魔王城カチコミ、六魔将の絶望と蹂躙
帝都ルミナス、帝城の円卓会議室。
アレスが「夕食の時間までには戻る。北のゴミ掃除をしてくる」と言い残し、空間跳躍で姿を消してから、まだ一時間も経過していなかった。
皇帝と将軍たちは、円卓を囲んだまま身動き一つできず、重苦しい沈黙の中でただ時が過ぎるのを待っていた。
「……陛下。いくらアレス殿が絶大な力を持っていようと、たった一人で六魔将ザガンと五万の死霊軍を相手にするなど、無茶が過ぎます。直ちに援軍を派遣すべきでは――」
白髪の老将軍が進言しようとしたその時、会議室の影が不気味に蠢き、一人の男がヌルリと姿を現した。
裏社会を牛耳る『黒梟』の首領であり、今や帝国軍の情報部を裏から完全に掌握しているガルド・ベイガンである。
「援軍など不要です、将軍閣下。そのような遅鈍な真似をすれば、我が主の機嫌を損ねるだけですよ」
「な、何者だ貴様! ここは最高軍事会議の場だぞ!」
「お気になさらず。ただの『魔導卿』様の忠実なる影に過ぎません。……たった今、我が主が放たれた使い魔より念話報告が入りましたので、お伝えに参りました」
ガルドは薄ら笑いを浮かべながら、皇帝に向かって恭しく一礼した。
「国境を脅かしていた五万の死霊軍、並びに六魔将ザガンは、我が主の手により『完全消滅』いたしました。所要時間は五分。帝国軍の被害は、強いて言えば国境の地形が巨大な溶岩の湖に変貌したことくらいでしょうか」
「……は?」
皇帝の口から、間抜けな声が漏れた。将軍たちも一様に目を丸くし、己の耳を疑った。
「五万の軍が……五分で消滅しただと? バカなことを言うな! 軍隊の移動すらすまない時間だぞ!」
「事実です。そして、報告はまだ続きがあります」
ガルドはさらに口角を吊り上げ、帝国最高権力者たちに冷や水を浴びせるような報告を放った。
「我が主はザガンの精神から魔王城の正確な座標を引き出し、そのまま空間跳躍にて『敵の本拠地』へ直接乗り込まれました。……現在、単騎にて魔王城を制圧中でございます。夕食には十分間に合うかと思われますので、厨房には最高級のステーキを用意させておくよう、手配をお願いいたします」
円卓会議室は、水を打ったような完全なる静寂に支配された。
皇帝も将軍も、もはや理解の範疇を超えた事象を前に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
かつて帝国を滅亡の淵まで追いやった魔王軍。
人類が何百年もの間、血と涙を流し続けてきた絶対的な恐怖。
それが今、たった一人の青年の「夕食前の暇つぶし」として、完全に蹂躙されようとしているのだから。
帝国領から遥か北方に位置する、暗黒の大地『黒死の絶叫谷』
空は永遠に晴れることのないドス黒い雲に覆われ、大地には致死毒の沼が点在する、生命を拒絶する魔王軍の本拠地である。
その最深部にそびえ立つ、禍々しい漆黒の尖塔群からなる巨大な城――魔王城。
城の第一防衛層である巨大な大広間には、今、残る五人の『六魔将』が一堂に会していた。
幻影を操る吸血鬼、剛力を誇る四腕の狂鬼、猛毒を撒き散らす大蜘蛛の化身など、いずれも単身で一国を滅ぼす力を持つ魔族の最高幹部たちである。
だが、彼らの顔には今、かつてないほどの焦燥と動揺が浮かんでいた。
「……ザガンの魔力反応が、完全に消滅した。アイゼン要塞周辺に展開していた五万の軍勢の反応も、たった一瞬で塵のように消え去ったぞ」
「バカな……! 人間どもに、あの大悪魔を五分で倒せる武力など存在するはずがない! 光の勇者でも誕生したとでも言うのか!」
「ええい、落ち着け! いずれにせよ、ザガンを討った謎の存在が、このまま軍を率いて魔王城へ進軍してくる可能性が高い! 防衛結界の出力を最大にし、迎撃の準備を――」
猛毒の大蜘蛛の化身である魔将が叫んだ、その時だった。
『――迎撃の準備? そんな無駄なことにリソースを割く必要はない。僕から直接出向いてやったのだからな』
大広間の空間そのものが、まるでガラスのように「パリンッ」と音を立てて砕け散った。
砕けた空間の亀裂から、漆黒の外套を羽織った人間の青年が、まるで散歩でもしているかのような優雅な足取りで大広間へと足を踏み入れた。
アレス・ヴァン・グランベルである。
「なっ……人間!? 空間跳躍で魔王城の絶対防衛結界をすり抜けただと!?」
「あり得ん! この結界は、魔王様ご自身の魔力で編まれた多重防御だぞ! それを無傷で透過するなど――」
「透過などしていない。あまりにも脆すぎたから、ただ『破壊』して通ってきただけだ。足元の雑草を踏み潰すのに、いちいち許可を取る人間はいないだろう?」
アレスは六魔将たちの驚愕を冷笑で一蹴し、広間を見渡した。
「ふむ。一、二、三……五匹か。ザガンを除いた六魔将が全員揃っているとは、実に効率がいい。ゴミを一つ一つ拾って歩く手間が省けた」
「き、貴様ぁ……! ザガンを殺したのは貴様か!!」
「そうだと言ったら?」
「我らをコケにするな、矮小なる人間風情がァァァッ!!」
剛力を誇る四腕の狂鬼が、怒号と共に床を蹴り飛ばした。
音速を超える踏み込み。
手には、城門すら一撃で粉砕する巨大な黒鉄のメイスが握られている。
それがアレスの頭上へと、容赦なく振り下ろされた。
「死ねェッ! 肉片一つ残さず挽肉にしてくれるわ!!」
ドゴォォォォォォォォォンッ!!
広間全体が激震し、凄まじい衝撃波が周囲の石柱を粉々に吹き飛ばす。
狂鬼の渾身の一撃が、完全にアレスを捉えた――かに見えた。
「……ハエが止まったか?」
土煙が晴れた後、そこに立っていたのは、指一本すら動かさず、無傷のアレスだった。
狂鬼の巨大なメイスは、アレスの頭頂部から数センチの空中に展開された『極小の多角形防壁』に阻まれ、ピタリと停止していた。
それどころか、メイスの先端から亀裂が走り、次の瞬間、黒鉄の質量兵器が粉々に砕け散った。
「なっ……!? 俺の『剛力崩壊撃』が……!」
「遅い。軽い。そして何より、魔力の使い方が原始的すぎる。獣でももう少しマシな魔力操作をするぞ」
アレスがため息をつきながら、右手の指先を狂鬼の巨体に向けた。
『――空間圧縮』
「が、ぎ、ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
狂鬼の巨体が、見えない巨大な手で四方八方から押し潰されたかのように、ミシミシと不気味な音を立てて歪み始めた。
四本の腕がへし折れ、肋骨が肺に突き刺さり、眼球が破裂する。
数秒後、かつて最強の物理破壊力を誇った六魔将は、バスケットボールほどの大きさにまで極限圧縮された血肉の塊となり、ボトッと床に落ちた。
「……ヒッ!?」
「ば、化け物……ッ!! 人間ではない、あれは……!」
残る四人の六魔将たちが、顔面を蒼白にして後ずさった。
彼らは人間を脆弱な家畜として見下してきた。
だが今、目の前にいる存在からは、彼ら自身が家畜以下のアリとして扱われている絶対的な格差を見せつけられたのだ。
「どうした? 全員揃ってかかってこい。それとも、魔族は背中を見せて逃げるのが得意なのか?」
「お、おのれぇぇぇッ! 束になってかかれ! 一斉攻撃だ!!」
吸血鬼の魔将が無数の血の刃を放ち、大蜘蛛の魔将が致死の毒霧を広間に充満させる。残る二人の魔将も、極大の炎雷魔法を乱れ打った。
四人の六魔将による、一国を焦土と化すほどの飽和攻撃。
光と轟音、そして猛毒がアレスの姿を完全に飲み込んだ。
「ハァ……ハァ……どうだ! いかに化け物といえど、これほどの集中攻撃を受ければ――」
だが。
その猛威の中心から、氷のように冷徹な声が響き渡った。
『――絶対零度』
カキィィィィィィィィンッ!!
という甲高い音と共に、大広間の空間そのものが「凍結」した。
炎も、雷も、血の刃も、致死の毒霧さえも。すべてがアレスに届く前に、絶対零度の冷気によって空中で氷のオブジェと化し、無害な粉雪となって床に砕け散ったのだ。
「な、なんだと……!? 魔法そのものを、凍らせただと!?」
「物理現象を無視している……! こんな出鱈目な魔力、魔王様すら凌駕しているではないか!」
凍りついた広間の中央から、アレスがゆっくりと歩み出てくる。
彼の纏う魔力は、もはや人間の器に収まるものではない。
空間そのものを従わせ、世界そのもののルールを書き換える『神域』の力であった。
「前世において、お前たち六魔将を討伐するため、人類は多大な犠牲を払った。僕の書いた戦術でなんとか押し返したが、それでも無能な指揮官たちのせいで何万人もの命が失われた」
アレスの冷酷な瞳が、絶望に顔を歪める四人の魔将を貫く。
「だが、今世では違う。僕自身が直接手を下す。お前たちのような害悪に、指一本、兵一人たりとも犠牲にさせるつもりはない」
アレスが両手を広げると、大広間の天井に、広大な夜空を凝縮したような巨大な『重力球』が四つ、瞬時に形成された。
それは、空間そのものを削り取り、万物を事象の地平へと引きずり込む極小のブラックホール。
「終わりだ、下等生物ども」
「ま、待て! 降伏する! 我々は魔王を裏切り、貴様に忠誠を――」
「不要だ。ゴミの忠誠など、百害あって一利なし」
アレスが手を振り下ろすと同時、四つの重力球が魔将たちへ向けて落下した。
逃げる間も、防御魔法を張る間すら与えられない。
「ギャアアアアアアアアアッ!!」
「いやだ、死にたくな――」
音すらも吸い込まれる絶対の破壊。
四人の六魔将は、断末魔の叫びすら最後まで発することを許されず、重力球の渦の中へ分子レベルで分解され、虚空へと消滅した。
後には、何事もなかったかのように静まり返った大広間だけが残された。
アレスの侵入から、わずか三分。
人類を何百年もの間苦しめ続けてきた六魔将は、アレス・ヴァン・グランベルというたった一人の青年の手によって、欠伸が出るほどにあっさりと、この世から完全に根絶されたのである。
「さて。これで前座はすべて片付いたな」
アレスは乱れた外套の襟を軽く正すと、大広間の最奥――魔王城の中心へと続く、禍々しい装飾が施された巨大な大扉を見据えた。
その扉の向こうからは、これまで屠ってきた六魔将とは比較にならないほどの、濃密でおぞましい魔力が漏れ出している。
魔王軍の絶対的支配者。すべてを滅ぼす災厄の根源。
「待たせたな、魔王。お前の退屈な余生も、今日で終わりだ」
アレスが右手を大扉にかざすと、数十トンの重量を持つ鋼鉄の扉が、まるで紙切れのように吹き飛び、轟音と共に玉座の間への道が開かれた。
冷徹なる大魔導卿の覇道。
その最後の蹂躙劇の幕が、今、静かに上がろうとしていた。




