溜まり、溢れる思い
結局翌日の夕方になってもグレンは目を覚ますことはなく、ついでアリスもそれまで怪我の痛みに耐えていた。魔法のない世界ではそれが普通のこととはいえ、技術や化学が発展してないところでは、さすがに惨い仕打ちだと言えるだろう。痛みはもちろん、怪我からくる発熱だって生易しいものではないはずだ。それでも、アリスは普段とあまり変わらない様子だった。
「こんなの、戦場じゃ日常茶飯事だ。鍛え方が違うんだよ」
「そんなこと言って。ほら、いつもは冷たいアリスさんの手がこんなに熱い!」
「さーわーるーな!」
握った手を即座に振り払われてしまった。いつもはそんなことしないのに、疚しい事がある証拠だ。
「ちょっとくらい看病させてください」
「意味が分からん」
「私だってアリスさんのお世話したい!」
いつも世話かけっぱなしだから、こんな時くらい立場逆転してもいいじゃないか。アリスに頼られるなんて、ちょっと楽しそうなんだ。
「阿呆か。グレンの世話してろよ」
「だってグレンさんは怪我治って寝てばっかり!楽しくない!」
「あんた鬼か」
しまった、つい本音が。
グレンのことだって柚葉はちゃんと気にかけている。ただ、贔屓目で見てもアリスの方が看病しなくてはならない状態なのだ。
「看病っつったって、何するんだよ?今んとこ俺は全部自分で出来ているが?」
「そ、それは・・・、おでこにタオル乗せたり、熱測ったり、ご飯用意してあげたり・・・?」
「・・・ふーん?それで?」
「それで?・・・えーと、怖い夢見たら頭撫でてあげたり、お水飲ませてあげたり・・・」
「へえ?」
それは、全部アリスが柚葉にしてくれたこと。世話されっぱなしだった柚葉には、それしか知識がないのだ。そんなニヤニヤと挑戦的な目をされても困る。勘弁して欲しい。
「起き上がれなかったら水も飲めないな?」
「その時は、口移しでもす───・・・」
思わず口を閉ざした柚葉に、自分の脚に頬杖をついたアリスの顔がふっと微笑む。
「なに?」
「・・・な、にって・・・く、口移しでもしますよ、その時は」
「やれんの?」
「そのくらい、出来ますよ私だって。人工呼吸は出来ないけど」
中途半端な知識で人工呼吸などしようものなら、鼻と口を塞いでトドメを刺しかねない。口移しくらいなら、要は運搬作業だ。専門知識は必要ない。
「あっそ。・・・じゃあその時は宜しく」
「え!?」
「何、したいんだろ?───看病」
真面目に言っているのかからかっているのか分からない表情で、アリスは柚葉をじっと見つめている。
確かに看病をしたいと言い出したのは柚葉だが、試されているような気持ちになるのは何故だ。
「したい、ですけど・・・」
「じゃあ手始めに俺に宜しくー」
「っ、グレンさん!」
後ろから声が聞こえてきたかと思うと、寝転がったままでグレンが目を開けてこちらにヒラヒラと手を振っている。
「よかった、目覚めたんですね。待ってください、今私が水を含んでから・・・」
「やめんか」
慌てて水を口に含もうとすると、何故かアリスから叩かれた。ついでにグレンも病み上がりなのに絞められている。どうしたんだろうか。
「あいっててて・・・、ごめんねユズハちゃん、心配かけたね。もう大丈夫だから」
「あ、いえ、無事ならそれでいいんです」
「殿下の怪我もすぐ治すから」
「っ、」
ぽすりとグレンは柚葉の頭に手を置きながらアリスに背中を向けさせると、治癒魔法をかけていった。まだ体力も完全ではないだろうし、しかも起き抜けにキツい作業だろう。高等魔法とていつもは平気な顔をしてやってのけるのに、今は表情からして辛そうだ。元気な柚葉がやってあげられたらどんなにいいだろうと思ったが、できないことを望んでも仕方がない。今はグレンに任せるしかない。
「はい、終了ですよ殿下」
「ああ」
ふうっ、と汗を拭ったグレンはもう限界、とごろりと寝そべった。限界などとっくの前に迎えているだろうに。
「・・・もう、大丈夫ですか・・・?」
「だから、最初から大丈夫だと言ってるだろ」
「ユズハちゃん、殿下の頑丈さは国内一だよ。殺しても生き返る」
アステリアには殺しても死なないやつもいれば、生き返るやつもいるのか。恐ろしい国だ。
「お前が勝手に大袈裟にしただ、け・・・」
上着を着るアリスの瞳が柚葉を映した瞬間、その手は止まる。
「・・・もう、痛くないですか?」
「ああ」
「もう、どこも怪我してないですか?」
「ああ」
「もう、いなくならないですか・・・?」
いなくなった覚えはないと言う前に、柚葉のビー玉のような瞳から、糸が切れたネックレスの玉のように涙が頬に散らばった。
「ああ、いなくならないよ」
和葉のように何も言わずに、最後の会話が分からなくなるようなことに、もう二度と、そんな思いをするのはごめんだ。
アリスもグレンも、
失わなかった。
無事で、良かった。
「ふっ、・・・うっ・・・、っ・・・」
「悪かったよ、からかって。俺もグレンももう大丈夫だから・・・」
言うことを聞かずに溢れ出る涙を乱暴に拭う柚葉の手を、アリスがそっと掴む。それでもはらはらと落ちていく涙は地面を濡らし、土に滲んでいく。
こんなに涙が止まらないのはいつぶりだろう。
多分これは、和葉がいなくなった時に泣かなかった分を、まとめて泣いているんだろう。そう思わなければ、一生泣きやめそうにない。
「・・・ずっと一緒にいてやるから・・・」
アリスの指先が、柚葉の目尻に溜まった涙を掬う。
「だから、もう泣くな」




