禁書の中
道中、あまりにも暇だったのでアリスの読んでいた本の内容を聞いていた。本当なら歴史書なんぞに一ミリたりとも興味のない柚葉だが、ただ何の変哲もない、知らない道をひたすら歩くストレスの方が勝ってしまった。アリスが面白おかしく話してくれればいいが、そんなことは天地がひっくり返ってもありえないことを柚葉も学んでいる。グレンは、アリスが腹踊りするくらいありえないと言っていたが、比べるものがどちらもアリスでよく分からない。どちらかと言えば腹踊りの方がありえない。
「純血種の話は前にしただろ。あれの昔話だよ」
純血種。
世界に魔力を授かった血縁。
世界にはその血を引く者が少数いて、アリスもその中の一人だ。
その祖の話が詳しく記してあったらしいが、諸説あるとのことだったので、本当かどうかは分からない。
「魔力の祖の血縁、純血種の人間は、一時期盛大な権力を持った。彼らにかかれば今までできなかったものもできるようになって、皆彼らを頼ったからだ。だが、魔力は子孫にも受け継がれる。魔力を使える者が増えてくると、いくら純血種の人間であろうと、その力は目立たなくなり、徐々に勢力を衰えさせていった」
なんとなく、前に聞いた話だと思った。
かけ算九九だって、一番で言えるようになっても、皆言えるようになったら一番なんて関係なくなっていくのだ。早く習得するよりも、習得したことに意義がある。
力を失った純血種は、隠れるように暮らしていくようになった。
だが、そんな中、ひとつの噂が広がるようになる。
「噂?」
「あれ?殿下、それ俺も知りませんね」
「ああ、俺もあの本で初めて知った」
アリスは仮にも一国の王子だ。否応なしに文献は読まされるし、勉強もさせられる。アリスが知らないということは、一般的な事実ではないということだ。
「もしかしてあの本は禁書だったのかもしれんな」
「えっ!?で、殿下!そんなの置いてきてよかったんですか!?」
「ちゃんと燃やしてきた」
「!?」
その場合、『ちゃんと』はどこにかかるのか。
何も燃やすことはないだろうに。城へ送るなり持ってくるなりして、ちゃんとした場所で保管するべきではなかったのか。
「いいんだよ。禁書になるものなんて、ろくな物じゃない。城にあるものだって、俺はいつか燃やそうと思ってる」
「放火魔!?」
「でもそれは、世界の根幹を揺るがす重要な文書だったりするわけでしょ?殿下達には必要なものではないんですか?」
世界の中枢を担うアステリアは、それを知る権利がある。義務もある。
一般人には不必要なものでも、王族にはなくてはならないものもたくさんあるはずだ。
「俺が読んだ。もういらんだろ」
全く興味なさげな目は、どこか遠くを見ている。
彼は、今までにいくつの禁書と呼ばれるものを読んできたのだろう。その中には、知りたくないことだってあったはずだ。思わず目を逸らしてしまうものだってあったはずだ。それでも読み進めねばならない。視界が涙で埋め尽くされ、本がふやけてしまっても、胃がひっくり返りそうになっても、それでも知らなければならない。だからそれは『禁書』なのだ。
「・・・また殿下は・・・昔っからそういうとこ変わりませんよね」
グレンが、思い出したように眉を下げて微笑んだ。
「たまに、目を腫らして、真っ青な顔で訓練参加してたときありましたもんね」
「・・・覚えてないな」
どうしたと聞いても答えない。
辛いものは、人に伝えるものではないと、アリスがいつかぽつりと零したのをグレンは知っている。
グレンにその事を聞いた時、柚葉は格段驚きはしなかった。
アリスなら言いそうだと思ったから。
「まあ、とりあえずあの本の内容は覚えているし、問題ないだろ」
「うっわ、世の学生を敵に回す発言出ました」
本なんて一回読めば覚えられるじゃーん!っていうあれ。テレビなんかで取り上げているところは目にしていたが、実際目にするのは柚葉も初めてだ。記念撮影でもしておきたい。握手もしてもらってもいいですか。あ、ついでにサインも。
「それで、その噂ってのは?」
しまった、紙とペンがなかったんだった、と頭を抱えていた柚葉を後目に、グレンはアリスに続きを促す。
その噂の内容を聞きたがっているというよりは、アリスにそれを話させたがっているといった雰囲気だったが。アリスだけで背負わせたくないと、そう思っているのかもしれない。
「ああ・・・」
アリスは一呼吸置いて、少し落とした声で告げた。
「魔力の祖の魂は輪廻転生し、転生者の血肉を食えば本来の魔力の祖と同等の力が手に入る」
「────っ!」
柚葉は思わず手の甲を口に押し付けて、声が漏れるのを防いだ。グレンも、野獣の肉を噛み潰したような顔をしている。
まさかここでカニバリズムに繋がるなんて思ってもみなかった。アリスが分かっていて言ったのなら相当な悪意がある。その時は噛まれるくらいは我慢してほしい。
「そ、れは・・・」
「ああ、禁書になるわけだな。本当かどうか分からないとはいえ、噂が出回るのに真偽は関係ない。話題性があれば一瞬で広まるし、その真意を確かめずに実行しようとするやつが出てくる」
そんな危ない本が、何故あの宿にあったかは不明だし、アリス以外の他に読んでいる者がいないことを願うしかない。
「本の中では、その噂を聞きつけた純血種が、また力を取り戻そうと、転生者を死に物狂いで探し求めたと。魔力の祖と同じ程の力が手に入れば、またあの自分達が中心の世界が手に入ると夢見て」
「それで、その転生者っていうのは・・・」
柚葉は、自分の声が自然と震えてきたのに気が付いた。
「いくつかの時代がすぎた頃、見つかったそうだ」
「!」
うしろの正面を言い当てられた者は、捕まってしまったのだ。
陽の光など一切入らない、冷たく暗い籠の中で鳥になったように、拘束され、助けを呼んでも誰もこない。
やってくるのは、血に飢えた純血種。
魔力の祖なんて、自分には関係無いのに。
遠い昔の人の事なんて、ただの伝説なのに。
なのに、
奪われた。
最初は指を。
次に腕ごと。
脚を、
胸を腹を、
髪を耳を目を口を
心臓を。
「─────っ・・・!!」
どくん、と柚葉の心臓が大きく跳ねた。
この感覚は、知っている。
あの夢と同じ。
ハンナに会ったときに見た、あの夢と同じ。
「っは・・・っ」
「ユズハ?」
苦しい。
苦しい。
どこが。
分からない。
とにかく苦しい。
心臓の興奮が鳴り止まない。
多すぎる血液の配送量にあらゆる血管が悲鳴をあげている。
「ユズハ、どうした?」
「ユズハちゃんっ?」
アリスの声もグレンの声も遠い。
返事をしたいのにできない。
大丈夫だよって笑いたいのに、そんな誤魔化すことさえ出来ないくらい、苦しい。
遠くなる二人の声に反比例して、誰かの声が頭に響く。
恨めしそうな、憎悪がこもった声。
だがそれほどに、悲痛な、悲しい声。
「・・・っやめ、て・・・、よ、」
途切れそうになる意識の中で、僅かに残った理性が、これが何か夢の正体の手掛かりになるかもしれないと、声に出してアリス達に聞かせる。
「っう・・・あ・・・、やめて・・・、それは、・・・わたしの・・・」
「ユズハ、しっかりしろ」
アリスが身体を支えてくれていなければ、とっくに崩れ落ちている。焦りながらも落ち着いたアリスの声は、柚葉をまだ繋ぎ止めておいてくれる糸だ。
「わ・・・たしの・・・、私の身体─────・・・!」
「な、に・・・?」
だが、そんなアリスも、柚葉の言葉に息を呑まずにはいられなかったようだ。




