近付いてくる敵
一体あと何時間船に揺られればいいのだろう。三日程の船旅の予定は、思わぬ海の荒れにより長引いていた。ルナが施してくれる魔法は、持って三時間程だ。三時間ごとにルナの元へ行かないといけないこの面倒さ、誰か分かってほしい。むしろもう医務室で寝泊まりしたいと訴えたら、誰が出入りするか分からないから駄目だとアリスに即答された。今なら定期検診を受けていた祖父の気持ちがよく分かる。ボケてしまうから駄目だと言っても、通うのが面倒だから入院したいと毎日言っていた。ちなみに今も元気に向かい側の病院に通院していることだろう。
「あ、そろそろ通院の時間かな」
本日三回目ともなれば、もう日課のようなものだ。通院が日課になるなんて、健康優良児の柚葉には考えもしなかった未来だ。
最初の二回はアリスが付き添ってくれた。そろそろ一人でも行けるのだが、不特定多数の人が乗る船内はやはり危険らしい。過保護だと思ったが、前科がある柚葉には強く主張できない。
今回はグレンが一緒に来てくれた。少しでもアリスが一人の時間もあった方がいいというグレンの気遣いだ。そうは言わなかったが、確かに四六時中柚葉が一緒では、常に警戒を緩めることが出来ず、気が休まらないだろう。
医務室に行くと、ルナの姿はなく、扉の外には”外出中。外にいるよ!”という札がかかっていた。グレンと顔を見合わせて甲板に行くと、柵から少しだけ身を乗り出しているルナの姿があった。
「ルナさん?!身投げダメ、ゼッタイ!!」
「え?」
駆け寄って服を思いっきり引っ張ると、不思議な顔をしてルナが振り返る。柚葉が袖を引っ張ったおかげで鎖骨が見えて非常にセクシーだ。
「身投げ?誰が?」
「え?違う?」
「どこをどう見たら身投げに見えたのかな?」
柵に背を預けてにこりと微笑む。海をバックに立つ姿が眩しい。
「な、んかそんな顔してたような・・・?」
「してた?」
「さあ?」
ルナはグレンに首を傾げながら問うが、グレンも合わせて同じ方向に首を傾ける。
紅の瞳が、見えないはずの海の底深くを求めるような視線で見つめていたと思ったのは、柚葉の見間違いか。ルナもそこへ行きたいように感じてしまったのは、柚葉の思い違いか。
「俺はただ泳ぐ魚を見てただけだよ。ほら、いっぱいいる」
「あっ、本当だ。おいしそうですね!」
「・・・実にユズハちゃんらしい感想だね」
柚葉の隣、ルナとは反対側に来たグレンも気持ちよさそうに泳ぐ小魚を遠い目で見つめた。あれはイワシだろうか。
「ところでルナさん」
「はい?」
「私このまま下見てると、あのお魚さん達に口から餌を与えそうなんですが」
「待って待って」
慌ててルナは柚葉の手を握ると、魔法を施した。魚を見るのもいいが、下を向くとまずい。
「身投げしようとは思ってなかったけど」
じんわりと手が温かくなり、気持ち悪さが和らいでいく。灯る光が消えていくころ、ルナはぽつりと零した。
「海の中には行きたいと思ってた」
「え?」
「俺のかつての仲間がいっぱい眠ってるからさ」
かつての仲間。
恐らく海賊の頃のだろう。
ルナと繰り返し会っていくうちに、彼の事を調べたこと、海賊だったことを知ったこと、柚葉は正直に伝えた。本人も知らないところで自分のことを知られるなんて、それがいいことではない限り、いい気持ちはしないだろうと思ったいたからだ。
ルナは隠してるつもりはないから別にいいよ、と言っていたが、本当のところは分からない。
「俺を育ててくれた人達。怖い人ばっかりだったけど、からかうと面白かったんだ」
「怖い人からかっちゃだめですよ」
「昼飯に酸を混ぜた時なんか反応が最高でね。くくっ、今思い出しても笑えるよ」
笑えない笑えない。酸って笑えない。
できればクエン酸であってほしい。酸っぱいだけで終わってほしい。
「しこたま怒られけど、それが一番嬉しかったんだ」
怒ってくれる人がいる。反応してくれる人がいる。それが、どんなに幸せだったことか。怖くても厳しくても、一生懸命育ててくれた人達。
もう、ほとんどいない。
海の奥深くで、眠っている。
「・・・なーんて、・・・昔の話だけどね」
処置を終えたルナは誤魔化すように空を仰ぎ見た。今日は快晴。雲を探すのが大変なくらいだ。
「その人達のこと、大好きだったんですね」
穏やかに微笑む彼を見ていると、そうとしか思えない。悲しみに暮れていると言うより、懐かしんで楽しさを思い出しているような。
「・・・ああ。・・・大好きで、とても大切だった」
もう、元には戻れないけど。
会うことは出来ないけど、せめて一番近くにいたいと、どんな形でも、海の上で生きていくことを決めた。
そう漏らす彼は、もう処置が終わっているはずの柚葉の手を、そのまま強く握りしめたままだった。
「たまに思い出してはここに来て海の中を覗いてる。誰かいないかなぁって。いたらいたで怖いけどね」
「そりゃホラーだ」
「あれ、グレンは怖いの苦手?」
「この世のものではない何かとは極力関わりたくはないと思ってはいるよ」
「へぇー・・・・・・・・・・・・いいこときいた」
「?!」
グレンは馬鹿だ。
ニコニコしながらワントーン低くなったルナの声に背筋が凍る。グレンはこれからルナにいいように使われるに違いない。
「大丈夫、悪いようにはしないよ」
「悪いようにしなくてどうしようとしてんだ!」
「それはほら、・・・、ね?」
「今の間何?!」
アリスだけではなく、ルナにまで弄られるようになってしまったグレンは肩を落としながらそろそろ部屋に戻ろうと柚葉に言った。風が出てきて、少し揺れてきたからだ。そういえば滅びの年の影響で海がよく荒れると言っていたが、またあの大きな揺れが襲ってくるのだろうか。
「・・・・・・まずいな」
柚葉とグレンの後ろで、唐突にルナが低くそう呟いた、その目は肩越しに水平線を見つめている。そこにもう笑みはなく、むしろ見た事のないほど厳しい目つきをしていることに驚いた。
「まずいって、嵐でもくるんですか?」
「・・・・・・いや・・・、嵐の方がまだいい」
ルナが見つめる先は柚葉でも何も見えない。だが、彼はそこに確かに何かを見ていた。
「え・・・まさか・・・幽霊船・・・?!」
「やめてー!」
グレンが果てしなく情けない。
「幽霊じゃない」
ルナが見つめる虚空をずっと見ていると、柚葉にもぼんやりそれが見えてきた。
蜃気楼の中から徐々に形どってくるその姿。幽霊船にしては些かはっきり見えすぎる。
「海賊船だ」




