失われたものは
十五年前の話だ。
なんてことない、ただの子どもの悲恋の話。
物語にするには薄っぺらい、気の抜けたような話。
それでも自分にとっては致命傷だったようで、今でもこうして塞がらない傷がたまに疼く。
アリスが四歳、グレンが五歳。
まだ入隊する前、彼らは身体も心も年齢通り子どもだ。だが剣の腕は周りがもてはやす程のものをお互い持っていた。新米の騎士なんかは打ち負かされた者もいて、そんな子どもの名が知れ渡らないはずがないのだ。
お互いの面識はなかったものの、名前だけはよく聞いていた。といっても、アリスは国の第二王子だ。グレンが子どもといっても知らないはずはないのだが、グレンのアリスに対するイメージは王子様というよりも、剣を交えてみたい人、だった。
実際顔を合わせたのは、国が開催する武術大会だ。対戦ブロックは全く違っていたのだが、その腕があれば決勝戦でぶつかるのは必至だろう。
二人が仲良くなったのはそれからだった。仲良くとはいっても、グレンがアリスに付き纏っていただけだが。アリスも、グレンが訪ねてこなかった日は不思議に思っていたところを見ると、まんざら嫌がっているわけではなかったようだ。
「俺が風邪ひいちゃって殿下のとこ行かなかった時なんか、殿下の方から訪ねてきて、うちはもう大騒ぎだったよ」
「そういうとこ可愛いですね、アリスさん」
「顔見知りを見舞って何が可愛いんだ」
「顔見知・・・、俺友達だと思ってた!」
「おこがましいぞ」
「そんな!」
子どものころからこの関係性は変わっていないらしくて、柚葉は少し気持ちが和らいだ。
「・・・まあ、少なくとも、その頃は俺にとってグレンは唯一の人物だった」
唯一の友達なのか、顔見知りなのか、アリスがそこをはっきり言うことはなかったが、それでよかった。城の中に閉じこもっていた子どもが外界との関わりを持つことが、どれだけ貴重で、大事で、尊いことか。当時のグレンには知る由もなかっただろうが、それを肌で感じていたアリスは、グレンが唯一の存在だということは早いうちから気付いていたのだ。
「そんな殿下と俺の親密な関係に、水を差した人物がいたんだよ」
「親密・・・」
「殿下?その本気で嫌そうな顔はいくら俺でも傷つきますよ」
その人は子どもの二人からしたら既に大人。
身体も全然大人で、知っていることもたくさんで、だけど心は子どもで。
そんな彼女が、突然二人の前に現れたのだ。
「・・・気が付いたら城にいて、殿下と俺を見つけると一緒に遊んでくれた」
「出自も年齢もどこに住んでいるのかも、名前さえ知らなかった」
「名前も?じゃあなんて呼んでたんですか?」
「―――――・・・ケイ」
名前くらい教えてくれるかと思ったが、彼女はどんなに仲良くなろうと名乗りはしなかった。代わりに、ケイと呼べと言った。それが本名かどうかも分からないが、他の人もそう呼んでいたし、他に呼びようはなかった。彼女はいつも笑っていて、可愛くて、綺麗で、強くて、儚くて。そこに絶対的な存在を示すのに、掴めない人だった。
「暇さえあればケイと遊び、俺とグレンと、3人で過ごす日が多くなっていった。それがどれくらい続いただろうな。数ヶ月はそんな日々だったと思う」
「・・・ケイは人を楽しませる天才でね、彼女にかかればどんなことだって楽しくなった。事実、俺が母親を病気で亡くした時に支えてくれたのはケイだった」
グレンがまだまだ母親の愛情が必要な時、それを補ってくれたのは彼女だ。何をするわけでもなく、ただただいつものように、変わらずに、遊んでくれただけ。それだけで、心は安らいだ。
「次第に俺は、ケイの事が好きになっていたんだと思う」
「えっ、ケイさんって人は大人だったんですよね?」
「そうだね。見た目では大体ユズハちゃんくらいじゃないかな。だから、子どもの可愛い恋心だよ」
グレンは照れくさそうに眉を下げて笑った。十歳程の差の恋心は、はっきりしたものではない。ただ一緒に遊んでくれた人を恋しく思うのは一概にして恋と呼ぶのは強引だ。それでも、本人がそう自覚したのなら、それは恋なのだろう。
「お前のそれは、ケイを母親か何かと勘違いしてたんじゃないのか?」
「そんなこと言って、殿下もケイのこと大好きだったくせに」
「・・・阿呆言え」
「アリスさんとグレンさんの初恋の人だった、んですね」
幼い頃の可愛らしいエピソードだ。それだけなのに、柚葉はきゅっと胸が絞まる。原因が分からぬまま、グレンが先を続けた。
「そんな矢先、彼女は突然いなくなった」
前日まで、何事もなく遊んでいたのに。
そんな素振りなど、一ミリも見せなかったのに。
何故。
アリスとグレンは探し駆け巡り、何日も何日もケイを求めて足掻いた。
ボロボロになり、楽しみだった剣の手合わせも忘れて、探し、探し、探し。
そして、ようやくたどり着いた。
衝撃的な答えに。
「ケイは、生贄だった」
「─────・・・え・・・」
柚葉の瞳が大きく見開かれる。
アリスもグレンも、床を睨んだまま、組んだ手を固く握りしめていた。
「生贄、って・・・じゃあ・・・」
「そうだ。ケイはユズハと同じ、異世界人だ」
アリスの言葉が、妙に大きく響いた。
そうだ。
確か、前の滅びの年は十五年前と言っていた。そして、この話も、十五年前だ。
何故、その可能性を予想できなかったのだろう。
「ただ、お前と同じ日本からやってきたのかは分からない。当時子どもだった俺らにはそこまで教えてもらえなかったし、今も彼女については何故か国王しか知らない最重要機密事項で、俺でさえも知らされない」
「何、で・・・」
そんなこと聞かれても、アリスの方がききたいくらいだろう。無言で首を横に振る彼を見て、口を噤む。
「でも、生贄っていっても、ずっと会えなくなるわけじゃない」
グレンは気分転換とばかりに、立ち上がって窓の傍に背中を預けた。右側だけ陽の光に照らされた髪が、キラキラと光っている。なのに、彼の表情からは陰が拭えない。
「約一年後、ケイはアステリアに戻ってきたよ」
「!」
柚葉の中で、まだまだ生贄というものがどういうものか分からない。薬屋のオヤジのことも然り、本当に帰って来れるのだと取り留めのない実感が沸く。
だが、無事かどうかは別問題だった。
「ケイは、戻ってきた。─────何もかも忘れて」
グレンの目元は、髪に隠れて見えない。今、彼がどんな表情をしているのかも分からない。だが、その声だけで、息をするのも苦しそうなことが分かる。
世界を救った代償。
それがどんなものになるかは誰も分からない。何を失うことになるのか、それとも何も失わないのか、全て失うのか。
生贄は、ただ選ばれただけなのに。それが善人でも悪人でも、ただ無作為に、ハズレくじを引かされただけなのに。
どうして、そんな惨いことが起こってしまうのか。
「最初は冗談かと思った。あんなに笑っていたケイが、ピクリとも表情を動かさない、人形のようになっていたから」
「そん、な・・・」
柚葉はケイのことは知らない。だが、二人の感情を押し殺さないと話せないというような声に、徐々に息が詰まってくる。
もう、聞きたくない。
そんな思いがどこかで芽生えてしまったが、それは柚葉にはできない。最後まで聞くのが、彼らにできる、柚葉の唯一のこと。
「ケイに俺達のことを思い出してほしくて、子どもなりに考えていろいろやった。ケイがしてくれたこと、今度は俺達がやってやろうと、やれることは全てやった」
「必死すぎて、あの時殿下は何度か陛下に怒られてたけどね」
「・・・お前、知ってたのか」
「もちろん、密偵ですから」
柚葉が今にも窒息しそうな顔をしていたからだろうか。グレンの肩を竦めて微笑む姿に、気を遣われたのだと悟った。
辛いのは自分達なのに、それでも柚葉を気遣ってくれるのは、やはりグレンは大人だと思う。
「そ、れで、ケイさんはどうなったんですか?」
「・・・・・・思い出したよ」
「!」
なのに、グレンの声は低くて、暗くて、辛そうで。
「・・・じゃあ、今は・・・」
「思い出した次の日、空間の歪みに連れていかれた」
「──────っ・・・」
元の世界に帰った、とは言わなかった。




