが父を知っていると言った瞬間から、尋常でない殺気を放ち続けていた。
ライナスの父Randy・o・Langfordは、先代の皇国の刃として活動した男である。
ランディはライナス同様寡黙な男で、家にいる時はいつも黙って妻の隣に座り、眼鏡をかけて本を読んでいる男であった。彼は決して家庭を省みなかった訳ではなく、子供の世話や家事も進んでやる良き父親だったようだ。時折、フラっと家を空けると数日は帰って来ないのだが、それが彼の仕事なのだと母親に言われてからは何も疑問に思っていなかった。
彼が皇国の刃として、数々の謀反人を葬って来たのをライナスが知ったのは、ライナスもまた皇国の刃として働くようになってからである。
ライナス自身、父を嫌っていたつもりはなかったが、二人ともに寡黙な性分だった為かほとんど会話をした記憶がない。幼いライナスは父親の違う姉リコリスに懐いていて、父にあまり興味を向けなかったこともあるのだろう。つかず離れずの程よい距離感を保っていると思っていたのだ、ランディが死ぬ、その時までは。
今から数えて、10年程の昔。それは、しとしとと雨の降る冷たい夜のことだった。二日ほど前から家を出て行ったランディのことなど、ライナスはすっかり忘れて、彼は剣の稽古に励んでいた。趣味らしい趣味を持たず、寡黙な性分ゆえか他人と接する事が得意でないライナスは、いつしか自らの剣の腕を磨く事に没頭するようになっていた。
誰かと競って、強くなりたかったわけではない。ただ、己の持ち得た力——『先見』という加護を持て余し、行き着いた先が自分を鍛えることだったのだ。
ライナスの先見は、強力無比な視力という才能を形にした加護である。加護を発動した彼の目は、敵の肉体の筋肉の動き、その起こりさえも見通す事が出来る。彼を相手にしたものは、まるで動きを完璧に読まれているように感じるだろう。そんな目を持ってしまったがゆえか、彼は人に恐れられていた。特に同世代では彼と対等に付き合ってくれる人間などおらず、心を読むバケモノと揶揄されていたという。人と話す事が苦手になったのも、そうした人達との軋轢からだ。
降りしきる雨の中、何の気なしに窓から外を眺めていると、自宅の方へ向かってくる人影が見えた。ライナスは無意識に加護を使い、それが誰なのかを確かめようとしたらしい。歩いてくるのがランディだと気付いた直後、ランディの身体が深く沈んだ。
「なん、だ……?」
一瞬、ライナスは何が起こったのか解らなかった。まるで、落とし穴にでも落ちたのかと思うように、ランディは地面の中へと消えていったからだ。当たり前だが、そこは普通の道路であり、落とし穴などある訳がない。第一に、雨が降っているのだから、穴などが開いていれば水が流れてすぐに解るはずだ。しかし、現実にランディの姿は見えなくなっている。
異変を感じたライナスはすぐに家を飛び出した。ここで父を見失ったら、もう二度と会えないかもしれない。そう思ったほど、突き動かされるようにしてライナスは走った。
そして、ランディの姿が消えた辺りまで来た時、ライナスは父を探して辺りを見回すと、やがて地面から見慣れたものが突き出ている事に気付く。それは、いつも父ランディがかけていた、眼鏡の一部だった。
「父、さん……?父さ、んっ!う、うわ、うわあああああああっ!!」
ライナスの絶叫は夜の闇へと消え、あとには降り続く雨音だけが残るだけだった。後に、地面から掘り起こされたランディの死因は、窒息ではなく圧死であったという。何らかの加護による殺人と断定されはしたが、犯人は捕まらなかった。ランディは人に恨まれるような人物ではなかったが、彼の生業……皇国の刃としての活動は表向きには認められなかった為、その線での怨恨は調べられなかったからだ。
ランディの死を間近で見てしまったライナスは、その後より内向的な性格へと変わり、そこからはひたすらに己の力を鍛える日々が続いた。そして五年前、二十歳の誕生日を迎えた際にメイヴァからスカウトされて皇国の刃となったのだ。そこで、父が同じ皇国の刃として働いていた事を知り、父の仇はかつて父が処刑した人物の関係者ではないかと考えた。その内に、ライナスは仇討ちも兼ねて、楽しみながら敵を殺す生活に浸かって行ったのである。
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