第13話_街中がバッテリー
その夜、霞が関から見下ろす街は、不意に暗くなった。
午後九時過ぎ。落雷による変電所事故で、都心の一部地区が突然、停電に陥ったのだ。ビルの窓が次々と闇に沈み、交差点の信号が消えていく。ほんの数年前なら、そこで交通は麻痺し、事故が起きていたはずだった。
だが、榛名創は、庁舎の窓辺で目を細めていた。
停電した区画のただ中で、交差点の信号機だけが、いつもと変わらず青と赤を灯し続けている。街灯も消えていない。コンビニの店先の自動販売機も、ぼんやりと光っていた。
「……始まっているな」
全固体電池の量産が軌道に乗ってから半年。薄型セルは、スマホやクルマだけでなく、街の隅々へと染み込み始めていた。
翌週、榛名は自動販売機メーカーの開発拠点を訪ねた。
出迎えた技術部長は、腕組みをして首を傾げた。
「榛名さん、お話は分かります。自販機一台に全固体電池を積めば、停電時でも三日は稼働する。ですがね、そんなものを二百万台に載せて、誰が得をするんです? 自販機は飲み物を売る機械であって、発電所じゃありません」
「発電所の一部になるんですよ」
榛名は端的に答えた。
「停電時には自販機が自分で動くだけでなく、近隣の街灯や信号に電気を分け合う。災害時には、避難所のスマホ充電スポットにもなる。電池は自販機の重さの一割にも満たない。設置コストは、電気代の削減分で数年で回収できます」
「ですがねえ、電力会社が許すかどうか。街中の機器が勝手に電気を溜め込んだり出したりしたら、系統が混乱すると言われますよ」
冷笑まじりの反応は、予想された通りだった。電力会社の担当者も、警察庁の交通部門の担当者も、同じことを言った。前例がない。責任の所在が曖昧になる。何かあったらどうする。
榛名は、反論の代わりに、一つの提案をした。
「では、実際に止めてみましょう。結果をその目で見てください」
湾岸の臨海エリア、試験区画。
十月の蒸し暑い夕方、榛名は関係者数十人を前にして、変電所の遮断器の模擬操作を行った。区画内の信号機二十基、街灯三百基、自動販売機八十台、コンビニ四店舗。そのすべてが、全固体電池を備えた新型機器に更新されている。
「では、外部からの給電を、完全に遮断します」
スイッチが落ちた。
区画全体が一瞬、静まり返る。だが、信号は変わらずに色を変え続け、街灯は夕闇に白い光を落とし続けた。自動販売機のディスプレイも、消えない。
警察庁の担当者が、思わず声を漏らした。
「信号が……動いている……」
試験は一週間にわたって続いた。
七日目の夜、モニタールームの大型パネルには、数字が淡々と刻まれていた。
『信号機:無給電稼働 百六十八時間 異常なし』
関係者の誰もが、息を呑んで見つめていた。ある電力会社の幹部は、静かに頭を下げた。
「……一週間、完全に独立で動いたのですか。これなら、災害時の街の景色が変わる」
だが、その手応えの直後に、榛名は別の壁にぶつかった。
八日目の夕方、猛暑日の午後六時。
試験区画の隣で、並行して行っていた別の実証が、思わぬ警報を鳴らした。千台規模のEVを一斉に急速充電させる負荷試験である。仕事を終えた人々が帰宅して一斉に車をつなぐ時間帯を、そのまま再現したものだった。
『変電所負荷 九十七パーセント 許容値超過警告』
モニターの赤いランプが、明滅した。
担当者が青ざめた顔で叫ぶ。
「榛名さん、このままでは送電線が持ちません! 試験を中止します!」
「……止めてください」
電源を落とした部屋の中で、榛名は大型パネルの試算表を睨んだ。
全国の車が全固体EVに置き換わった場合、夕方のピーク時の電力需要は、現在の一・四倍に膨れ上がる。街中の機器が自前で動いても、クルマを充電するための大元の電気は、今の送電網では運びきれない。
さらに、その電気の大半は、輸入した原油とLNGを燃やして作られている。
EVが増えるほど、国富が燃料代として、また海外へ流れ出ていく。
「電池という器は、できた。……だが、その器に注ぐ水が、まだ国産じゃない」
榛名は拳を握りしめた。穴の空いたバケツの穴は、まだ半分しか塞がっていなかったのだ。
庁舎に戻った榛名のデスクに、一通の書類が置かれていた。
差出人は、電力工学の分野で国内随一と言われる老教授。表紙には、達筆な筆文字で一行だけ記されている。
『榛名くん、送電線で電気を送る時代は終わらせよう』
封を開ける榛名の指に、静かな熱が宿った。




