対峙する覚悟を
目を覚ましたのは、瞼を通してしまうほどの光を感じたからだった。ざらつく瞳が傷つきそうで、ゆっくりと瞼を持ち上げる。カーテンの隙間から差した日光は、もうすぐ昼のものになろうとしていた。
ギシギシと軋む身体を壊れないように気を付けながら起こすと、僅かに左側に重みを感じた。
日に照らされて、紫が濃くなった黒い髪がいつもより多く頬にかかるから、なんだか違う人に見えたけどそれはやっぱりアリスだった。どんな角度でも絵画のようになってしまう顔は柚葉の方へ向いていたが、濃紺の瞳は閉ざされている。
(アリスさん・・・、ここにいてくれたんだ)
起こさないようにベッドから出られればいいが、成功する自信はない。困っていたところに、グレンがシャツのボタンを絞めながら不思議そうな顔でアリスの姿を見つけた。
「あれ?殿下こんなところで寝て、どうしたんだろう」
「あっ、それは私が───」
「お前は密偵剥奪されたいのか」
「あ、アリスさん起きちゃった」
目が開く前に口が動いた。目を開けても柚葉を向いているが、それは後ろにいるグレンに向けて言った言葉であろう。ベッドに投げ出していた上半身を少しだけ起こし、頬杖をついた。
「え?俺なんかやらかしました・・・?」
「どこの国に物音してもぐーすか寝てる密偵がいるんだよ」
「へ?あれ、すみません、もしかして昨日何か・・・あったんでしょうね・・・」
その様子は、と徐々に苦笑いになるグレンは、顔色のない柚葉と呆れた目をするアリスを見て大体理解したようだ。さすが密偵である。
普段では自分が気付かないなんて有り得ないことなのであろう。グレン自身が信じられないような顔をしていた。
「・・・ユズハちゃん、ごめん」
「あ、いえ。グレンさんも疲れていたんでしょうし、仕方ないですよ」
「馬鹿。疲れて異変に気付かないなんて密偵が、騎士が務まるか」
「いや、本当に。以後気を付けますけど、これを機に殿下の俺への扱いがよくなればいいですね」
「剥奪」
「不穏な台詞を呟かないでください」
アリスが大して怒っているわけではないことは、柚葉にでも分かった。グレンがああ言いながらもちゃんと反省して、気を引き締めているのが分かっているからだ。柚葉にはどんな重要なミスだったのかは分からないが、二人の会話を聞いているのは楽しい。
「顔色、少し戻ったな」
口元か緩んでしまうような二人の会話に耳を傾けていると、柚葉の目の下をアリスの人差し指の関節がすっと撫でる。
「えっ、あ、はい。起きたばかりで血圧が低くて」
「そうじゃない。・・・昨日の夢、まだ覚えているか?」
「・・・あ、・・・」
細められたアリスの目を見ると、彼が聞きづらそうにしているのは分かる。答えなくてもいいと言われているようだった。
「・・・ちょっと、だけ。全部は覚えていません」
「ならそのまま全部忘れろ。俺が覚えておくから」
そうか。
やっと思い出した。
昨日、夢を見て耐えきれなくなった柚葉はアリスに縋った。何かから逃げて、行き場がなくなって、でもそこにアリスがいたから、当たり前のように助けを乞うたのだ。
確かその時にはまだ夢の内容を覚えていて、混乱と恐怖に支配されそうになりながら、アリスに吐露したのは微かに記憶がある。ただただ浮かんできた光景を、感情のままに並べ立てただけ。恐らく支離滅裂だったであろう。
「・・・アリスさんみたいな人が、テスト期間にもいたらなぁ」
「あ?」
”俺が覚えておくから、テスト勉強なんてしなくていい。全部忘れて遊び放けろ”なんて、言ってくれる人がいたならば。そんなことを考えているから不謹慎な台詞がこんな時でも口をついて出てくる。
向けられる変な目に、おかまいなくと手で制止しておいた。
「でも、どうします?あの女の子と会うの。一応今日の夕方くらいでってアポとってますけど、ユズハちゃん無理そうなら予定ずらしてもらった方が・・・」
「いえ、大丈夫ですよ。今は平気なので」
グレンに聞いたところ、あの部屋に入ってきた少女はやはりパロナの一人娘だったらしい。年は柚葉の一つ上、ちなみに彼氏なし。自宅も兼用のこの宿を手伝っているということだった。
「止めはしないが、お前が記憶にあると言ったあの娘を見たことで、今回の夢が触発されたのかもしれない。途中でやばくなったら教えろ」
確かに、柚葉の記憶にあるだけでも今回の夢は真理に近付いている気がして、今まで見ていたものとは明らかに悪夢の程度がちがった。アリスの言う通り、パロナの娘に接触したことで夢が促されたのであれば、さらに深く関わると何があるか分からない。
「分かりました。でも、だったら余計会って真実を確かめないと、あの夢は解決しないと思います」
もちろん恐怖はある。解き明かすものが怖いものだと分かっているのだ。怖くないわけはない。ただ、そのままにしておいて耐性がつかないよりも、理解して免疫をつけておいた方が自分を壊すことはない。
「・・・お前に任せるよ」
アリスの信頼に、応えなければならない。
少女はショートカットの毛先を指でいじりながら、目線を泳がせて顔を上げづらそうにしていた。その仕草も、可愛らしさと大人っぽい雰囲気を掛け合わせたような容姿も、やはり昨日見たばかりだ。挙動不審な様子は、何かを覚悟したかのような表情と共に消えた。
「私昨日は何もしてませんすみません!!!」
「え?」
柚葉、アリス、グレンの目の前でがばっと髪を揺らして頭を下げてくる。あまりの勢いに目を剥いた柚葉は、一歩後ろに下がってアリスの胸に背中がぶつかった。
「きっ、昨日探してたのは、その・・・たっ、確かに勝負下着ですけど!でも、昨日身に付けようとしていわけじゃないくて、ただなくなってたのに気が付いて探していただけで、いつか来るその日の為にとっておいただけで、まだ使用したことはないから、その・・・!」
「ちょちょちょちょちょい」
聞いても責めてもいないことを自分からボロボロと曝け出していく少女の肩を、柚葉は思わず掴んで頭を上げさせる。細い肩を支えると自然と目に入るその胸。近付くと余計分かるが、この女、いいものを持っている。
「ちょっと触ってもいいですか」
「変態?」
「やめんか」
手をワキワキさせていると後ろからアリスのチョップをくらってしまった。
「いや、失礼。私は柚葉といいます。この宿に昨日からお世話になってます」
「いえ、こちらこそ昨日はすみませんでした・・・私、ここの娘のハンナです」
アリスとグレンもビジネス自己紹介を終えると、四人はソファに腰かけた。ソファの大きさの都合上、柚葉とアリス、グレンとハンナに分かれて向かい合い座った。
「それで、私に何か・・・あっ、だから下着は使ってないですよ?」
グレンがどういう話でこの場を設けてくれたのかは知らないが、ハンナの様子から察するに大したことはまだ話していないのだろう。少なくとも勝負下着の使用の成果報告を求めているわけではないのだが。
いきなり”あなた私に会ったことありませんか?”なんてナンパみたいなことを言い出すわけにもいかず、柚葉はどう切り出そうか迷っていた。
こうしてしっかり対面してみてより分かったが、柚葉はやはりこの感覚を知っている。会ったことがあるというよりは知っているのだ。懐かしいような、恋焦がれたような、待ち望んでいたような、そんな感覚。
「・・・あのですね、その・・・・・・・ハンナさんは昨日何されてました?」
「はい?」
迷って迷って迷った挙句、取り調べのような質問に辿り着いてしまった。ハンナはもちろん、アリスもグレンも虚を突かれた顔を隠せていなかった。柚葉だってまさかそんなことを訊くとは思ってなかったので、自分でも驚きだ。
「昨日、ですか?昨日は、そうですね・・・、普通にいつも通り店を手伝って、夜は友達と食事をする約束をしていたので出かけて、特に普段と変わらない日を過ごしましたけど・・・」
「そ、そうですか」
ハンナの不審がる表情も無理はない。わざわざ宿泊客と会って話す内容でもない。しかも装い豪華なイケメン二人がくっついている。ハンナの方が恐怖だろう。
柚葉の方が訊いた割に、気の利いた返答もできなかったが、彼女は一生懸命考えてくれていたのだろう。あ、と思い出したように先を続けた。
「変わったことがあったと言えば、少し嫌な夢を見たくらいでしょうか」
ハンナの眉は無意識に寄せられ、そこに痛みが走るのか、抑えるようにこめかみに手をやる。
「内容は・・・覚えていないんですが、ただ怖かったっていうのは漠然と覚えています。起きたら汗だくで、すごく左腕が痛くて」
今はもう大丈夫だという左腕を擦る。それはただ細いだけで、見た目は何も異常はない。
だが、柚葉の心臓は大きく脈打って反応を示した。
「・・・・左腕・・・」
どくん、といつもの倍くらいの血液が全身を巡ろうとしている。
それは徐々にハンナが押さえるその同じ場所に集まってくるようで、自分のも同じように押さえた。
「ユズハさん?」
ハンナが呼ぶ声もどこか遠い。
何かが周りから押し寄せてくるような寒気に、自分の身体を抱えた。
だめだ。
負けてはいけない。
受け入れて、跳ね返さなければ。
だが、その力が柚葉には足りない。
「ユズハ」
グレンの声も、ハンナの声も水中にいるような音だったのに、それだけは妙に鮮明に聞こえた。
「あ・・・」
急激に現実に引き戻されて、いつのまにか定まらなくなっていた焦点がアリスの顔で落ち着いた。
「しっかりしろ。向き合うんだろ」
「・・・・、―――はい」
大きく頷いて、再びハンナに向き直った。




