第2話:『白昼のバグ』
あの奇妙な夜から数日後。
日常の配達業務はいつもより順調で、仕事に慣れてきたこともあって心に余裕が出ていた。
時間指定の荷物も一発で捌け、次の配送まで少し時間が空く。俺は唐津街道沿いの、海が見える静かな駐車スペースにN-VANを止め、缶コーヒーを開けて休憩に入った。
エアコンの快適な風のなか、ふとダッシュボードのタブレットに視線が止まる。
「あの時のあれは、一体何だったのか……」
フタをしていた記憶が、余裕のできた脳裏に蘇る。過労による目眩にしては、あの耳を圧迫する感覚も、フロントガラスの向こうに広がっていた深い草むらの匂いも、あまりに生々しすぎた。
「……確かめるだけだ」
静まり返った車内。俺はごくりと唾を飲み込み、タブレットへ指を伸ばした。
画面をスワイプし、コントロールセンターを引き出す。白昼の光に照らされた液晶のなかに、あの飛行機のマークがあった。
人差し指の先で、そのアイコンを叩く。
【機内モード:ON】
タップした、その瞬間だった。
光が出たわけでも、音が響いたわけでもない。
ただ、鼓膜を内側から強烈に圧迫する、暴力的な気圧の変化が耳の奥を襲った。
水深数十メートルの深海に一瞬で引きずり込まれたかのような、嫌な耳鳴りが頭を支配する。
同時に、フロントガラスの向こうの景色が、まるで熱せられたアスファルトの陽炎のように
グニャリ
と一瞬でねじ曲がった。
視界が激しくブレ、バチッと静電気が弾けるような音が脳裏で鳴る。
時間にして、わずか1秒にも満たない一瞬の異変。
それが収まったとき、俺の耳はツーンと高い耳鳴りを立てていた。
「ハッ、ゲホッ……!」
激しく耳抜きをしながら、俺はフロントガラスへしがみつくように顔を上げた。
そこには、さっきまで見ていた現代の穏やかな海も、アスファルトの道路もなかった。
まばゆい昼の太陽に照らされているのは、見たこともないほど深く、青々と生い茂る巨大な藪の中。現代の人工的なノイズが完全に削ぎ落とされた、異様なほど静かな『昼の静寂』が広がっていた。
「……まじ、かよ……」
車内のエアコンは快適な風を送り続け、助手席の『EcoFlow RIVER 2 Pro』の液晶も何事もなかったかのように点灯している。だが、フロントガラスの一枚向こう側は、完全に別の世界に切り替わっていた。
夢でも幻覚でもない。タブレットのあのボタンを押した瞬間、俺は本当に、あの場所に「戻って」きてしまったのだ。
そして俺は、目の前の深い茂みのすぐ先を横切る、一本の土の道に気づく。
それこそが、江戸時代のインフラ――本物の『唐津街道』だった。




