第9話:覇王アレクサンドロス、俺の「どけ」の一言で悟りを開き、危うく世界征服を辞めそうになる
世界を平らげんとする覇王アレクサンドロスを「邪魔だからどけ」の一言で物理的にも精神的にも退かせた翌日。
コリントスの街の片隅にある俺の樽の周りは、昨日とは全く違う意味で、見たこともない重苦しい空気に包まれていた。
何百人もの完全武装したマケドニア軍の精鋭親衛隊が、なぜか全員、地面に膝を突き、俺に向かって涙ながらに土下座をしていたのだ。
「頼む……頼むから何とかしてくれ、ディオゲネス殿……! いや、一休聖下……っ!」
親衛隊長が兜を脱ぎ捨て、額を泥に擦りつけながら男泣きに暮れている。
あまりの異常事態に、隣に立つパンタシアは完全に魂が抜けたビー玉のような目で、チアリーダーのように虚空を応援する手振りを繰り返している。
「カカッ! 朝っぱらから暑苦しいねぇ、旦那。国を滅ぼすのが仕事の軍隊が、全裸のジジィの樽に何の用だ?」
「大王様が……我がアレクサンドロス大王様が、昨日から一歩も天幕から出てこられないのだ! 『余は無駄な荷物を背負いすぎていた』『世界を半分手に入れたところで、タダの日光の暖かさには勝てない』『今日から余も全裸になり、樽を探してそこに住む』と仰って、ペルシア遠征の計画書をすべて暖炉で燃やしてしまわれた……っ!!」
「ぶふっっ!!」
パンタシアが変な悲鳴を上げて白目を剥いた。
「このままでは世界征服が中止になってしまう! 将兵の士気はガタ落ち、マケドニア王国は寄る辺なき怠け者の国になってしまうのだ! 頼む、一休聖下! 大王様に『世界征服も道理にかなっている』と、あの恐るべきトンチで嘘でもいいから証明してやってくれ!」
【煩悩:八八〇(主君の隠遁への恐怖、国家存亡の危機、職を失う不安)】
親衛隊たちの頭上に浮かぶ哀れな赤文字を眺めながら、俺は「ポクポク、チーン」とこめかみを叩いた。
身も蓋もない話だが、世界最強の王が俺のせいで引きこもりになるなど、これほど寝覚めの悪いことはない。
「分かった分かった、うるせぇな。ちょっとその小僧をここに連れてこい」
数分後、高級な鎧を脱ぎ捨て、薄汚れた布一枚を腰に巻いただけの全裸一歩手前の姿になったアレクサンドロス大王が、トボトボと親衛隊に連れられてやってきた。
【煩悩:〇(完全なる思考放棄、燃え尽き症候群、精神的虚無)】
――世界を平らげる男の見る影もない。
「ああ、我が師ディオゲネスよ……。余は気づいた。世界を奪うなど、神話になろうなど、すべては虚栄の偽金だった。余も今日からこのコリントスで、あなたと共に野生の犬として生きる……」
「バカ言え、マケドニアの小僧」
俺は容赦なく大王の額を【髑髏杖】で小突いた。
「痛っ!? な、なぜ打つ、我が師よ!」
「お前さん、勘違いするな。俺が全裸で樽に住んでんのはな、それが『楽だから』だ。家を建てりゃ税金がかかる、服を着れば洗濯がいる。そんな面倒を省いて、今日を100%貪り食うために裸で生きてんだよ。だがな、お前さんはどうだ?」
俺は大王のむき出しの胸を指差した。
「お前さんは、生まれながらに『王』っていう最悪に面倒くさい舞台に立たされてるんだよ。今更その責任をドブに捨てて樽に住んだところで、お前さんの頭の中は『残してきた国はどうなる』『部下の生活はどうなる』っていう、特大の執着でパンパンになるに決まってる。そんなの、コスパ最悪の『偽物の無一物』だ」
「な……、偽物の……無一物……!?」
大王の身体がガタガタと震え出す。
「本当に執着が無いってのはな、置かれた場所で、自分の欲望を100%肯定して生きることだ。お前さんの本当の欲望は何だ? 樽に住むことか? 違うだろ。世界をこの手で平らげてみたいっていう、少年のごとき無邪気な好奇心だろ。だったら、王という神輿を全力で担ぎ、世界をその足で踏み荒らしてこい。それがお前さんの『野生』だ。とっととペルシアを更地にしてこい」
「おおお……! さすがは我が師! 所有を否定するだけでなく、所有へ向かう我が野生すらも肯定して見せた……! 分かりました、余は世界を征服します! そして、この世界そのものを、我が師が最も日向ぼっこしやすい最高の『更地』にしてみせます!!」
【煩悩:一二〇〇(世界制覇、師への恩返し、一休専用の最強の盾になる誓い)】
「いや、そこまでしろとは言ってねぇよ」
大王は親衛隊に向かって力強く叫んだ。
「者ども、直ちに武装せよ! これよりペルシアへ向かう! なお、今後コリントスの一休師父に不敬を働く者は、我がマケドニア全軍をもって一族郎党その歴史ごと更地にすると思え! 行くぞ!!」
「「「おおおおお!!!」」」
地鳴りのような歓声と共に、最強の軍隊がペルシアへと爆走していった。
その背後で、ようやく魂が口から戻ってきたパンタシアが、頭を抱えてブツブツと呟き始める。
「……嘘でしょ。覇気のない状態に陥りかけた世界最強の覇王を、『置かれた場所での野生の肯定』という超理論で再起動させたばかりか、マケドニア全軍を『全裸のジジィ専用の最強の番犬』として完全に懐に収めてしまったわ……! これにより、和尚は一切の税も武力も持たないまま、世界最高権力の『盾』を手に入れた……。これは一休の禅的な『てこ』が古代ギリシャの軍事均衡を根底からひっくり返す、究極の野良犬政治学……! って、私なんで大王の復活をこんなに国際政治学的に大絶賛してるのよ!? もう嫌、このジジィのせいで世界の歴史(世界史の教科書)がどんどん狂っていくじゃないのよぉぉぉ!!」
こうして、俺は全裸のまま、世界で最も手を出してはならない「最強の狂犬」として、アテナイおよび全ギリシャにその名を轟かせるのだった。
ポクポク、チーン。
【今日の狂歌】
王として 世界を平らぐ それもよし
己の野生に 嘘をつくなかれ
【あとがき】
自分の性に合わねぇ「丁寧な暮らし」なんか真似したところで、頭の中が余計な雑念でパンパンになるだけです。
王様は王様らしく世界を泥だらけにして走り回り、ジジィはジジィらしく樽の中で寝そべる。お互い、自分の物差しで今日という命を100%貪り尽くすのが、一番コスパが良い生き方だと思いませんかねぇ、旦那。
【次回予告】
次話:『オリンピックに全裸で乱入して「速く走るより、座ってる方が楽だぞ」と説いたら、競技場が静まり返った』




