第10話:オリンピックに全裸で乱入して「速く走るより、座ってる方が楽だぞ」と説いたら、競技場が静まり返った
四年に一度、全ギリシャの都市国家から選りすぐりの肉体自慢が集う聖地、オリンピア。
スタジアムを埋め尽くす数万の観衆から沸き起こる地鳴りのような歓声は、もはや狂気そのものだった。
【煩悩:九九九九(国家の栄誉、英雄崇拝、集団認知型ヒーロー症候群)】
競技場全体を包む特大の赤文字を眺めながら、俺はいつも通り全裸で、愛用の樽をトラックの真ん中にドカンと置いてどっかりと座り込んでいた。
本来なら、神聖な競技場を全裸で不法占拠した狂人として即座に処刑、良くて奴隷にされているところだ。
だが、スタジアムの外を見ろ。
昨日俺のファン(?)になった覇王アレクサンドロス率いるマケドニア軍の精鋭親衛隊が、「一休師父の邪魔をする者は歴史ごと更地にする」という不穏な横断幕を掲げて完全武装で包囲している。
ギリシャ中の審判も兵士も、顔を真っ青にしてガタガタ震え、俺を跨いで走るしかない状況だった。
「位置について、よーい……」
最も注目される種目、短距離の徒競走が始まろうとしていた。
極限まで鍛え上げられたアスリートたちが、国威発揚という名の重圧に血を吐きそうな顔でスタートラインに並ぶ。
その瞬間、俺はこめかみを「ポクポク、チーン」と叩き、よく通る声で話しかけた。
「お前さんたち、そんなにハァハァ言って死にそうな顔して、一体何がしたいんだ?」
あまりの場違いな問いかけに、競技場が一瞬水を打ったように静まり返る。
「何がしたい、だと……!? 決まっている! 神話になるためだ! 誰よりも速く、あのゴールに到達するためだ!」
一人の選手が、額に青筋を立てて叫び返した。
それを聞いて、俺はカカッと乾いた声を上げて笑った。
「ゴールに行きたい? だったら、最初から動かなきゃいいじゃねぇか。ほら、ここに座る方が圧倒的に楽だぞ」
「ふざけるなッ!!」
別の選手が、はち切れんばかりの大腿筋を震わせ、猛然と俺に掴みかからんばかりに咆哮した。
【煩悩:一五〇〇(鍛え上げた肉体への自負、血汗の神聖化、ジジィへの怒り)】
「俺たちはこの一瞬のために、日の出前から血を吐くまで走り、好きなものも、美味い酒も一切断って、この肉体を極限まで追い込んできたんだ! 樽の中で一日中寝そべっているだけの怠け者のジジィに、俺たちの血と汗の神聖さを、積み上げてきた努力を笑われてたまるか!!」
万雷の観客席からも「そうだ!」「神聖な冒涜者を追い出せ!」と激しい怒号が飛ぶ。
だが、俺は微動だにせず、ただ哀れみの目を彼らに向けた。
「努力、ねぇ。じゃあ聞くが、お前さんが死ぬ気で人生を削って縮めたその『コンマ数秒』とやらは、一体誰を幸せにするんだ?」
「な……っ」
「お前さんが勝てば故郷の奴らが数日美味い酒を飲み、ポクポクと数字を競って他の都市を煽る肴になるだけだ。つまりお前さんたちはな、自分のたった一度きりの命と肉体を、国家っていう巨大な化け物のプロパガンダと、他人の暇つぶしの娯楽のためにタダで差し出してるだけなんだよ。それを『美しい努力』と呼ぶのかい? そいつはただの、一番タチの悪い『自分への嘘』だ。人間より速く走る馬や犬を、お前さんたちは神として崇めるか? しないだろ。なら、人間が少しばかり速く走ったところで、それがどうした。そんなものはな、ただの必死な『全裸の徒競走』だ」
俺はふっと息を吐き、樽の上であぐらをかき直した。
「そんな他人の作った物差しのために命をすり減らす暇があったら、自分の野生のために、今すぐその場にドカンと座り込んじまえ。ポクポク、チーン」
スタジアムが、今度こそ完全な沈黙に支配された。
一休の冷徹かつ本質を突いた脱構築が、選手たちが人生のすべてを捧げてきた「努力の神聖性」という最後の砦まで、跡形もなく更地にしたのだ。
彼らの頭上の数字が、ガラスが砕けるような音を立てて崩壊していく。
【煩悩:〇(国家の栄誉からの解脱、アスリートのアイデンティティ崩壊、走る意味の喪失)】
「お、俺は……何のために、毎日吐くまで走っていたんだ……?」
先ほど咆哮した選手が、まるで糸の切れた人形のようにその場にへたり込み、ボロボロと涙を流し始めた。
「嘘でしょ……!」
その背後で、もはや見慣れた光景として、パンタシアが頭を抱えて泡を吹きながら絶叫を始める。
「古代ギリシャの都市国家が数百年かけて構築した『スポーツによる代理戦争のシステム』を、ただの『座ってる方が楽』っていう究極の正論で完全停止させたばかりか、彼らが人生を捧げた『努力の神聖性』までただの自己欺瞞に退化させたわ……! 国家のプロパガンダである英雄崇拝が、全裸のジジィの屁理屈で更地になっていく……! って、私なんでオリンピックの崩壊をこんなに国際政治学的・社会学的に精緻に実況分析してるのよ!? もう嫌、このジジィのせいで世界の歴史がどんどん狂っていくじゃないのよぉぉぉ!!」
しかし、悲劇はここで終わらなかった。
客席で一休の暴論を聞いていた、意識の高い哲学青年たちが、ガタガタと立ち上がり始めたのだ。
「おおお……! これぞ真の『動かざる栄誉』! 走る者は国家の奴隷、座る者こそ至高の野生……! 我らも今すぐ服を脱ぎ、樽に座るべきだ!!」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよあんたたち! 服を脱ぐんじゃないわよ! 競技場で一斉に座り込みを始めるなー!!」
一休が一番嫌う「形式だけの真似事(ニート集団)」の火種が、聖地オリンピアで大爆発を起こそうとしていた。
こうして、俺はオリンピックの歴史を文字通り更地にしつつ、最悪な「信者発生地獄」の足音を聞くことになるのだった。
ポクポク、チーン。
【今日の狂歌】
走るより 座るが楽と 知るならば
神への祈りも ただの徒競走
【あとがき】
四年に一度大騒ぎして、誰が一番速いだの強いだの競ったところで、樽に座って日向ぼっこしてる俺の楽さには勝てません。
他人が勝手に決めた「栄誉の物差し」に自分の命をハメ込んでハァハァ言ってる暇があったら、とっとと服を脱いでその場に座り込んじまうのが、一番コスパが良い生き方だと思いませんかねぇ、旦那。
【次回予告】
次話:『一休ディオゲネス教団誕生!? 「和尚の真似して全裸で樽に住むのが最先端」とかいう地獄の流行を全力で叩き潰す』




