第四十九話「入る前に」
明後日に決めた。
その翌日、蓮は一人で沼の縁まで行った。
地声で、底を確認する練習をした。
沼の水は冷たい。でも、底は感じられる。白い土の感触が、遠いがちゃんとある。地声を傾けるだけで来る——昨日より、早く届いた。
一時間、繰り返した。
宿に戻って、手帳に書いた。
*届く距離を確認した。底まで三十秒。戻りは同じ。迷わなければ大丈夫だと思う。*
大丈夫かどうかは、入ってみないと分からない。
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昼前、ガロが宿に来た。
「入る日が決まったと聞いた」
「明日です」
「そうか」
ガロは荷物を持っていた。小さな革の袋だった。
「渡したいものがある」とガロは言った。
蓮は受け取った。袋の中を開けた。
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短い棒が入っていた。
手のひらほどの長さで、先が細くなっている。木ではない。何か固い素材で作られている。表面が、なめらかに磨かれていた。
「水脈探しの道具だ」とガロは言った。「俺が坑道で使っていた。地の中のものを感じやすくなる——少なくとも、俺にはそうだった。お前のスキルで使えるかどうかは分からないが」
蓮は棒を握った。
何かが来た。
指の先から、地面の感触が入ってくる。宿の床の下に、石畳の基礎がある。その下に、土の層がある。
「……感じます」
「そうか」
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「なぜこれを」と蓮は言った。
「底の感触が分かりやすくなるかもしれない」
「それだけですか」
ガロはしばらく黙った。
「七年間、持っていた。沼に行くたびに、これを使った。向こうが聞いてくることが分かったのも、これがあったからだ」
「では、これはガロさんの——」
「そうだ。七年分の、俺の時間が入っている。それを、お前に渡す」
ガロは蓮を見た。
「向こうに飲み込まれるな」
蓮は、棒を両手で持った。
「ありがとうございます」
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夕方、フィルが来た。
三人で、もう一度手順を確認した。
「縄を腰に巻いていく」とフィルは言った。「縁に残る者が、合図で引く。問題が起きたら、縄を二回引け。こちらから引く」
「どのくらいの長さが必要ですか」
「記録では、底まで四十尺と書いてある」
「底まで降りるつもりはありません。水の中を歩いて、底の土に触れるだけです」
「それでも、縄は必要だ」
「分かりました」
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フィルが帰った後、ノエルが来た。
部屋に入って、蓮の手帳を見た。明日の手順が書いてある。
「縄を腰に巻いて入る」とノエルは言った。確認するように。
「そうなる」
「あたしが縄を持つ」
「ガロさんと二人で持ってもらうことになっている」
「分かった」
ノエルはしばらく手帳を見ていた。
「何かあったら、すぐ引く」
「二回引けば伝わる」
「二回じゃなくていい。一回でも引いたらすぐ引く」
蓮は少し間を置いた。
「……一回でも引いたら、引いてくれ」
「約束」とノエルは言った。
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その夜、眠れなかった。
怖いわけではない——と思う。
ただ、静かな部屋で、天井を見ながら地声に耳を傾けた。
宿の床の重さが来る。壁の感触が来る。地下水の静かな流れが来る。
遠くの方に、沼の方向がある。重くて、圧倒的で、ずっと積み重なっているものが。
眠れないまま、朝になった。
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朝、三人で沼に向かった。
フィルも来た。縄を持っていた。
境目を越えた。蓮だけ越えた。ノエルとガロとフィルは、縁に残った。
縄が、腰に巻いてある。もう一方の端は、ノエルの手の中にある。
スミが、縁で止まった。
蓮がスミを見た。
「来るな」
スミは来なかった。
ただ、低い声で一度、小さく鳴いた。
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沼の前に立った。
水は暗い。底は見えない。ガロが言っていた「向こうも聞いている」という感触が、地声を通してくる。
ガロが渡してくれた棒を握った。
底の感触が、はっきりと来た。
白い土が、ある。
「入ります」と蓮は言った。
振り返らずに言った。
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水に足を踏み入れた。
冷たかった。
腰まで沼に入ったところで、足の裏に地面の感触が来た。
底は、まだ遠い。でも、確かにある。
蓮は、水の中を歩いた。
(第四十九話 完)
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