第4話『空のボトルと、三つの命』
子供たちは、母親に促されておずおずとボトルに口をつけた。
まずお姉ちゃんが一口、驚いたように目を見開いて喉を鳴らす。それを奪い取るようにして、弟も交互に口をつけ、最後の一滴まで絞り出すようにしてボトルは完全に空になった。
二人は、自分が何を飲んだのかまだ理解できていないようだった。
ただ、生まれて初めて体験する強烈な冷たさと、体に染み渡る不可思議な甘みに圧倒され、最後の一滴を飲み干したあとも、空になった容器を持ったまま、無言でこちらをじっと見つめていた。
母親は少し恐縮したように、空になったペットボトルを両手で俺に差し出した。
「お侍様、本当にありがとうございました」
「いえ、お役に立てて良かったです」
俺は母親からボトルを受け取り、キャップを閉めてジャケットの大きなポケットへと仕舞い込んだ。現代のプラスチックゴミをこの時代に残すわけにはいかない。
これで、水をもらう名目での接触と、ペットボトルの完全回収という最低限のミッションはクリアした。
だが、この三人の様子を見たら、そのまま立ち去るのが少しだけ名残惜しくなった。ポケットの奥には、仕事の合間の糖分補給用に買い込んでいた『塩飴』の袋がある。
俺はポケットから塩飴の大きな外袋を取り出し、そこから個包装の小袋を三つ、手元につまみ出した。もちろん、このプラスチックの小袋もこの世界にゴミとして残すわけにはいかない。その場で中身だけを渡す。
「これ、ありがとう」
そう言いながら、俺はまず子供たちに向かって言った。
「手を出して」
子供たちがおずおずと小さな両手を差し出す。俺は小袋の端を器用に引きちぎり、中から丸くて黄色い飴玉をコロンと一つずつ、二人の手のひらに乗せていった。最後に、若い母親の手にも同じように飴玉を一つ乗せる。
引きちぎった小袋のゴミは、すぐに自分のポケットの中へ押し戻した。
「これは長崎の、とても甘いお菓子です。噛まないで、口に入れて舐めるんだよ」
当時、砂糖は薬としても扱われるほどの超高級品だ。ましてや、現代の技術で作られた雑味のない純粋な甘みと塩気を持つ塩飴は、彼らにとって天上の贅沢品に違いない。
「えっ……こんな、高価そうなものを、私たちにまで……」
母親は手のひらの上の飴玉を見つめ、ふんわりと漂う甘い香りに再び言葉を失っていた。子供たちは俺に言われた通り、不思議そうに飴玉を口の中へと放り込んだ。
この徹底した現代物資の管理と、ささやかな糖分の施しが、この家族と俺との絆をさらに深く結びつけることになる――。
「私はこれで」
俺はそれだけ短めに若い母親に挨拶をすると、まだ飴を口に入れたばかりで戸惑っている二人の子供たちに向けて、無意識に「バイバイ」と手を振った。
あ、バイバイなんてこの時代には伝わらないか、と途中で気づいたが、これ以上長居をして服や髪型を凝視されるのもマズい。少し急ぎ足で、筵のカーテンをくぐって粗末な家を後にした。
土の街道へと出た、そのすぐ直後だった。
「お侍様、ありがとうございました……!」
後ろから若い母親が慌てて追いかけてきて、道の脇でこちらに向けて深々と頭を下げた。声には、冷たい水と極上の甘みをくれた俺への、心からの感謝が滲んでいる。
それを聞きながら、俺は振り返り、歩みを止めずに軽く頭を下げるだけで応えた。
お侍様、と呼ばれたのが頭に残っていた。テレビの時代劇で見た、名もなき浪人が静かに去っていく時の仕草。あれはこんな感じだったか、と少し気取って真似をしてみたのだ。
背中に母親の視線を感じながら、深い藪の中に隠した愛車、N-VANの方へと歩き続ける。
「……あの家、本当に今日食べるものが何もなかったんだな」
ジャケットのポケットに入れた、空のペットボトルと飴の小袋のプラスチックの感触を指先で確かめる。
今回は突発的な検証だったから、飴とスポーツドリンクしか渡せなかった。あの三人には、もっとまともな、今日を生き延びるための食料が必要だ。
「よし、次にここへ来るときは、もっと色々と準備してこよう」
車内にある現代の物資、あるいは現代側でいくらでも安く仕入れられる、彼らの命を繋ぐための具体的な食料。
だが、ただ物を与えるだけでは、ただの「怪しい慈善家」か「妖術使い」だ。これからこの世界で本格的に物流の仕組みを作り、ビジネスとして成立させるためには、まずはあの若い母親に心から『信用』してもらう必要がある。
どうすれば、彼女に俺のことを完全に信用してもらえるだろうか――。
N-VANの運転席に乗り込み、ドアをロックした俺は、ダッシュボードのタブレットを見つめながら、次の「仕込み」に向けた作戦を練り始めた。




