拷問の船旅
だから嫌だと言ったのに。
そんな柚葉の不平は、突っ伏した枕の中に消えていった。
「え、船?」
カリナ国内を大分歩き回り、道中突然告げられたのは港に向かっているということ。そういえば風が強くなってきたのはほのかに感じてはいた。
カリナ国から次の国、カザサダ国へは船が出ている。そんなに頻繁ではないものの、一日に二、三便はするらしい。
「大体何も無ければ三日もあれば着く」
「三日!?じょ、冗談ですよね?」
「冗談を言う必要がないだろ」
目を剥く柚葉に、アリスの温度のない返事が返ってくる。
「いや、私は陸を行きます」
「陸道はないと言ってんだろ」
「それでも私は歩いて行く!」
「水面を歩けるようになってから言え」
まじで冗談じゃない。水面を歩く技術を身に付けるまで待っていてくれるなら、できればそうしたいくらいだ。
「何、どうしたのユズハちゃん」
「ど、どうしたもこうしたも、船!アリスさんが船でいくなんて言うんですよグレンさん!!」
「そ、それが・・・?」
ぐわっと掴みかからんばかりに詰め寄る柚葉を、グレンはどうどうと宥める。聞いていた限り、アリスが変なことを言ったとは思えないがとアリスにも目を向けるが、アリスもなんの事やらさっぱりといった顔をしている。
それはそうだ。今まで柚葉はそれが露呈するような機会には恵まれなかったのだから。
「船なんて、人間が乗るものではないでしょう?!」
「基本人が乗るものだし、人が操縦しないといけないね?」
「いや!それは特別な訓練を受けた人のみ許されるのですよ!私みたいな一般人には荷が重すぎます・・・!」
「・・・い、いまいち要点掴めないんだけど?」
何も船を操縦しろと言っているわけでない。ちゃんとした旅客船に乗るつもりだし、その為のライセンスも必要ない。アリスもグレンも一緒になってそう説明するが、どうもそういうことではないと、柚葉はわなわなと震えている。
「あんな・・・あんな目の前がぐるぐるして、もう吐くものなんて内臓ぐらいしかないというのにそれでも容赦してくれない拷問器具に乗るくらいなら、泳いだ方がマシです!!」
ちなみに柚葉はカナヅチだ。
「・・・・・・・・・要はあれか。船酔いが酷いから乗りたくないと」
「イエス!!」
当然ながら、その訴えは棄却され、嫌がる柚葉は文字通り引き摺りながら船へ乗せられたのであった。
「ユズハちゃん、調子どーお?」
「・・・・・・元気そうに見えるんなら医者に行ってください」
「はは、ですよね」
枕から半分だけ顔を上げ、部屋に入ってきたグレンとアリスを据わった目で確認する。
急な乗船だったからか、泊まる船室が取れたのは一部屋だけった。もはや二人と同じ部屋だからといって文句も何も無いが、この状況だけは避けたかったのに。船自体は比較的大きなもので、アリスに言わせると揺れも少ないのだということだが、一歩でも足を踏み入れたら気持ちが悪くなる柚葉に、大きいも小さいも関係ない。船酔いは現場で起きてんだ。
「何か食べれそう?」
「お腹は空きました・・・吐きまくって胃の中空っぽで皿まで食べれそうですけど、食べたくないです・・・」
「それは重症だ」
柚葉から食べたくないというワードが出るなんて、とグレンは苦笑いしている。
「水分は摂っとけよ。脱水症状になるぞ」
「・・・あい・・・」
アリスに差し出された容器に入った水を、腕だけ伸ばして受け取った。極力最小限の動きで抑えたい。自分の動きでさえ船の揺れと感じ取ってしまう。
「一応酔い止めあるけど、効くかなぁ?空きっ腹にきついかもしれないけど」
「あのオヤジの薬だろ?飲んどけば少しは違うんじゃないか」
「い、いただきます・・・」
「めしあがれ?」
出来れば乗る前にくれればよかったのだが、柚葉の船酔いがここまでとは二人も思わなかったのだろう。
これは半ば生まれつきなのだろうが、酔うものは船だけではない。車でも電車でもバスでも飛行機でもジェットコースターでもコーヒーカップでも観覧車でも漏れなく酔う。とにかく乗り物は全部駄目だ。特に船は酷い。カナヅチで基本水が怖いこともあってか、他の乗り物では効く薬も、船だけは効いた試しがない。生きてきた十六年間でそんなに船に乗る機会もなかったのだが、中学の修学旅行はえらい目に遭った。二泊三日の半分は船酔いの記憶しかない。
もらった薬を気休め程度に飲み、しばらくそのままじっとしていると、心做しか少しだけ酔いが治まった気がした。胸のムカつきや目眩はまだあるものの、起き上がれるようにはなった。
「よかった。少しは効いたみたいだね」
「はい。ありがとうございます」
今のうちに胃に優しい軽食を摂り、そのあとはとにかく窓から外を見ていた。その様子を見てか、アリスが甲板に出てみるかと言ってくれた。外に出れば少しは気も紛れるかもしれない。
甲板にはちらほらと景色を見に出ている人もいた。海は穏やかで、確かにあまり揺れはない。風は潮の香りが混じった湿ったものが強く吹いている。
「ちょっとすっとしますね」
「そりゃなにより」
アリスは船首の柵に頬杖を付き、進行方向を眺め飽きたような気怠い目で見つめていた。元々柚葉の付き添いで付いてきてくれただけだ。アリスにはここに大した用はないのだろう。ちなみにグレンは部屋にいる。
「あ、の・・・」
「ん?」
柚葉が控えめに声を掛けたからか、アリスにしては珍しく気の抜けた返事が返ってくる。柚葉は彼のように柵に肘を掛けられるほどの身長はないので、横で指先だけ引っ掛けた。
「アリスさん部屋に戻りたいんじゃないですか?」
「・・・まあ、潮風はあまり好きじゃない」
「え、じゃあ戻っても大丈夫ですよ?私、ちゃんと部屋覚えましたし」
大きな船なだけあって、とにかく客室を含めた船室が多い。ここにだってアリスが一緒でなければ迷っていたかもしれない。だが、実際通ってきた所は迷う程のものではなく、柚葉一人でも部屋まで辿り着きそうだった。
「阿呆。言っただろ、生贄は常に狙われる。ナリスの町で痛いほど身に染みただろうが」
「・・・そうでした・・・」
敵は魔族の血だけではない。魔力を欲するものは、ごまんといるのだ。それが善意でも悪意でも。
それに、柚葉が転生者と知れ渡れば、さらに狙ってくるものは増えるかもしれない。今更ながら、とんでもないモテ期になったものだと柚葉は肩を落とした。
「・・・まあ、一緒にいると言ってしまったしな」
「───え?」
アリスの小さく呟いた声は、風音に混じって、よく聞き取れなかった。




