第四十八話「世界の端でも同じだった」
翌朝、ノエルがフィルのところに来た。
昨日の衝突から、二人の間に変な空気があった。ノエルは蓮を避けているわけではなかったが、話しかけ方が少し違った。言葉が少し短かった。
それでも来た。
「記録、あたしも読んでいいですか」とノエルはフィルに言った。
フィルは封筒を渡した。「好きに読め。難しい字があれば聞いてくれ」
ノエルは紙を広げて、黙って読み始めた。
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蓮も読んでいた。
継承士の記録の前後に、別の記述があった。この沼のことだけではなく、フィルが各地を歩いて集めた記録だ。
北の山岳地帯に、ある集落の話があった。
川の水が白くなった。川沿いに住む人々が、少しずつ昔のことを話せなくなった。その川は百年ほど前に封じられ、現在は枯れている——という記録だった。
「これは」と蓮は言った。
「別の場所の話だ」とフィルは答えた。「北の山の向こうにある。俺が直接確認したわけではないが、記録を持っていた者から写させてもらった」
「ここと同じ現象が起きていた」
「起きていた。そしてそこでも、誰かが封じた。その誰かの名前は残っていない」
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ノエルが顔を上げた。
「他にもあるの?」
フィルはうなずいた。
「三か所、記録がある。山岳地帯、海沿いの港町、それとここだ。俺が集められたのはそこまでだ。もっとあるかもしれない」
「三か所で、同じことが起きていた」とノエルは言った。
「そうだ」
ノエルは紙を蓮に渡した。
「蓮、これ」
蓮は受け取った。海沿いの港町の記録だ。百五十年前の話で、港の井戸水が変わった、住民の一部が方言を失った、という内容だった。そこも封じられていた。
*方言を失った。*
蓮はその一行で止まった。
言語は、記憶の中でも深い場所にある。それが最初に消える、ということが書いてあった。
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「なぜ、こんなに離れた場所で同じことが起きるんですか」と蓮は言った。
フィルはしばらく黙った。
「分からない。ただ、共通点がある。三か所とも、地下水脈がつながっている地域だ。俺が調べた限りでは」
「地下水脈でつながっている」
「この沼の水も、地下を流れていた。山岳地帯の川も、港の井戸も——それぞれ、深い場所でつながっている可能性がある」
蓮は手帳に書いた。
*地下でつながっている。局所的な現象ではなく、地の下で連結している。*
「忘却は、この沼だけの問題ではないかもしれない」
「そうかもしれない」とフィルは静かに言った。「それが分かって、俺は二十年間この記録を持ち歩いてきた。どうすればいいかは、まだ分からないまま」
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昼になった。
フィルが別の用事で席を外した。
蓮とノエルだけになった。
ノエルはしばらく窓の外を見ていた。
「三か所とも、誰かが封じた」とノエルが言った。
「ああ」
「その誰かは——継承士だったの、全部」
「分からない。記録に名前がない」
「でも、可能性はある」
「ある」
ノエルは少し間を置いた。
「……あたし、昨日言いすぎた」
蓮は顔を上げた。
「心配してたのは本当。でも、あんたを止めようとしたのは違ったと思う」
「違わない。リスクの話は正しかった」
「でも、あんたが判断することだった。あたしじゃなくて」
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蓮はしばらく何も言わなかった。
「縁まで、一緒に来てくれるか」と蓮は言った。
「それはする」とノエルはすぐに言った。「絶対する」
「それで充分だ」
ノエルは小さくうなずいた。
スミが、二人の足元に来て、丸くなった。
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夕方、フィルが戻ってきた。
「準備の話をしよう」とフィルは言った。「記録に、入り方の手順が残っている」
蓮は手帳を開いた。
「手順というのは」
「沼に入る前に、地声を使って底の土の位置を確認すること。それだけだ」
「それだけですか」
「それだけしか書いていない。あとは——その継承士が、どうやったかは書いていない。書けなかったのかもしれない。言葉にできないことだったのかもしれない」
蓮は手帳を閉じた。
「明後日、入ります」
「分かった」とフィルは言った。「俺も縁まで行く」
(第四十八話 完)




