第四十四話「境目の向こう」
翌朝、三人で境目に向かった。
昨日ノエルと歩いて作った地図に、沼の水が急に薄くなる場所がある。町の北端から、さらに少し進んだあたりだ。
「ここが境目?」とノエルが言った。
「この辺のはず」
草地に出た。沼まではまだ距離がある。でも、地声は静かに来ていた。
足の裏から、地の下の水を感じる。ここまでは沼の水が染み込んでいる。もう少し先で——急に薄くなるはずだ。
蓮は歩いた。
十歩、二十歩。
来た。
水の感触が、急に変わった。沼の水が、ここで止まっている。地の下に何かがある。
「ここだ」
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ノエルが足元を見た。
「地面の下、ということは——掘らないと見えない」
「そうなる」
「どのくらいの深さに?」
蓮は足の裏に意識を向けた。
地声が来る。砂と土の層。その下に、固い感触がある。水を通さない、緻密な何かが横に広がっている。
「一メートルか、二メートルか。正確には分からない」
「掘れる?」
「道具があれば。ただ——」
スミが、止まった。
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いつもの止まり方ではなかった。
体を低くしている。尾が、ゆっくりと下がっていく。耳が、沼の方向に向いた。
「スミ」とノエルが言った。
スミは動かない。
蓮は足の裏に集中した。
地声に、何かが混じった。
土を踏む振動。重い。四本足。それが——地面の下から来ていた。
「地中にいる。動いている」
「どこに」
「沼の方向から、こちらに向かってきている」
ノエルが剣の柄に手をかけた。
「大きさは」
「大きい。かなり大きい」
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三秒後、地面が盛り上がった。
沼の方向から、こちらに向かって土が波打った。地の下を、何かが走っている。
蓮は飛び退いた。
「離れろ」
ノエルとスミが左右に散った。
地面が破れた。
土が弾けて、そこから何かが出てきた。
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大きかった。
体長は馬ほどある。形は——トカゲに近い。四足で、皮膚が土色をしている。目が、正面についていない。左右についている。頭を左右に振りながら、こちらを見定めている。
ただ、動きがおかしかった。
地上に出てきたのに、方向が定まらない。右に行きかけて止まる。左に向きかけて止まる。まるで、どこに行けばいいか分からないみたいに。
スミが低く唸った。
「——待て」
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蓮は、地声に耳を傾けた。
あの生き物の足音が、地面を伝わって来る。
重い。不規則だ。右に重心がかかって、すぐ左に戻る。ふらついている。
「あれ、混乱している」
「混乱?」とノエルが言った。
「沼の方向から来た。あの生き物も——影響を受けているかもしれない」
「人みたいに、記憶が?」
「分からない。でも、動きが正常じゃない」
その間にも、生き物は頭を振り続けていた。それでも、こちらに近づいてきていた。方向は定まらなくても、気配には反応している。
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「来る」
ノエルが動いた。
スピードが上がる。足が地面を蹴った瞬間、もうそこにいない。生き物の右側に回り込んで、剣を抜いた。
生き物が向きを変えた。ノエルに反応した。
その隙に、蓮は土を握った。
地面に手をつける。土弾の感触を呼ぶ。押し縮める、固める、飛ばす——
弾が出た。
生き物の左肩に当たった。硬い。皮膚が厚い。大きくはダメージを与えていない。でも、向きが変わった。
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「引きつけてる」とノエルが言った。走りながら、叫ぶ。「どこに誘導すればいい?」
蓮は地声で確認した。
あの生き物の足跡が、地面に伝わっている。足元の地下水の流れを追えば、沼の水が薄い方向が分かる。
「北東。境目の外に出れば、沼の水が届かない場所に入る」
「分かった」
ノエルが北東に向かって走った。生き物が追った。スミが側面から圧力をかけて、方向を誘導する。
蓮は追いながら、土弾を続けた。威力は小さくていい。向きを変えさせるだけでいい。
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三十歩、走った。
ノエルが止まった。生き物も止まった。
「ここ?」
「もう少し先」
また走る。生き物が追う。スミが唸り声で右を塞ぐ。
もう十歩。
「ここ」
ノエルが急に向きを変えた。生き物が行き過ぎた。勢いが止まらず、そのまま先へ進んでいく。
そして——止まった。
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生き物が、止まった。
激しく頭を振っていた動きが、急にゆっくりになった。
前脚を止めた。首を伸ばした。地面に鼻を近づけた。
それから、向きを変えた。
ゆっくりと、沼の方向へ、戻っていった。
走らない。ふらつきながら、でも、沼の方向へ歩いていく。
やがて、草地の向こうに消えた。
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三人で、しばらくそのまま立っていた。
ノエルが息を吐いた。
「……戻っていった」
「沼の水が届かない場所に出たら、落ち着いた」
「どういうこと?」
蓮は足の裏に意識を向けた。
境目の外側。沼の水が薄い場所。
今、生き物が掘り出た穴があった場所が、地声でも分かる。地の下の固い層に——亀裂が入っている。
「さっきの生き物が、境目を突き破って出てきた」
「だから?」
「亀裂が入った。沼の水を通さなかった層が、破れた」
「それって——」
「ここから先、沼の水が今より広がるかもしれない」
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ノエルが、地面を見た。
「……誰かが、この層を作ったとしたら」
「作った人間は、こういうことも想定していたかもしれない」
「修復する方法も、知っていた?」
「知っていたか、あるいは——」
蓮は、亀裂の場所に手をついた。
地声が来る。確かに、固い層に割れ目が入っている。そこから、沼の水が滲み出し始めていた。
「こうなることを、覚悟していたか」
スミが、亀裂の場所から離れた。
足音が、足の裏に来た。軽い。いつもの、スミの足音だ。
(第四十四話 完)
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