第9話_EV懐疑派の沈黙
氷点下二十一度。
地吹雪が吹き荒れる北海道・士別市にあるトヨミ自動車の極寒テストコース。巻き上げられた雪煙で、十メートル先頭の視界すら怪しいホワイトアウトの中、一台の試作車がピットレーンに静かに佇んでいた。
トヨミ自動車が極秘裏に開発した全固体電池専用プラットフォーム実証車『EX―1』。
車載パックとして床下に敷き詰められたのは、神崎博士が開発し、大日本成版の印刷技術で量産された三千枚の薄型全固体セルだ。
「おいおい、本当にこんな吹雪の中で走らせるのかよ。凍え死にたくねえぜ」
運転席に乗り込んだのは、トヨミのテストドライバー歴三十年のベテラン、堂島だった。ニュルブルクリンク二十四時間レースを幾度も制覇し、ガソリンエンジンの鼓動を誰よりも愛する「筋金入りのEV嫌い」だ。
「堂島さん、エアコンの暖房は三十二度、フルパワーでかけてください。シートヒーターもステアリングヒーターも全部最強で」
助手席に乗り込んだ榛名創が、ヘルメットのシールド越しに言った。
「馬鹿言え」堂島が鼻を鳴らす。「氷点下の豪雪で暖房全開にしてみろ。従来のリチウム電池なんざ、内部抵抗が跳ね上がって電費は半分、一時間も走らねえうちに電欠で亀のマークが点灯してお陀仏だ。豪雪の高速道路で立ち往生して凍死する連中のニュースを見たことねえのか?」
「だから、です」
榛名は不敵に笑った。
「その『常識』を、今日ここで木っ端微塵に粉砕しに来たんですよ。……スタートしてください」
堂島が眉をひそめながらスタートボタンを押し、アクセルペダルを床まで踏み込んだ。
キィィィィン……ッ!
甲高いモーターの超高周波音とともに、二トンの車体が信じられない加速で猛吹雪の中へと弾き出された。
低重心に配置されたバッテリーパックと、南鳥島産の高純度レアアースによって出力を二倍に強化された前後二基の永久磁石同期モーター。四輪が凍結路面をガッチリと掴み、スリップひとつ起こさずに時速百二十キロまで一瞬で到達する。
「なっ……!?」
堂島の背中が、猛烈なGでバケットシートに押し付けられた。
「なんだこのトルクは……! 雪道なのに、路面に吸い付いてやがる! 内燃機関の四駆なんざ目じゃねえぞ!」
テストは過酷を極めた。
一周五キロの周回コース。凍結路、深雪路、登坂勾配二十パーセントの急坂。
堂島は車をいたわることなく、アクセル全開、急ブレーキ、急旋回を何度も繰り返した。車内は暖房全開で南国のように暖かい。フロントガラスの氷は瞬く間に溶け落ち、ワイパーが激しく雪を払う。
一時間。二時間。三時間。
四百キロ、六百キロ、八百キロ――。
走り続けても、車載モニターのバッテリー残量メーターは、信じられないほどの粘りを見せていた。
千キロを突破した時、堂島は思わずステアリングから片手を離し、モニターを指差して叫んだ。
「おい、榛名! このメーター狂ってんぞ! 極寒の吹雪の中で千キロ走って、暖房全開で……なんでまだ残量が二十パーセントもあるんだ!?」
「狂ってなんかいませんよ」
榛名は平然と答えた。
「全固体電池は液体が入っていないから、氷点下二十度でも凍結しないし、界面の自己修復機能で内部抵抗が跳ね上がることもない。さらに、冷却装置を全廃して車体が四百キロも軽くなった。航続距離はカタログスペックで千二百キロ……実測でも千キロを余裕で超えます」
「千二百キロ……」
堂島は絶句した。
それは、ガソリン車ですら給油なしでは走れない距離だった。「EVは寒さに弱い」「冬は走れない」という、世界中のアンチEV派が掲げていた最大の錦の御旗が、完全に粉砕されたのだ。
「ピットインしてください、堂島さん。最後のテストです」
ピットに戻ったEX―1の充電ポートに、トヨミが新開発した「メガワット級超急速充電コネクタ」が差し込まれた。
充電器のインジケーターが猛烈な勢いでカウントアップしていく。
堂島がピットの自販機で缶コーヒーを買い、プルタブを開けて一口すすった。
時計の針を見つめる。
三分。五分。八分。
ピピッ!
『急速充電完了:バッテリー残量95%(航続可能距離:1,140km)』
堂島の手から、缶コーヒーが滑り落ちそうになった。
「は……? 八分……? コーヒー一本飲んでる間に、千キロ分充電できたってのか……?」
「ええ。超急速充電しても発熱しない。だから、三十分もかけて充電器の前でスマホをいじって待つ必要はありません」
榛名は堂島の肩をポンと叩いた。
「航続距離千二百キロ。極寒でも性能低下ゼロ。充電はトイレ休憩の八分で完了。そして、衝突しても絶対に燃えない。……堂島さん、これでもまだ、EVはオモチャですか?」
歴戦のテストドライバーは、雪の中に佇むEX―1を呆然と見つめていた。
やがて、その口元がワナワナと震え、ヘルメットを脱ぎ捨てて頭を抱えた。
「……参ったよ。完敗だ。オモチャどころか、これ、化け物じゃねえか……! こんなもん作られちまったら、世界中の内燃機関屋は全員失業しちまうぞ……!」
ピットの奥でその様子を見守っていたトヨミの村岡専務が、興奮で紅潮した顔で駆け寄ってきた。
「榛名さん! すぐに役員会を通して、まずは高級フラッグシップセダンと大型SUVから市販化ラインに乗せます! 一台一千万円でも飛ぶように売れるはずだ!」
自動車ビジネスの常道だった。新技術は高価な高級車から投入し、富裕層から開発費を回収するのが鉄則だ。
だが、榛名は首を横に振った。
「いいえ、村岡専務。高級セダンは後回しです」
「は……? 何を言ってるんだ? じゃあ、最初にどの車に載せる気だ?」
榛名はポケットから、一枚の写真を取り出した。
そこに写っていたのは、豪雪に埋もれた農村で、錆びだらけの荷台にチェーンを巻いて健気に走る、泥まみれの「白い軽トラック」だった。
「この電池を最初に必要としているのは、六本木ヒルズの富裕層じゃありません。日本の食料と物流を底辺で支え、高いガソリン代と雪道に泣かされている……地方の農家です」




