纏うもの
それはまるで日本の祭りと同じであった。もちろん、和の雰囲気はないのだが、歌って踊って食べて、とやっていることは大方似ている。
人々がひしめき合う喧騒の中、柚葉ははぐれないようアリスの後をついて行く。
「人多いです、ね、うわっ!」
「馬鹿、何やってんだ」
人波に呑まれて流されそうになったところを、アリスが腕を引っ張って引き戻してくれる。
「すみませ、」
「ったく、だから嫌だっつったのに。人が多いことくらい分かってただろ」
「でもほら!おいしそう!」
アリスの愚痴を受ける気はない柚葉は、屋台の食べ物を指差して今日の夕食にしましょうと満足気だ。祭りを楽しみにしていたというより、屋台の食べ物を目的に来たかったのだ。次から次へと美味しそうなものが目に入り、視界が追い付かない。
「お嬢ちゃん、おひとつどうだい?サービスしとくよ!」
肉をパンで包んだハンバーガーのようなものを売っている店のオヤジに声をかけられ、柚葉は通り過ぎそうだったところを目を輝かせて戻る。
「本当ですか。では一つ。あ、いや二つ。アリスさんも食べるでしょ?」
「・・・ああ。・・・お前、あんまりウロウロすんな。どうせはぐれるくせに」
「大丈夫ですよ。アリスさんが私を見失わなさえすれば!」
「俺がお前を見張っとけと?」
「はいお待ち。痴話喧嘩してると冷めるよ!」
ハンバーガーもどきを二つ差し出してくれたオヤジが、半目になったアリスから柚葉を守ってくれた。
お礼を言って受け取ると、一つをアリスに渡して自分のにかぶりついた。
「あ、おいしい」
堅めのパンと、中の柔らかい肉の相性はバツグンだ。何よりも肉に絡ませている甘辛いソースがいい。空腹だったことも手伝って、それだけで幸せになるくらい腹を満たしてくれる。
「ユズハ」
「はい?───・・・!」
呼ばれて横を歩くアリスを見上げると同時に、口の端を冷たいものが撫でる。
「ついてる」
「す、みません」
アリスは柚葉を拭った親指をペロリと舐め、自分の方を食べだした。なんだか、王子様がこんなジャンクフードみたいなものを食べる姿は貴重だ。
「グレンさん、うまくやってますかね。アリスさんじゃないから、ハンナさん傷つけるようなことはしないと思うけど」
はむ、とパンと肉にかじりつきながら街の様子を見渡す。もちろん、グレン達をその中から探し出すことはできないだろうが、カップルらしき男女はうじゃうじゃいた。
「グレンさんはいないんですかね?好きな人とか」
「あいつの?」
「いや、立ち入ったことを知りたいわけではないんですけど、グレンさんだってモテるでしょ?イケメンだし、人当たりもいいし。そういうことで言えばアリスさんよりモテそうです」
「知らねぇよ。確かに女どもから人気はあったみたいだけどな」
だが、アリスでもグレンの恋人なんて聞いたことないらしい。グレンへ想いを伝える人はいたはずだが、のらりくらりとかわし、そういう人を作っているところを見たことがない。
「・・・いや、一人だけいたな」
「え?」
少し低くなったアリスの声に、妙に心がざわついた。
「まあ、そいつも恋人だったわけではないし、実際グレンがそいつのことを好きな人だったかどうかも確認はしてない」
「そう、ですか」
これ以上はグレン本人に訊けと言い、アリスは最後のひと口を放り込む。
柚葉としても、続きを聞こうとは思わなかった。本人のことは本人に聞くべきだし、アリスもあまり話したくはなさそうだった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
周りの騒々しささえも消し去りそうな沈黙が流れ、柚葉も最後のパンの一欠片を口に入れる。理由を作るかのように時間をかけて咀嚼するが、パンなんて大して時間を費やせるものでもない。すぐに食道を通ることになった。
アリスを見上げてもいつも通りだが、そもそもアリスはそんなにお喋りではない。沈黙がなんて苦ではないのだろう。柚葉とていつもなら気にしないのだが、二人きりで周りが賑やかなのにただ黙って並んで歩くというのはどうも気が滅入る。
少し先に、射的のようなものを見つけ、ちょうどよかったとアリスの腕を引っ張ろうとしたときだった。
「やめてくださいっ!」
聞き覚えのある声が、焦りの色を滲ませて響いたのだ。
「この声・・・、ハンナさん?」
「あそこか」
言われて見れば、射的のすぐ横に人集りができていた。あまり楽しそうな雰囲気だとは言い難い。
駆け付けて人混みを掻き分けると、確かにそこにハンナがいた。だが、一緒にいるのはグレンではなく、柄の悪そうな若い兄ちゃん達。
「ちょっとくらいいいだろ?何も取って食おうとしてんじゃないんだからさ」
「取って食おうとしそうだからお断りしてるんです!」
「言うねぇ、姉ちゃん。気の強い女は嫌いじゃないぜ?」
「連れがいますので失礼します!」
「っおっとー、まだ話は終わってないなぁ?」
振り切ろうとしたハンナを、男の一人が手首を掴んで引き止める。
加減する様子もない男の力に、ハンナは眉を顰めた。
「その連れはどこにいるのかなぁ?」
「俺たちはあんたが一人で寂しそうにしてたから声かけたまでよ」
「・・・っ」
確かに、グレンがどこにも見当たらない。まさかはぐれたのか。
「アリスさん、ハンナさんが・・・って、アリスさん?」
助けなきゃ、と横にいるはずの正義の味方に振り向くと、そこには毛根の寿命僅かな中年のオヤジに取って代わっていた。
「ア、リスさん・・・玉手箱でも開けました・・・?」
わなわなとする柚葉に不思議な表情を返すオヤジは、あまりいいイメージの目を向けられているわけではないと分かったのか、徐々に眉間に皺が寄ってきていた。
「馬鹿、ユズハ!こっちだ!」
「えっ?な、なんで!」
少し後ろの方からいつものアリスの声が聞こえてきて、そちらへ目を向けると、人混みに揉まれているアリスが身を捩っていた。柚葉の小さな身体では潜り抜けた隙間も、アリスには難しかったらしい。どさくさに紛れて”かっこいい”とか”きゃあああっ”という声が聞こえるから、そんな女性の邪魔もあるようだ。
アリスの方へ手を伸ばすが、届きはしない。むしろ離れていく一方だった。
人混みが、一瞬ざわりと喧噪の波を立てた。
「いった・・・っ!」
「もうめんどくせぇな!黙ってついてこれば手荒なことはしなかったのにな!」
「っ!ハンナさん!」
ずさりと地面に投げ出されたハンナは、めかしこんだ服も、髪も、顔も、土まみれになってしまっている。
それでも怯える目ではなく、悔しさのような、立ち向かっていくような強い瞳を、彼女はそこに宿していた。
それを何故、周りは遠巻きに見ている?
関わろうとせず面白そうなものを見れそうだと、成り行きを見守る為にここへ集まっているのか。
それが柚葉には分からない。
ギリ、と唇を噛んで、頭で考えるよりも早く、足が動いた。
「ハンナさん、大丈夫ですか?」
「っ!ユズハさん・・・!」
地面に転がっていたハンナの身体を起こし、服や肌についた土を払ってやる。
「おうおう、なんか可愛らしい子どもが出てきたぞ?」
「立派な16歳ですけど」
「はっ、そんな直線的な身体の16歳がいるかよ!」
「言っときますけどね、日本はこれが普通だから!ここの人達が発達し過ぎてるだけだから!」
「・・・あんの、馬鹿・・・!」
一体何の言い争いをしているのかと、アリスは頭を抱えている。前に進もうとするが、誰かが引っ張っていてなかなか中心にたどり着かない。
「ハンナさん、グレンさんは?」
「それが・・・、はぐれたというか、途中で凄く具合を悪そうにしてて、座って休んでたんですけど、水を取りに行く途中でこんなことに・・・」
「グレンさんが?」
宿を出る時はそんな様子は全く見なかったのだが、人混みにでも酔ってしまったのだろうか。
「お前、真っ平らな身体してっけど、顔は上物だな・・・」
「っ、」
グレンのことも心配だが、今はこの状況をどうにかしなければどうしようもない。アリスの方を見てもまだここまでは距離がある。それに、他国とはいえ、あまり王子がいざこざに首を突っ込むのはよくないだろう。ここは自分でどうにかするしかない。
柚葉は顎を持ち上げる男の手をパシリと叩いた。
「ってぇな」
「子どもに叩かれたくらいで弱虫ですか?」
「は?」
「ちょっとユズハさん・・・っ」
立ち上がってぐいぐいと男たちに詰め寄る柚葉を、ハンナは必死に引き止めるが、その足が止まることはない。
その毅然とした目に、男達の方が気圧されていた。
「子ども相手にびびってんですか弱虫ですか?」
「な、んだよ、お前っ!」
にじり寄ってくる小さな少女から、大の男達が目を離せないでいる。
ただの少女。
それだけなのに、肌に感じるピリリとしたこの感覚は一体何だというのか。
それは、男達だけではなく、この場にいる誰もが感じているようで、取り囲んでいた円が徐々に広がっていた。
それは恐れか。
いや、それは、
畏怖。
「乙女のドキドキデート中に水を差すなんて、下衆がやることですよ。それとも、モテなくて暇してたんですかかわいそうに」
「おい、こっち来んなよ!」
一歩一歩近付いてくる圧迫された空気。息をするのさえ許されない。
「何で離れていくんですか?遊ぶんでしょ?真っ平らでよければですけど」
「ユズハさん・・・、」
ハンナの声は届いていないらしい。
顔面蒼白にして尻餅をつく男達を見下ろす柚葉。どう見たってミスマッチな光景なのに、不思議と違和感を感じないのは、彼女が身体よりも大きな空気を纏っているからだ。
「わ、分かったから・・・!近づくな!あっち行けよ!」
「寄ってきたのはあなたたちでしょう?せっかく相手にしてあげようとしてるのに、このチャンス逃していいんですか?モテない人生、この先こんなビッグチャンス二度とないかもしれないですよ?」
「おいお前、それは言い過ぎだろ!」
「どこが。・・・女の子と遊びたいならそれ相応の面とマナー身につけてから出直して来た方がいいですね」
「・・・っ・・・」
ぐっと男たちが息を詰めたのは、柚葉の言葉に言い返せなかったからではない。その目に、刃のような光が差す瞳に、瞬きさえ恐れて捕えられてしまっているのだ。
「ユズハさん、もう・・・っ、」
「なんなら、僭越ながらわたしが教えてあげ─────・・・」
「ユズハちゃん」
さらにぐっと男達に距離を詰めた時、後ろからぱしりと手首をを掴まれた。聞き慣れた声が聞き慣れたように柚葉の名前を呼ぶ。
「・・・・・・グレン、さん・・・」
振り返るとグレンが少しだけ息を切らして立っていた。その顔色は悪いようにも見える。
「何危ないことしてんの。殿下に怒られるよ」
「・・・いや、その、ハンナさんが・・・ていうか、大丈夫なんですか?」
「こっちの台詞だよ。何をどうしたらこの屈強な男達が尻餅ついている状況になったのか」
はあ、とため息をつき、グレンは男達を無感動に見下ろした。
いや、柚葉からは見えなかったが、男達がひっと声をあげたところを見ると、無感動というわけでもなかったのだろう。
「いや、アリスのさんが来てくれるまでの時間を稼げればいいなと思ってただけなんですけど、何故かこんなことに」
「何故かこんなことにじゃねぇよ」
「あ、アリスさん、やっと参上ですね」
「悪かったな。お前俺が来なかったらどうするつもりだったんだよ」
ようやくたどり着いたアリスは、不機嫌に眉間の皺を深くしていた。だが、柚葉は関係ないとばかりにあっけらかんと言うのだ。
「アリスさんが来ないなんてことあるんですか?」
王子であろうが、面倒事に巻き込まれない方がよかろうが、アリスがそんなことをするのだろうか。
ただの素朴な疑問点だったのに、答えることができる者はこの場にはいなかった。柚葉だけが頭の上に疑問符を浮かべている。
「ははっ、ユズハちゃんの勝ち。とにかく、今日はもう宿に戻ろう。・・・ハンナちゃんも」
「・・・は、はい・・・」
差し出されたグレンの手に、ハンナの一回り小さな手が重ねられた。
一人にしてごめんね、と謝るグレンに、ハンナは心配そうに首を振るだけだった。




