見過ごした気持ち
ガザサダの国は、港があることもあって、非常に貿易が盛んな国だ。国内総生産があまり高くないのに国が潤っているのは、輸出入品の交渉技術が高いからだと言われている。
柚葉達が乗ってきた船は、しばらく港に停泊するそうだ。そうなると船員たちは一時の休暇に入る。もちろんルナもそうなのだが、柚葉が海に落ちてしまったのは自分たちが海賊を食い止められなかったせいもあると、同じ宿に泊まって様子を見てくれていた。
結局柚葉は疲労や抵抗力の低下で高熱を出したが、丸一日ずっと寝ていたお陰で翌日にはすっかり下がっていた。
「うん、脈も正常。もう大丈夫だと思うけど、無理はしないこと」
「は、はい・・・」
「まったく、熱下がって目覚ましたと思ったら元気に叫んでるから、何事かと思ったよ」
「す、すみません・・・お騒がせしました・・・」
柚葉は宿で借りた寝間着のボタンを首元まで絞めながら小さくなる。原因の一端はアリスにもあると思うのだが、当の本人は関係ないとばかりにしれっとしている。
「だってアリスさんが・・・」
「アリスが?」
「・・・私の初めてを奪っておきながら、初めてじゃないとか言うから・・・」
「・・・・・・・・・・・・アリス、お前最低だよ」
「真に受けるな斬るぞ」
もじもじする柚葉からアリスに視線を移すと、ルナは軽蔑の眼差しを向けた。
「お前も変な言い方してんじゃねぇよ。いちいち説明が面倒だろうが」
「じゃあ他にどう言えと?これ以上端的な言葉はないでしょう。私の初めて!」
「だから、初めてじゃないし、この前も今回も人命救助だからカウントすんなっつってんだろ」
「それでも奪われたことには変わりないですもん!」
つい売り言葉に買い言葉になってしまい、柚葉も引き下がらなくなってしまう。別に、アリスが嫌だったとか、そういうことではなかった。ただ、柚葉は人命救助の為の口付けだろうと、こんなにも心を掻き乱されているのに、アリスは日常生活の一環とばかりに何の抵抗も見せてないのが、納得出来なかっただけなのだ。
疚しい気持ちがないからこそなのだろうが、それこそが何故か喉に引っ掛かる魚の骨のようにチクチクと刺してくる。
決して、アリスが嫌だったのではない。
「・・・・・・・・・そうかよ」
ベッドの脇から見下ろしていたアリスは、たっぷりの間を置いてそう低く、呟いた。その声があまりにも冷たくて、離れていくような、離されていくような、そんな感覚が全身に降りかかる。
見上げた紺は、いつも通りの無感動の瞳。
だが、いつものような、温かい光は宿していなかった。
「アリスさ」
「助けなきゃ良かったのか」
「っ、えっ、違っ!」
これは、紛れもなく柚葉の責任だ。
彼に、こんなに冷たくて、悲しくて、恐ろしい顔をさせるなんて。
「そうじゃな、」
「じゃあ何だ」
「ちょっとアリス、やめろよ。ユズハちゃんも本気で言ってるわけじゃないだろ」
見かねたルナが間に入ってくれたが、アリスの表情が和らぐことはなかった。ただ、多少の効果はあったのか、問い質すような言葉は飲み込み、そのまま何も言わずに部屋を出て行った。
いつも通りに歩いて、いつも通りに背中を向ける姿が、今は妙に冷たい。
「・・・アリスさん」
伸ばしかけた手は、そのまま布団の上にぽすりと落ちた。
怒らせてしまったのだろうか。
悲しませてしまったのだろうか。
失望させてしまったのだろうか。
いくら考えても、答えには辿り着かなかった。
分かったのは、自分がアリスを傷付けてしまったという事実だけ。
それはそうだ。
泳げないのに海に落ちてしまった柚葉を、自分だってともすれば命を落としかねない深い底まで助けに行ったのに、元気を取り戻したかと思えば、なんてことをしてくれたんだと嫌な顔をされる。
いや、柚葉は嫌な顔をしたつもりはなく、ただただ驚いていただけだったのだが、アリスの様子からすると、嫌がっている顔に見えたに違いない。
「・・・最低・・・」
あまり深く考えずにものを言うことはいつものことだったが、こんなことになったのは初めてだ。
何もかも初めて尽くしで、頭も心も追い付かない。
「やっぱ謝ってくる!」
「そっとしておきなって、ユズハちゃん」
「・・・でも、」
ベッドから脚を出して飛び出そうとしている柚葉の肩を、ルナが軽く押さえて座らせる。
アリスが出て行った後すぐに追いかけようとしたのだが、その時もルナに止められた。アリスにも頭を冷やす時間が必要だからと。
「ま、事情はなんとなく察するけどさ。こういう時はお互い一人の時間も必要だよ?」
さすが年長者。人の喧嘩に巻き込まれても慌てず騒がずニコニコと余裕の笑みを浮かべている。
落ち着いた口調が聖職者のように見えてきた。
「アリスも意外とガキだね。あれくらいは笑って済ませてやらないと」
「いや、あれは私が・・・、」
「でもさ、ユズハちゃん」
ルナは穏やかな表情のまま、柚葉に語りかけるように言葉を紡いでいった。これがついこの前、海賊達をコテンパンにしていた船医さんだとは俄には信じ難い。
「ユズハちゃんは、助けにきてくれたのがアリスで良かったと、そう思う?」
「はい」
「ははっ、即答か」
「あっ、いや、ルナさんやグレンが嫌だというわけではなく!」
「分かってるよ。・・・ただ、アリスは多分、見た目以上に必死だったから、分からなかったのかもね」
大切な人を守るのに。
ルナはそう言うと、くしゃりと柚葉の頭を撫で、アリスの様子見てくるよと言い残して部屋を出て行った。
「アリスさんが・・・、必死って」
想像も出来ない。




