第5話_国内循環の産声
迎賓館での外交交渉から半年――初夏の風が吹き抜ける頃。
日本の産業界を覆っていた重苦しい霧は、まるで春風に吹き払われるように消え去っていた。
秋田県・小坂町に新設されたバイオ製錬プラントから、銀色に輝く純度九九・九九パーセントのレアアース・インゴット(金属塊)の第一便がトラックに積み込まれ、全国の素材メーカーへと出荷されたのだ。
その光景をテレビ中継で見つめていた愛知県の自動車メーカー本社では、役員会が歓声に包まれていた。
一時停止していた国内全十四工場の生産ラインはフル稼働を再開。それどころか、これまで「資源リスク」を恐れて開発に急ブレーキをかけていた高出力EVモーターの設計チームには、経営陣から異例の号令が下された。
『材料の調達制限は撤廃された。世界最高峰のネオジム磁石を、コストを気にせず惜しみなく使え!』
資源の鎖が外れた瞬間、抑え込まれていた日本の製造業のマグマが一気に噴き出したのだ。
だが、その熱狂の渦中、榛名創は東京から常磐自動車道を北へと走らせていた。
向かう先は、茨城県つくば市。
広大な松林の中に佇む『国立先端物質エネルギー研究所』のゲートをくぐる。
榛名が目指したのは、所内でも最も辺鄙なプレハブの研究棟だった。
ドアを開けると、ツンとした電解液の有機溶剤の匂いと、機械の唸る重低音が鼻をついた。床には実験用の配線と論文の山が散乱し、部屋の奥では、白衣の袖をまくり上げた女性が巨大な電子顕微鏡を覗き込んでいた。
ボサボサの黒髪を無造作に後ろで束ね、すっぴんの顔に丸メガネ。
神崎涼子博士。三十代前半にして、次世代蓄電池のノーベル賞候補と目される固体物理化学の天才だ。
「神崎先生、ご無沙汰してます」
榛名が声をかけると、神崎は顕微鏡から顔を上げることすらなく、不機嫌そうに呟いた。
「……榛名くんか。ドアを閉めて。外の湿気が入ると電解質結晶の界面が狂う」
「相変わらず手厳しいですね」
榛名は苦笑しながらドアを閉め、持参した段ボール箱を作業台の上に置いた。
「先生が要求していた『プレゼント』を持ってきましたよ」
その言葉に、神崎の肩がピクリと跳ねた。
彼女は椅子を勢いよく回転させ、榛名の目の前まで詰め寄った。厚いレンズの奥の黒い瞳が、獲物を見つけた肉食獣のようにギラリと光る。
「……本当にあるの? 不純物ゼロ、格安の重希土類元素が」
「ええ。南鳥島産のジスプロシウムとテルビウム、純度フォーナインです。秋田のバイオ製錬所から、先生の実験用にと優先して切り出してきました」
榛名が箱を開けると、厳重に不活性ガスでパッキングされた銀色の金属板が姿を現した。
神崎の息が止まった。
彼女はおそるおそる手袋をはめ、その金属板を両手で持ち上げた。まるで生まれたばかりの我が子を抱き上げるような、壊れ物を扱う手つきだった。
「……美しい。結晶粒界に一切の歪みがない。これよ、これがあれば……!」
神崎は眼鏡を押し上げ、早口でまくし立て始めた。
「既存のリチウムイオン電池は限界なのよ。可燃性の液体電解質を使っている限り、どれだけエネルギー密度を上げても発火リスクが跳ね上がる。スマホが熱を持つのも、EVが事故で炎上するのも全部そのせい。だから世界中は『全固体電池』を作ろうとしている」
「電解質を液体から固体に変える技術ですね」
「そう! でもね、固体と電極の間には目に見えない『界面抵抗』という絶望的な壁があるの。充電と放電を繰り返すたびに電極がナノ単位で膨らんで、固体電解質から剥がれ落ちていく。そうすると電気が流れなくなって、電池が死ぬのよ。世界中の科学者が、この剥離(界面崩壊)を止められずに泣き寝入りしてきた」
神崎は手元のレアアース板を指差した。
「でも、あたしの計算ではね、この超高純度の重希土類を微量に添加した特殊な複合セラミックス電解質なら、格子欠陥を自己修復できるの。電極が膨らもうが縮もうが、原子レベルで界面が吸い付いて絶対に剥がれない! 理論上、充放電寿命は一万回以上。劣化ゼロよ!」
「これまでは、なぜ作れなかったんですか?」
榛名が尋ねると、神崎は唇を尖らせた。
「高すぎたのよ! 大陸が牛耳ってた重希土類なんて、金より高価で研究室で数グラム使うのがやっとだったの! そんな高価な素材、自動車やスマホの電池に使えるわけないでしょ! だから学会のジジイ連中は『神崎の理論は机上の空論だ』『全固体電池の実用化は二〇四〇年以降だ』って、あたしの研究費を削りまくったのよ!」
神崎は悔しそうに拳を握りしめた。
だが、その怒りは一瞬で歓喜の炎へと塗り替わった。
「でも、もう違う。日本には無尽蔵のレアアースがあるんでしょ? なら、コストの壁は消えたわ」
神崎は部屋の奥のクリーンベンチへ榛名を連れて行った。
そこには、手のひらサイズの薄い銀色アルミパウチが、何重もの計測器に繋がれて鎮座していた。見た目は、ただの薄っぺらい板ガムのようだ。
「……これが、試作品のプロトタイプ1号よ」
神崎が誇らしげに顎をしゃくった。
「厚さわずか一ミリ。従来のリチウムイオン電池の三分の一の軽さで、エネルギー密度は三倍以上。液体が入っていないから、絶対に燃えない。そして何より――内部抵抗がほぼゼロだから、大電流を一気に叩き込んでも熱を持たない」
「つまり……?」
榛名が息を呑むと、神崎は勝ち誇ったように白い歯を見せて笑った。
「スマホなら、三分。
自動車なら、十分。
それだけで、航続距離千キロ分のエネルギーが満タンになるわ。榛名くん、あたしたちが作ろうとしているのはね……電池じゃない。『充電という概念の消滅』よ」




