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軽バン一台、お江戸を豊かにいたします。  作者: PPPC


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第3話『筵(むしろ)の向こうの三人』

N-VANを降りると、足元にはアスファルトの欠片もない、乾いた土の道が続いていた。 現代の福岡ならどこにでもある電柱もガードレールも見当たらない。あるのは、夏の容赦ない日差しと、耳が痛くなるほどの蝉時雨、そしてどこか泥臭い草の匂いだけだ。

本当にタイムスリップしたんだという実感が、じわじわと背中を伝ってくる。

喉を焼くような暑さの中、俺は周囲を警戒しながら数分ほど歩いた。すると街道沿いに、今にも崩れそうな一軒の草庵――あばら屋を見つけた。 壁の土は剥げ落ち、柱は傾いている。人が住んでいる気配は薄いが、入り口には戸の代わりにボロボロの筵(むしろ)が垂れ下がっていた。

この世界の情報を得るためにも、まずは誰かに接触するべきだ。 俺は意を決して、その筵に向かって声をかけた

「・・・ごめんください・・・」

間があり、物音がした。ドキドキした。

ゆっくりと、筵(むしろ)が持ち上げられる。

そこから顔を覗かせたのは、煤で汚れた顔をした、十歳にも満たない小さな男の子の顔だった。その奥には、怯えたように弟の肩を抱く少し大きな女の子と、うつろな目でこちらを見つめる母親の姿がある。まだ二十代半ばといったところだろう、若いが、その顔色には酷い疲労が滲んでいた。

「……あの、どちら様ですか?」

母親が、消え入るようなかすれた声で問いかけてきた。

その目は、俺のツーブロックの髪型や、見たこともない黒い防風ジャケットというあまりに奇妙な風体に、一瞬だけ鋭い不審の光を宿した。怪しい、おかしな奴だ、と本能が警告したのだろう。

だが、その警戒心はすぐに泥のように溶けて消えた。もう、目の前の異形を深く疑い、怯えるだけの気力すら彼女たちには残っていなかったのだ。ただ生きて座っているだけで精一杯という、弱々しい佇まいだった。

俺は異世界小説の知識を必死に手繰り寄せながら、できるだけ穏やかに頭を下げた。

「突然押しかけて申し訳ありません。私は長崎から博多へ向かう途中の旅の者です。少し歩き通しで喉が渇いてしまいまして……。もしよろしければ、お水を一杯、分けていただけないでしょうか」

余計な嘘はつかず、ただの旅人を装って水を乞う。

若い母親は力なく首を振った。

「お水なら、裏の井戸からいくらでも汲めますけど……」

その言葉の奥にある、家の中の圧倒的な空気の重さに俺は気づく。

ただの水を求めて立ち寄った俺に対する、これ以上ここにいても何も出せないという、彼女の精一杯の諦め。今日、仕事がなくて食べるものが何もない三人の静かな絶望が、筵の隙間から漏れ出ていた。


「あ、あの。裏の井戸で直接いただいてもよろしいですか?」

「え……ええ、構いませんけど……」

一度草庵を出て裏手に回ると、木枠で囲われた古びたいわゆる「つるべ井戸」があった。 木桶を縄で下ろし、冷やりとした地下水を汲み上げる。現代のように蛇口をひねれば済むわけではないが、自分で汲んだ水を両手ですくって口に含むと、驚くほど冷たくて、ほんのりと甘い。 「……生き返るな」 乾いた喉が潤っていく。

それと同時に、これほど良い水が出る土地でありながら、飢えに苦しんでいるあの親子の姿が頭をよぎった。


俺はジャケットのポケットに手を入れ、キンキンに冷えたプラスチックのボトルを引っ張り出した。

「これ、水のお礼に代えて、皆さんで飲んでいただけませんか。長崎の出島で手に入れた、薬水です。歩き疲れたときのために持っていたのですが、差し上げます」

取り出したのは、表面にびっしりと冷たい水滴を蓄えた、青いラベルのスポーツドリンクのペットボトル。

小さな弟は、見たこともない透明なプラスチックの容器と、そこから放たれる不自然な「冷気」に、声もなく驚いて母親の背中に隠れた。

俺はボトルのキャップを小気味よい音を立ててひねり、まずは誠意を示すために、自分の口元へ運んでゴクリと一口、喉を鳴らして飲んでみせた。

「毒じゃありません。冷たくて、おいしいですよ。さあ、どうぞ」

差し出されたペットボトルを、若い母親は震える手で受け取った。

その容器のなかに、この家族の運命を劇的に変える「現代の物流」の第一歩が注がれようとしていた。


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