ルナ=メルヴィナ
ルナは医務室の扉を閉め、一度大きな深呼吸をする。
もう鼻が慣れてしまった消毒液の匂い、周りより少し澄んだ空気。思いの外、この雰囲気は気に入っている。
誰にも邪魔されない、自分のテリトリーのようで、少しだけ心の内を自分に見せる場所。
「・・・俺、どんな顔してたんだろ」
言うまでもなく無意識だった。
柚葉の言う通りの表情をしていたのなら、自分は一体何を考えていたのだろう。
『悪いのはルナさんじゃないんです』
何故そう言われて、どこか安心したのだろう。
それを言ったのが、彼女だったから救われた気がしたのだろうか。
彼女を、いや彼女の魂の元の持ち主を食ったことを無意識に責めていたのか。
「俺じゃない。・・・・悪いのは俺じゃなくていい」
未だ疼く左目を震える手で覆い、その場にずるずると座り込んだ。
***
ルナが出ていった後の部屋は、廊下の足音が聞こえてくるほど沈黙に覆われた。閉ざされてしまった目の前のドアを呆然と見つめ、柚葉は宙をさ迷っていた手を下ろす。
だから本当は気付いてよかったはずなのに、その気配さえしなかったドアは、結構な勢いで再び開かれたのだ。
「殿下ぁー、ただいま戻りましたぁー!」
「へぶっ!!」
「!?」
ガンッという鈍い音がしたことに、入ってきたグレンが目を剥いた。そこには額を押さえて蹲る柚葉がいた。
「ユッ、ユズハちゃん?!あぁぁっ!ごめん!ごめんね!」
「っつ・・・グレン、さん・・・気配ない・・・」
「えっ?あ、ごめん。つい癖で足音とか立てないように歩いちゃってるからかな」
「・・・忍者・・・?」
そういえばグレンは密偵だった。
柚葉は痛む額を擦りながらグレンの手を借りて立ち上がる。
それにしても彼は一体今までどこに行っていたのか。アリスは知っていたようだが、約丸一日、一緒に部屋に泊まっておきながらの単独行動は珍しい。
「ごめんねー、仕事明けで特に気配薄かったかも。今度から大声で歌いながら入ってくるよ」
「いや、そういう問題じゃ・・・・・・仕事?」
「グレン、どうだった?」
ノックして入ればいいんじゃね?という突っ込みもせず、アリスはグレンに真剣な目を向ける。やはりというか、アリスの依頼で動いていたらしい。
「ええ、特に大した情報は出ませんでしたよ。割と年上からも年下からも評判のいい船医だったみたいです」
「・・・船医、って・・・ルナさんのこと?」
「そ。殿下に言われて少し調べてた。乗組員に扮した途端、海が荒れちゃうもんだから忙しいのなんのって」
そういえばグレンの姿が見えなくなった頃、海が荒れ始めた。専門的な知識もないのに荒れ狂う海の上で帆を畳んだりロープを縛ったり、散々だったと文句を言っていた。そんな中一体いつ情報を集める暇があったのか。
「ルナ=メルヴィナ、二十五歳。北の地エンバスの生まれです。両親は早くに亡くし、八歳から船の上で働いていたようです。それも、海賊として」
「か、海賊?」
この辺では珍しくないことらしい。
身寄りのないものが行き着く先。それは大体限られてくるものだ。善でも悪でも拾われればいい方、でなければ野垂れ死んでしまうだけだ。
「この辺の船の乗組員は海賊の出というのも少なくない。実際、この船の半数の乗組員は元海賊だった」
「だ、大丈夫なんですかそれ!襲われない?!手、フックにされない?!」
「フック?」
あれは船長だけの特権だから大丈夫だ。
「”元”だからな。海賊だからって悪いやつとは限らない。世界の貿易を促す重要な役を買っている奴らも多い」
アリスは足を組み替えながらコーヒーを口に運ぶ。それだけがなんて画になる姿なんだ。
柚葉の思う、世界の宝を手に入れるぜ金品財宝奪うぜオラァ!という海賊とは少し違うらしい。もちろんそんな海賊もいるが、あまりいいイメージがないながらも海の上の治安を維持する上で、政府にとっては欠かせないものとなっている。海賊に頼らない方法を模索してはいるが、現状手立てがないのも事実だ。
「ここに乗っているのは結構気立てのいい奴らばかりでしたよ。殆どルナと同じ海賊船に乗っていた者らしくて、昔からルナのことを知っている奴が多くて情報収集は楽でした」
「奴は海賊でも船医を?」
「ええ。ああでも、戦闘力もかなりのものだったらしいです。その能力を買われて海賊に拾われたくらいですから」
あんな綺麗な手で戦っていたとは思えない。注射器とピンセットしか持ったことのないような手をして、剣を振るっていたのだ。生きるのに必死で、居場所を探して、血に染めた手だとはとても。
「小さい頃から船に乗っていますから、年上でもルナが先輩だったという者ばかりで、事実ルナは海賊の船長と肩を並べる存在だったとか。・・・というか船長をいいようにからかっていたとか」
「・・・・想像しかできない・・・」
げんなりと肩を落とす柚葉とアリス。
彼のことだ。ニコニコと黒々とした笑みを浮かべて楽しんでいたのだろう。
その分船員からの人望も厚かったとグレンは集めた情報を報告する。海賊の頃も今も、上司からは頼られ、部下からは尊敬される。一方でその強さに恐れられていた。どんな修羅場を越えた者でも、ルナに挑みたいというものは怖いもの知らずしかいない。彼とタメを張れるのは船長だけだとまで言われた。
「海賊の頃の彼の同期や先輩に当たるものは殆ど死んでいるらしく、ここに乗っている船員も全て部下だったものです。と言っても、ルナは直接の部下も弟子もとらなかったらしいですがね」
「お医者さんもして大変だったからですかね?」
「いや、実際弟子入りを望むものは多かったらしいけど、自分の戦い方は特殊で教えられるものじゃないと断られたらしいよ。それより船長に習えと」
「・・・面倒だっただけじゃないのか」
大いにありうるが、真実は本人に確認するしかないだろう。
「それにルナが船医になったのはそれから大分後だよ。それまでも有事の際は治療もしていたみたいだけど、ちゃんと腰を据えたのは十八の頃。医者を名乗りだしたのはそれからだって」
「海賊を辞めたのは?」
「三年前ですね。船長の突然の脱退を機に辞めているらしいです」
それは、辞めたも何も、船長が辞めたら海賊は解散ではないのか。この船にいるものはルナより先に辞めてしまっているため、その海賊がどうなったかまでは分からなかったが、そもそもアリスの命はルナの調査だったので、そこまで深入りする必要なない。
大体の報告は以上だと、グレンは疲れた様子でアリスの向かい側に座った。
「・・・・まあ、俺の印象だと、悪い顔をした正義のヒーローみたいでしたね」
「?」
「ルナの話をする奴、皆がキラキラした顔で話すんですよ。まるで自慢をするみたいに。だけど出てくるエピソードは人を脅したりからかったり、口にはできない酷い八つ当たりをされたことばかり」
だが、とてもじゃないが恐れる人物のことを話している雰囲気ではなかったと。
何なんですかね、とグレンは不思議な顔を浮かべるが、柚葉は何となくそれが分かる気がした。
胡散臭さの中に見え隠れする真摯な姿勢、ミステリアスな雰囲気に滲む真っ直ぐな信念。彼は恐らく簡単にそれを見せようとはしてくれない。だが長い時間をかけてでもそれを彼の中に見た時、本当のルナを知るのだろう。
「・・・分からないではないがな」
半目で窓の外を見るアリスも、恐らく柚葉と同じことを考えていたのだろう。認めたくはないような少し不機嫌そうな表情が証拠だ。
「・・・・・・俺がいない間何があったんですか・・・?」
「えー?最初から話すと長くなりますー。めんどくさい」
「そんな!」
「いない方が悪い」
「俺殿下の命令で動いていたんですけど!?」




