ジーナの覚悟
「ダルクを使い、あえてバーソロミューに私への警戒心を植え付けたのは、私の行動で彼を動揺させる為だったわ。実際、彼は私を警戒し、私という存在を軽視出来なくなっていた。そうやって私に意識が向けば向くほど、私から逃れられなくなる。……頭の中が私で一杯になるのですもの、当然よね。それに加えて、彼は連日連夜のように複数の貴族から歓待を受け、精神を擦り減らしていた。あのまま行けば、彼を手に入れるのは確実だったのに」
イェルダがギロリとジャンヌを睨みつけると、ダルクが再びジャンヌの元へと移動し、その頭を踏みつけた。ギリギリと骨の軋む音がするほど強く力を込められて、ジャンヌの顔が苦痛に歪む。そんなジャンヌの顔を恍惚とした表情で見つめながら、イェルダはなおも語った。
「貴女という泥棒猫を得たお陰で、彼の意識には一定のやすらぎが生まれてしまったわ。それでも、何か大きなショックを与えれば、彼は動揺して心奪を受ける隙が出来る……そう思っていたのだけれど。私が思っていた以上に、バーソロミューは優秀だった。彼は私の心奪に抵抗したばかりか、貴女と逃亡の旅に出てしまったのよ!なんて憎らしい……貴女さえいなければ、彼はもっと早く私のものになっていたはずだったのに!」
「く、ううぅ……!」
「あの時、この国の土台にまで踏み込んだことで、私は足元を固めるまで動けなくなってしまった……あれは失敗だったわ。けれど、いつか使える時が来ればと、私はダルクを辺境に配置しておいたの。それがようやく功を奏したわね。貴女はバーソロミューを取り戻そうと、あの皇国の刃の男を連れて辺境に現れた。ダルクから暗号が来た時、私は狂喜したわ!無事にバーソロミューを手に入れられただけでなく、貴女への復讐もこの手で果たせるのだから。その為に、私は貴女達をここへ連れて来るようダルクに命じておいたのよ!」
イェルダは玉座から立ち上がり、ツカツカと足音を鳴らしてジャンヌに近づき、頭を踏みつけられて固定されている顔面に蹴りを入れた。女帝らしく、力の入っていない狙いもあやふやな蹴りではあったが、固定されている分だけ衝撃を逃がせず、それなりに痛い。つうと鼻血が垂れていくのが自分でも解る。そんな姿を見て、イェルダは高らかに笑った。
「オーホッホッホッホ!無様ねッ!バーソロミューから聞いて知っているのよ?貴女は大逆転という、稀有でとても強力な加護を持っているのでしょう?けれど、その力が真に発揮されるのは、極度に命の危険が差し迫った時のみ。ハバキリとかいう刀も持たず、ただ身動きを封じられて、私のように非力な女に蹴られた程度ではその力は満足に発揮できない。そうでしょう?」
「くっ……!」
「安心なさい。貴女を殺すのは明日、私とソロの結婚披露宴で直々に始末してあげるわ。いかに貴女とて、首を刎ねられてしまえばどうする事も出来ない。そしてその瞬間には、ちゃんと抵抗出来ないように眠ったまま終わらせてあげるから。直接命の危険がない、眠らされる程度の魔法には無力ですものね?オーホッホッホ、いい気味だわ!今夜はたっぷり、死なない程度に痛めつけてあげる。それと、助けを期待しても無駄よ?lolという皇国の刃の男は撃退したと、先程メイヴァから報告を受けているもの。フフフ、逃げられないわよ、絶対にね」
助けも呼べず、完璧に自分の弱点と欠点を見切られている……その事実に、ジャンヌは痛みよりも強く心が折られそうになった。だが、仮に心を折ってもイェルダはジャンヌを操ろうとはしないだろう。彼女にとって、ジャンヌは抹消すべき恋敵なのだ。そんなジャンヌが生きている事そのものが、イェルダには許せないのだろう。結局、この日は夜遅くまで、女のくぐもった苦悶の声が聞こえたという。
翌朝、水族館のようなバーで目を覚ましたジーナは、自分の置かれた状況が解らずパニックになっていた。ダルク達にシーザーが死んだことを聞かされてから、記憶がまったくない。一体何があって、こんな奇妙な場所にいるのだろう。それに、ジャンヌ達はどこへ行ってしまったのか?解らないことだらけで周囲を見回すと、ジーナが目を覚ましたソファの隣で、傷だらけのライナスが寝息を立てていた。
「ら、ライナスさん……?すごい怪我。一体、どうして」
「お、目が覚めたのかい?お嬢ちゃん」
「ひゃいっ!?」
背後から突然女の声がして、ジーナは飛び上がるほど驚いた。恐る恐る振り返ってみれば、そこにはジャンヌに負けないほどの長髪と、丸い眼鏡をかけた薄着の女性がこちらを覗き込んでいる。だが、どことなくその外見には見覚えがあるような気がして、ジーナは震えながらその女性をまじまじと見つめ、口を開いた。
「あ、あああの、どちら様……ですか?私、どうしてここに」
「ああ、あたしゃそいつの姉だよ。父親が違うんで、苗字も違うけどね。あたしの名前はリコリス、licorice・o・Alfordってんだ。店での源氏名はloa。まぁ、好きに呼ぶといいよ」
「り、リコリスさん……あ!初めまして。私は、ジーナ・アノールです!」
慌てて立ち上がり、頭を下げるジーナを見て、リコリスはフッと微笑んで傍の椅子に腰かけた。足を組んで座ると、スカートの中身が見えてしまいそうだが、彼女は全く気にしていないようだ。細かい事を気にしない性格なのだなと、ジーナは思った。
「そ、それで、リコリスさん、私はどうして……」
「ああ、あんたはね、昨日の内に何人かで店に来たんだよ。ショックで眠ってるから、置いといてやってくれってそいつとその連れの子に頼まれてね。まぁ、女帝サマの結婚披露宴の影響で店は休みだったから、別にいいよって放っておいたんだけど……夜中になって、そいつだけ傷だらけで帰ってきてねぇ。何があったのか聞く前に寝ちまったもんだから、あたしにも事情が分からないのさ」
「そうだったんですか……一体、何があったんだろう」
チラリとソファに座るアーデの方を見たが、アーデが何か知っているとは思えない。アーデもまた、昨夜はジーナと共にこの店にいたので、ジャンヌ達に何があったか知る由もないからだ。ジャンヌやダルクの姿が見えない所を見ると、気絶しているジーナを置いてソロを助けに行ったのだろうが、そうだとすれば、何故二人が戻っていないのかが気になる所だ。
どうしたものかと二人が頭を悩ませていると、不意にライナスの目がパチリと開いた。そうして、ジーナの様子を見て状況を把握したらしく、ゆっくりと身体を起こす。
「……すま、ない。眠って、しまった…………ジーナ、だったな。お前も、目が、覚めたか」
「あ、はい。ご心配おかけしました。それであの、ジャンヌさん達は……?」
「………………それ、を、これから、話そう。落ち着いて、聞いて、くれ……」
そうして、ポツポツとライナスは事の顛末を話し始めた。ソロとダルクは敵に回り、ジャンヌが捕まったこと、そして、ライナスも元上司であるメイヴァによって敗北し命からがら逃げだしたこと……全てだ。最後まで黙って話を聞いていたジーナは、やがてポロポロと涙を流し、俯いてしまった。
「ジャンヌさんと、ソロさんが……そんなの、酷過ぎます。あの二人は、私にとって恩人で、かけがえのない……う、ううぅ……」
「よしよし、子供が無理すんじゃないよ。……さっき外でチラッと聞いた話じゃ、女帝サマは結婚披露宴で、何か大きな事をやるつもりらしいからね。きっと、捕まったっていうあんたのお仲間はまだ生きてるはずさ。元気出しなって。助けるチャンスは、必ずあるよ」
リコリスが励ますと、涙を流していたジーナの目に光が宿った。これまでにないジャンヌとソロのピンチに、泣いてばかりではいられないそんな決意の光が灯った瞳だ。泣き止んだジーナは顔を上げて、その思いを口にする。
「わ、私……やります!二人を、ジャンヌさんとソロさんを助けにいきます!これ以上、私の大切な人を失いたくないからっ……!」
最後に零れ落ちたジーナの涙がぼんやりと光り、そして消えた。水槽の中の魚達は群れを成し、そんなジーナの瞳をじっと見つめていた。
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